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ワーグナー、交響曲。 [2014]

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5月22日、ワーグナーの誕生日でした。そんなこととはつゆ知らず、今月、聴いて参りました、若きワーグナーの音楽。そうか、ワーグナーは5月生まれだったか... いや、18歳で書いたピアノ・ソナタ、19歳で書いた『妖精』、20歳で書いた『恋愛禁制』と聴いて来て、振り返れば、その音楽、5月をイメージさせる気もする。若々しく、フレッシュで、それでいて、夏に向けての勢いを感じるような、ポジティヴなパワーに充ち溢れている!普段、「ワーグナー」という名前を聞いて思い浮かべる音楽とは一線を画す、真っ直ぐな音楽... そんな音楽に触れれば、ワーグナーにも若い頃が確かに存在したのだなと感慨を覚えずにいられない。一方で、ワーグナーは、若くても「ワーグナー」と言おうか、すでにそこには、後のワーグナーを思わせる在り方が示されていて、なかなか興味深い。が、何に措いても驚かされるのは、若いなんて言わせない、その音楽の充実っぷりと雄弁さ!特に、2つのオペラには目を見張るばかり... もし、『妖精』(女優として活躍していた姉、ロザリエが奔走するも、上演に至らず... )が、『恋愛禁制』(ベートマン一座の力量不足、準備不足があって、敢え無く失敗... )が、然るべきオペラハウスで初演されていたならば、ワーグナーのオペラ作家としての歩みは、また違ったものになった気さえする。
で、もうひとつ違った歩み、シンフォニスト・ワーグナーというパラレル(?)について... オランダのマエストロ、エド・デ・ワールトの指揮、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ワーグナーが19歳の時に書いたハ長調の交響曲(CHALLENGE CLASSICS/CC 72649)を聴く。てか、ワーグナーの交響曲なんて、想像が付かないのだけれど、これがまた侮れない...

ワーグナーの意識が、はっきりと音楽へと向くのは、1828年、14歳の時(それまでは、音楽よりも芝居に関心を示し、戯曲を書いたりしていた。が、これも後のワーグナーにとって大きな糧となる... )。ライプツィヒ、ゲヴァントハウスで聴いた第九(その4年前、1824年にウィーンで初演されている... )に感動して... いや、ワーグナー少年にとって、第九体験は、衝撃的だったのだろう、それまで、特別、音楽を学んでいたわけでもないのに、独学でベートーヴェンを研究、自ら、第九をピアノ用にアレンジ(1830)するほど... そんな経験を経て、きちんと作曲を学び始めたのが、1831年、18歳の時。聖トーマス教会のカントル(ライプツィヒの街の教会音楽のトップ... )、ヴァインリヒに師事し、その下で、半年間、作曲家としての基礎をしっかり習得すると、1832年、19歳で、いきなり交響曲の作曲に挑んでしまう。で、交響曲は、その年の夏に一気に書き上げられ、11月、プラハ音楽院の学生オーケストラのリハーサルにおいて、試演。そして、12月、ライプツィヒで、エウテルペ音楽協会により初演。作品は好評(クララも、シューマンに宛てて、凄い逸材が出て来た的なことを書いている... )を得て、1833年、1月、ゲヴァントハウスでも演奏されることに... まさに、新進作曲家誕生!苦節云十年という、いつものワーグナーのイメージからすると、ちょっと驚いてしまうような輝かしさに包まれていた19歳のワーグナー... ただ、新進作曲家、ワーグナー氏、すでに一端の芸術家気取りで、ライプツィヒの楽壇からは、煙たがられていたみたい... 1834年、マクデブルクのベートマン一座が、誰か良い音楽監督はおりませんかとライプツィヒの楽壇に問い合わせてくれば、はいはいはいと、21歳のワーグナーが推薦され、何だか厄介払いのようにマクデブルクに送り出されてしまう。でもって、その翌年、1835年には、ワーグナーの4つ年上、メンデルスゾーン(1809-47)が、ゲヴァントハウスの指揮者(ライプツィヒの街の世俗音楽のトップ... )に就任している。もし、ワーグナーが、メンデルスゾーンくらいに常識的に世渡りができていたなら、ゲヴァントハウスの指揮者としての道もあったか?さすがに22歳は若かったか?いや、その「もし」があったなら、シンフォニスト・ワーグナーとして、大成した気さえするのだよね...
と、思わせる、ハ長調の交響曲(track.1-4)。本当に19歳の音楽?本当に初めての交響曲?やっぱり、若きワーグナーは、ただならない。1楽章、冒頭、ダン、ダン、ダン... と、インパクトある和音で始まるあたり、「英雄」を思い起こさせる... というより、献堂式序曲?第九を切っ掛けに、ベートーヴェンにどはまりした若きワーグナーならではの、迷いの無いベートーヴェン風。なのだけれど、序奏の後に続く軽快な音楽は、シューベルト(1797-1828)の交響曲を思わせて... ベートーヴェンの葛藤する音楽よりも、シューベルトの天衣無縫な音楽に通じる朗らかさが広がって、そのあたりに、19歳のワーグナーのリアルな若さを見出せるように感じる。一転、2楽章、アンダンテ(track.2)の重々しさは、ベートーヴェン。「英雄」の2楽章、葬送行進曲のよう。が、よくよく聴いてみると、ベートーヴェンよりメロディアス。そこはかとなしにロマン派を意識させられて、中間部では、後のワーグナーを思わせる瑞々しさ、雄弁さ、啓示的なフレーズも浮かび上がり、おおっ?!となる。楽劇で聴いていた音楽が、交響曲として響き出す新鮮さ!なかなかに魅了されます。続く、3楽章(track.3)は、ワーグナー流のスケルツォだろうか... 憧れのベートーヴェンに負けず、大胆にリズムを刻んで、パワフルなのだけれど、そうすることで、ブルックナー(1824-96)の交響曲を予感させる、武骨な構築性が見えて来て、刺激的。いや、ワーグナーの交響曲を聴くと、ベートーヴェン、シューベルトから、ブルックナーへと至るドイツ―オーストリアにおける交響曲の系譜がより明確になるようで、実に興味深い。という後での終楽章(track.4)は、また趣きを変えて、ハイドンのようなおどけた表情を見せつつ、ウェーバー的なキャッチーさに彩られ、ちょっと脱力させられる不思議なテイスト。で、この不思議さに、ベートーヴェンを乗り越えた、若きワーグナーの境地も窺えて... それは、後のワーグナーでは絶対に味わえない、ちょっとコミカルなテイスト。かつ、手堅く対位法を繰り出しての、交響曲としての体裁もしっかりと整えた音楽。この絶妙さを味わえば、その先が続いていたらと、つい妄想してしまう。
という妄想を抱かせてしまう、デ・ワールトの指揮、オランダ放送フィルの演奏... まず、デ・ワールトならではの、すっきりとした音楽作りが効いていて、若きワーグナーの交響曲を颯爽と展開。それは、後のワーグナーのイメージに、一切、引き摺られることのないもので、無駄なく、淡々と... だから、年輪を重ねていない若きワーグナーのありのまま魅力を、これ以上無く輝かせる。そんなマエストロに応える、オランダ放送フィルも、いい具合にドライで、そのあたりが、交響曲自体にある古典主義的性格を引き出し、絶対音楽が放つ感覚的な心地良さを、しっかり楽しませてくれる。で、このアルバムのおもしろいところが、交響曲の後に続く、『トリスタン... 』からの「夜の歌」(track.5)と「愛の死」(track.6)、ジークフリート牧歌(track.7)... 交響曲の若さに対して、大人の恋(不倫?)のロマンティックさが漂う『トリスタン... 』(前奏曲ではなく、「夜の歌」というのが珍しく、また、絶妙なチョイス!)、さらに父となって、何か達観するかのような表情を見せるジークフリート牧歌と、ワーグナーの人生の歩みを辿るような展開、構成が、とても印象深い。当然、演奏も、それぞれのワーグナーの心象を、丁寧に捉えて、より色彩的な『トリスタン... 』に対し、清廉なジークフリート牧歌と、交響曲とはまた違うトーンで、ワーグナーの音楽世界をしっかりと響かせる。そうして、浮かび上がる、「ワーグナー」という大きなドラマ... 普段のワーグナーでは、なかなか見えて来ない、ひとりの作曲家としてのパースペクティヴ... 何だろう、派手さこそないものの、人間、ワーグナーを丁寧に掘り起こしていて、魅了されずにいられない。

Richard Wagner Symphony in C EDO DE WAART

ワーグナー : 交響曲 ハ長調
ワーグナー : 楽劇 『トリスタンとイゾルデ』 から 「夜の歌」 と 「愛の死」 〔デ・フリーヘルによるアレンジ〕
ワーグナー : ジークフリート牧歌 Op.103

エド・デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

CHALLENGE CLASSICS/CC 72649




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