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ハイドンの「朝」、「昼」、「晩」。 [2020]

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18世紀、古典主義、というと、どこか均質なイメージがある。いや、ぶっちゃけ金太郎飴っぽい。というのも、古典美を追求するその性格、追及して生まれる端正さが、金太郎飴っぽさにつながってしまうのかもしれない。が、18世紀、古典主義、丁寧に聴いてみれば、金太郎に思えていた顔にも、間違いなくヴァラエティが見出せる。イタリアの明朗さ、パリの花やぎ、ロンドンのインターナショナル性、マンハイム楽派のマッシヴさ、そして、ウィーン古典派... お馴染みモーツァルトの音楽には、故郷、ザルツブルクの、アルプスの麓ならではの清々しさが感じられて、"交響曲の父"、ハイドンには、長らく仕えたエステルハージ侯爵家の本拠地、ハンガリーのローカル性、田舎っぽさが漂う?なんて、言ったら叱られそうなのだけど、この中央から外れた場所こそ、ハイドンの音楽に顔を与えた場所。ハンガリーという地を意識して、"交響曲の父"の音楽を聴けば、また違った風景が見えてくるのかもしれない。
ということで、ジェルジ・ヴァシェギ率いるハンガリーのピリオド・オーケストラ、オルフェオ管弦楽団による新シリーズ、"Esterházy Music Collection"に注目!その第1弾、ハイドンがエステルハージ侯爵家にやって来た頃の交響曲、「朝」、「昼」、「晩」(ACCENT/AC 26501)を聴く。

1761年から1790年まで、ハイドンの仕事場となったのがエステルハージ侯爵家。16世紀、オスマン・トルコの侵攻を受け、トルコ軍による占領、ハプスブルク家への王朝交代、さらに国家分裂という危機に陥ったハンガリーだったが、対トルコ戦の軍功を足掛かりに、反ハプスブルクで結集する旧来の貴族(ハプスブルク家が王位を継承したハンガリーから独立し、ハンガリー東部にトランシルヴァニア公国を成立... )を向こうに回して、一貫して親ハプスブルクを貫き(ハンガリー宮中伯=ハプスブルク家支配下のハンガリーにおける総督職を務めるほど... )、一領主からのし上がったエステルハージ一族。1626年に伯爵となり、1687年には神聖ローマ帝国の侯爵に!また、婚姻により領地を大きく広げ、その規模はハンガリーのみならずハプスブルク帝国屈指のもの... そんなエステルハージ侯爵家は、ハプスブルク家の廷臣としてウィーンに邸宅を構えつつ、領地のあるハンガリー西部、オーストリアとの国境にも近いアイゼンシュタット(現在はオーストリア領... )に居館を構えていた。が、ハイドンが着任して間もなく、第5代侯爵、ニコラウス1世(1714-90)、豪奢候が、新たな宮殿の建設に乗り出す(1765)。それが、ハンガリーのヴェルサイユと謳われる、エステルハーザ。
そこには、交響曲を演奏できる確かな規模のオーケストラがあり、オペラハウス(1768年に完成... )では盛んにオペラが上演されていた。と聞けば、まるで領邦君主の宮廷を思わせるのだけれど、エステルハージ侯爵家は、ハプスブルク帝国の一貴族であり、あくまで大地主... 成り上がり感も否めなく、廷臣たちが集い、大使たちが顔を出す、領邦君主の宮廷には及ばないのがエステルハーザの現実... つまり、田舎にポツンとヴェルサイユ?一方で、そういう田舎が、ハイドンの音楽は熟成されたという事実。帝国の首都、ウィーンから離れ、ハンガリーからしても辺境にあたるエステルハーザのローカル性こそが、ハイドンのオリジナリティを育んだとしたら、実に興味深い。いや、改めて"交響曲の父"の交響曲を振り返れば、田舎っぽいところ、なかっただろうか?絶対音楽=交響曲にしては、「うかつ者」(元々、劇音楽だったし... )だの、「熊」に、「めんどり」に、妙に味のあるものが多い。それを田舎趣味とまでは言わないけれど、都会の洗練された古典主義にはない幅、時にユルさ(絶対音楽になり切らないキャラクタリスティックなあたり... )が、実は、交響曲の可能性を広げ、スケールの拡大すらもたらしたようにも感じるのだよね... なればこその"交響曲の父"か?
そんなハイドンが、エステルハージ侯爵家にやって来て間もない頃の交響曲が、ここで聴く、6番、「朝」(track.1-4)、7番、「昼」(track.5-8)、8番、「晩」(track.9-12)。エステルハーザでの試行錯誤以前の交響曲となるわけだけれど、ヴァシェギ+オルフェオ管の演奏には、ハンガリーを意識させる部分がしっかりとあって、このハンガリー視点のハイドンというのが、思い掛けなく、新鮮!モダンのオーケストラで聴くと、モダンなればこその磨き抜かれた響きのせいで、とても軽く感じられる「朝」、「昼」、「晩」が、どっしり... その重みから何とも言えない瑞々しさが生まれ、朝、昼、晩の表情は、よりヴィジュアライズされるのか... また、それぞれの風景に、土に根差したパワフルさが漲るようなところがあって、確かな聴き応えがあるのが印象的。"交響曲の父"が父になる前の交響曲は、まだまだ前古典派的であり、バロック期の合奏協奏曲の形すら残っているものの、ヴァシェギ+オルフェオ管は、そういう古典主義未満なあたりを強調するより、スコアをしっかりと掘り起こし、音楽を息衝かせてくる。いや、ハンガリーのピリオド・オーケストラの矜持!そうして響き出す存在感ある「朝」、「昼」、「晩」に目が覚める!

Haydn / Symphonies Nos. 6-8 ・ Orfeo Orchestra

ハイドン : 交響曲 第6番 ニ長調 「朝」 Hob.I-6
ハイドン : 交響曲 第7番 ハ長調 「昼」 Hob.I-7
ハイドン : 交響曲 第8番 ト長調 「晩」 Hob.I-8

ジェルジ・ヴァシェギ/オルフェオ管弦楽団

ACCENT/AC 26501




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