"O dulcis amor"、17世紀、イタリアの女性作曲家たち... [2005]
3月に入りました。そして、すっかり春めいております。分厚いコートを着なくてもよくなると、足取りも軽くなります。が、今年の春は、キリスト教徒でなくとも、四旬節。家で静かにしていることを余儀なくされ... また、そうなったことで、大混乱!ではありますが、事ここに至っては、そうせざるを得ない事態。しかし、悲嘆に暮れてばかりでは、明日は来ない... この大混乱を前にして、今こそ、我々の日頃の在り方(働き方やら、子育て支援やら、ありとあらゆること... CDCは日本にも必要だし、政治家含め、今、本物のプロフェッショナルが求められている!)を見直す時が来たのだと思います。てか、見直しの絶好の機会!ある意味、このウィルスによる試練は、新時代の春を呼ぶ嵐なのかも... 何より、四旬節の後には、必ず復活祭がやって来る!未だ20世紀に引き摺られている我々の社会が、21世紀のリアルと向き合い、真に21世紀的な在り方を模索し始めれば、間違いなくスマートな時代がやって来るはず。恐れずに前に進む。これこそが、福音!は、ともかく、音楽です。
明日、桃の節句!祝います。女性古楽アンサンブル、ラ・ヴィラネッラ・バーゼルの歌と演奏で、17世紀、イタリアの女性作曲家たちによる作品を集めたアルバム、"O dulcis amor"(RAMÉE/RAM 0401)を聴く。外に行かなくたって、春は、ここに、ある...
クープラン、ルソン・ド・テネブル。 [2014]
音楽室に居並ぶ肖像画に、女性はひとりもいなかった。クラシックは、やっぱり、男の世界なのだ。という固定概念が、数こそ少ないものの、音楽史上における女性たちの活躍を、隠してしまってはいないだろうか?前回、聴いた、17世紀、イタリアのシスターたちの作品に触れると、ふとそんなことを思う。いや、音楽史における女子修道院の存在が気になってしまう。中世には、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという伝説的なシスターもおりました。教会での祈りに音楽が欠かせなかったことを鑑みれば、シスターたちによる独自の音楽文化は脈々と紡がれていたはず... また、そこから生まれた音楽が、出版という形で広く世に知らされていた史実もあって、今年、生誕400年を迎えたシスター、イザベッラ・ベルナルダの、1693年に出版されたソナタなどに触れれば、女子修道院における音楽環境の充実を窺い知ることができる。ということで、イタリアからフランスへ... フランスの女子修道院、さらに、女子寄宿学校で歌われた、聖週間のための音楽を聴いてみる。
ということで、女声による美しい音楽... ヴァンサン・デュメストル率いる、ル・ポエム・アルモニークの歌と演奏で、クレランボーのミゼレーレと、クープランのルソン・ド・テネブル(Alpha/Alpha 957)。この四旬節、美しい祈りの音楽で乗り越えましょう。
ル・プランス、ミサ、汚れは御身のうちにあらず。 [2013]
フランス・バロックというと、とにもかくにもヴェルサイユ!国王を頂点に、音楽官僚たちが織り成した宮廷音楽がそのイメージを形作っている。で、実際、オペラなど、宮廷の作曲家に独占上演権が与えられ、見事な一極集中!が、国中に教会があって、それぞれにオルガニストがいて、聖歌隊があって、ヴェルサイユとはまた違う音楽を歌い、奏でてもいた史実。ヴェルサイユがあまりにも燦然と輝くものだから、なかなか見えて来ない地方の状況なのだけれど... かのラモーは、リヨンやディジョンで活躍した後にパリへとやって来たわけだし、レクイエムの名作(後に、国王の葬儀でも歌われた... )を書いたジルは、トゥールーズの大聖堂の楽長だった。必ずしも、パリやヴェルサイユばかりがフランス・バロックではなかった。というより、地方の充実に支えられてこそのヴェルサイユであり、パリだったようにも思う。そんなフランス・バロックの地方をちょっと覗いてみる。
ということで、17世紀、フランス、ノルマンディー地方、リジューの大聖堂の楽長を務めていた、ル・プランスのミサ... エルヴェ・ニケ率いる、ル・コンセール・スピリチュエルの歌と演奏で、ミサ「汚れは御身のうちにあらず」(GLOSSA/GCD 921627)を聴く。
リース、信仰の勝利。 [2013]
さて、2020年は、ベートーヴェンの生誕250年のメモリアル!となれば、やっぱりベートーヴェンをいろいろ聴いてみたい... のですが、当blog的には、もう少し視点を広げまして、ベートーヴェンの周辺にも注目してみたいなと... いや、"楽聖"と呼ばれるベートーヴェン、その存在は燦然と輝き、あまりの眩しさに、周辺があまりよく見えて来ない。例えば、モーツァルトの隣には、ハイドンという大きな存在がいて、サリエリというライヴァルもいて、モーツァルトのストーリーを大いに盛り上げる。また、そうした、モーツァルトの周辺にいた作曲家たちの作品に触れることで、モーツァルトが生きた時代を、活き活きと感じ取ることができるように思う。で、ベートーヴェンはどうだろう?いや、ベートーヴェンをよりリアルに感じるためにも、同時代の音楽を聴くことは意義深いように思うのだけれど、なかなか難しいのが現状。ならば、このメモリアルこそ、注目してみたいなと...
ということで、ベートーヴェンと同じボンの出身で、弟子、フェルディナント・リースに注目!ヘルマン・マックス率いる、ダス・クライネ・コンツェルトの演奏、ライニッシェ・カントライのコーラスで、リースのオラトリオ『信仰の勝利』(cpo/777738-2)を聴く。
レイハ、サロンの大交響曲、ベートーヴェン、七重奏曲。 [2019]
音楽史から見て、ベートーヴェンは、どんな時代を生きていたのだろう?ベートーヴェンの音楽があまりに揺ぎ無く存在しているものだから、その時代が過渡期だったなんて、普段、あまり考えない。が、その揺ぎ無いあたりから、ちょっと視点をずらせば、ベートーヴェンの時代が過渡期であったことを思い知らされる。そう、古典主義の時代から、ロマン主義の時代へとうつろう時代... で、そういう史実に触れて、ますます興味深く思うのが、ベートーヴェンのあの揺ぎ無さ... あれは、何なのだろう?新しい時代に前のめりになりながらも、実は、しっかりと伝統の上に立脚するという、意外と頑固な保守性... 19世紀を切り拓いたベートーヴェンの音楽ではあるものの、あくまで18世紀の延長線上に存在していて、まさしく、最後のウィーン古典派。しかし、それは、ただのウィーン古典派ではなくて、ウルトラ古典主義!というのが、ベートーヴェンの際立った個性を形作っているように思う。そんな風に、改めて認識するために、ベートーヴェンの周辺にも注目してみたいなと...
ベートーヴェンの弟子、リースに続いて、同い年で、同級生で、同僚でもあったレイハ。ジュリアン・ショーヴァン率いる、ル・コンセール・ド・ラ・ローグの演奏で、レイハのサロンの大交響曲、第1番と、ベートーヴェンの七重奏曲(APARTE/AP 211)を聴く。