大聖堂の外に出て、ラウダ、黄金伝説。 [before 2005]
ロマネスク期、修道院にて、じっくりと育まれた聖歌が、ゴシック期、大聖堂という壮麗な場所を得て、教会音楽へと発展。中世の音楽のメイン・ストリームは、黄金期を迎えるわけだけとれど、大聖堂の外では、また新たなムーヴメントが起こっていた... というのが、13世紀のイタリア、大聖堂で歌われるラテン語の聖歌(特別な教育を受けた聖職者=エリートたちによる... )の対極とも言える、ラテン語を解さない市井の人々が歌える聖歌、ラウダのブーム!その起源については、はっきり解っていないものの、ゴシック期のカウンター・カルチャー、アッシジのフランチェスコが始めた托鉢修道会、聖フランチェスコ会の活動(修道院に閉じ籠るのではなく、清貧を以って民衆の中へと入っていき、布教の際には、みんなでラウダを歌った... )によって広まり、民衆の音楽として、熱狂的に受け入れられることに... その後、14世紀、トレチェント音楽(ゴシック期の音楽先進国、フランスの最新のポリフォニーの影響を受けつつ、後のイタリアの音楽を予兆するかのようにメロディーを重視した音楽... )とも共鳴し、音楽としても発展を始め、ルネサンス期には、フランドル楽派の巨匠たちも作曲するまでに...
ということで、ラウダに注目。古楽アンサンブル、ラ・レヴェルディによる、13世紀の年代記作者、ヤコブス・デ・ウォラネギが書いた聖者列伝、『黄金伝説』に基づくラウダを集めた、"Legenda Aurea"(ARCANA/A 304)。中世のフォーク・ブームを聴く。
18世紀、ピアノが表舞台へと出ようとしていた頃... [2014]
18世紀前半、ロンドンの音楽シーンの顔と言えば、ヘンデル(1685-1759)!そして、後半の顔が、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)。ズバリ、"ロンドンのバッハ"!バッハ家の末っ子にして、18世紀当時、父、大バッハ(1685-1750)を遥かに凌ぎ、国際的に知られていたのが、この人... ライプツィヒで生れ育ち、父から音楽を学び始めるも、14歳の時、父を亡くし、フリードリヒ大王の鍵盤楽器奏者を務めていた、次兄、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)に引き取られ、ベルリンで音楽を学ぶ。が、ベルリンで、父や兄の音楽とは一線を画すイタリア・オペラに出会ってしまったヨハン・クリスティアンは、より広い世界を求め、1755年、家出。ベルリンで歌っていたイタリア人女性歌手にくっついて、イタリア、ミラノへ... そこで、首尾よくパトロンを見つけると、その支援で、当時のアカデミックな音楽の権威、ボローニャのマルティーニ神父(1706-84)に師事。しっかりと理論を体得して、1760年、ミラノの大聖堂の第2オルガニストに就任。が、野心的な若き作曲家は、オペラにも乗り出し、1761年、ナポリ楽派の牙城、サン・カルロ劇場で『ウティカのカトーネ』を上演、大成功!その評判はイタリア中に広がり... そんな新しい才能を放って置かないのがロンドンの音楽シーンでして、ロンドンからのオファーを受けたヨハン・クリスティアンは、1762年、ドーヴァー海峡を渡る。
ということで、ヨハン・クリスティアンが、ロンドン、4年目、1766年に出版した鍵盤楽器のための6つのソナタ、Op.5を、古典派のスペシャリスト、バルト・ファン・オールトが、1795年製、ヴァルターのピアノ(レプリカ)で弾いたアルバム(BRILLIANT CLASSICS/BC 94634)を聴く。そう、それは、ピアノが表舞台へと出ようとしていた頃...