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ピエタのキアラ、ヴェネツィア、オスペダーレが生んだスター。 [2013]

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沖澤のどかさん、ブザンソン国際指揮者コンクール、優勝のニュースに、おおっ?!となる。もちろん、コンクールは、あくまでも玄関口であって、ここからが厳しいクラシック道(指揮者コンクールの世界最高峰、ブザンソンで勝てば、世界的なマエストロになれるか?いや、そう甘くは無い... 改めて優勝者のリストに目を通せば、シビアな状況が浮かび上がる... )。それでも、日本クラシック女子の快挙にテンションは上がる!いやね、今年はクララ・シューマンの生誕200年のメモリアル。ということで、クララの人生に改めて触れてみたりすると、音楽史における女性の置かれたアンフェアな状況が悪目立ちし、ちょっとゲンナリ... それから200年、状況は大きく改善されているはずだけれど、それでもクラシックの、クラシック=古典であるがゆえの保守性が、女性に対して未だ某かのレッテルを貼りたがる傾向が拭えない気がする。何しろ、56回目を迎えたブザンソン国際指揮者コンクール、女性の優勝者は、沖澤さんを含めて、たった2人... orz、その数字にクラシックの閉塞性を突き付けられる。もはや、閉塞的であって正解なのか?いや、音楽史を丁寧に紐解いてみれば、女性の活躍も間違いなくあった!クララから100年も遡ると、意外にも様々な女性たちの音楽界での活躍を見出すことができる。
ということで、バロック期、ヴェネツィアの音楽シーンを沸かせた女性音楽家に注目!ファビオ・ビオンディのヴァイオリンと、彼が率いるエウローパ・ガランテの演奏で、ヴィヴァルディの教え子、ピエタ慈善院のオーケストラ、"フィーリエ"のスター、ヴァイオリニスト、キアラをフィーチャーしたアルバム、"IL DIARIO DI CHIARA"(GLOSSA/GCD 923401)を聴く。

"IL DIARIO DI CHIARA"、キアラの日記、その主役、キアラは、生後2ヶ月でピエタ慈善院に預けられ、孤児として育ち、後に、音楽教師、ヴィヴァルディと出会い、ヴァイオリンを極め、ヴェネツィアを代表するヴィルトゥオーザに成長する。という話しを聞くと、とてもドラマティックでスペシャルなサクセス・ストーリーに思えて来るのだけれど、キアラのケースは、けしてスペシャルなものではなく... 当時のヴェネツィアでは、オスペダーレ=慈善院により、しっかりとした意志を持って、孤児たちが育てられていたことに驚かされる。孤児たちは修学時期を迎えると、社会に出て独り立ちできるように職業訓練が始まる。そして、男の子たちには船大工か石工、女の子たちには手芸か音楽のコースが用意されており... で、その音楽コースが、歌と弦楽器を学べる慈善院付属音楽院!当時、ヴェネツィアには、ピエタ、インクラビリ、メンディカンティ、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ(オスピダレットという愛称で知られる... )の4つの慈善院付属音楽院があり、ヴィヴァルディを筆頭に、音楽史に名を残す大家たちが教師を務め、その教育レベルは驚くべきものがあった(時には、良家のお嬢様がわざわざ学びに行くこともあったとか... )。さらに、この4つ組織は競い合い、18世紀、ヴェネツィアの音楽シーンにおいて際立った存在感を示す。というのも、多くの孤児たちを抱えた慈善院を運営するには多額の資金が必要で、富裕な市民からの寄付では賄い切れず、慈善院付属音楽院のOBにより組織されたオーケストラとコーラスによるコンサート(慈善院の付属教会で、毎週、日曜日と祭日に開催... )が、大きな収入源となっていた。つまり、当時のヴェネツィアには、女性たちのみによるオーケストラとコーラスが4団体、常時活動(他に、サン・マルコ大聖堂を筆頭とする多くの教会があり、オペラハウスがあり、祝祭があり、プライヴェートなコンサートがあり、ヴェネツィアはバロック切っての音楽都市!)し、ヴェネツィアっ子や、ヴェネツィアを訪れた観光客を沸かせていたわけだ。まるでAKBか?宝塚か?という風に捉えると、グっと親近感を覚えてしまう。そして、ピエタのスターのひとりが、キアラ!
ビオンディ+エウローパ・ガランテによる"IL DIARIO DI CHIARA"には、キアラの師、ヴィヴァルディ(1678-1741)ばかりでなく、ヴィヴァルディの同僚、ピエタの合唱長(ちなみに、ヴィヴァルディはオーケストラ部門の音楽監督、コンチェルト長... )、ポルタ(1675-1755)のシンフォニア(track.1-3)で始まり、ヴィヴァルディのライヴァル、ナポリ楽派の巨匠で、ピエタはもちろん他2つものオスペダーレを渡り歩いたポルポラ(1686-1768)のシンフォニア(track.7, 8)、さらに、ポスト・ヴィヴァルディの時代、ピエタを率いたナポリ楽派の作曲家、ラティッラ(1711-88)のシンフォニア(track.18-20)、ベナルスコーニ(1706-84)のシンフォニア(track.22-24)、そして、キアラのために書かれたマルティネッリ(1702-82)によるヴィオラ・ダモーレと弦楽のための協奏曲(track.12-14)、ヴァイオリン協奏曲(track.15-17)が取り上げられ、ピエタのコンサートで、どんな作品が演奏されていたのかを知る貴重な機会を与えてくれる。何より、キアラたち"フィーリエ"の花々しい演奏を彷彿とさせる音楽の数々に、魅了されずにいられない!で、花々しさにも、それぞれの作曲家の個性が出ていて... 始まりに相応しいポルタのシンフォニア(track.1-3)の花々しさは、まるで花束のよう。続く、ヴィヴァルディのシンフォニア、「ムーサたちの合唱」(track.4-6)では、ヴィヴァルディらしい驚きがあって、惹き込まれる。その後での、ポルポラのシンフォニア(track.7, 8)には、ナポリ楽派ならではの流麗なメロディーが際立ち、得も言えずたおやか!そして、ポスト・ヴィヴァルディ世代では、より明快な表情を見せて、古典主義の時代へと至る道筋が示されるのか... キアラに捧げられたマルティネッリのヴァイオリン協奏曲(track.15-17)などは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲へとつながるやわらかさを見せて、素敵。で、そんなコンチェルトをキアラは弾いていたわけだ... 彼女の伸びやかな音色が、そのスコアから浮かび上がるようで、感慨深い。
という、"IL DIARIO DI CHIARA"を聴かせてくれた、ビオンディ+エウローパ・ガランテ。まずは、キアラが弾いただろうパートを、芳しく奏でるビオンディのヴァイオリンが印象的。かつてはバロック・ロックでもって、鋭くヴィヴァルディに斬り込んで行ったピリオド界切ってのヴィルトゥオーゾも、年を経て、まろやかにもなって... いや、けしてユルくなったわけではなく、一音一音を捉える鋭さは以前と変わらないものの、それらをより豊かにつなげて、イタリア的な艶やかさを存分に発揮しつつの芳しさ!ヴィヴァルディがキアラのために書いたヴァイオリン協奏曲(track.9-11)などは、白眉... また、マルティネッリのヴィオラ・ダモーレと弦楽のための協奏曲(track.12-14)では、ヴィオラ・ダモーレに持ち替えて、ヴァイオリンとは一味違う素朴な響きで魅了して来る。そんなビオンディに率いられたエウローパ・ガランテが、花々しくも力強い演奏を繰り広げて、またすばらしい!そして、その力強さが、キアラが活躍した時代のヴェネツィアの音楽シーンの活気を今に蘇らせるよう。音楽史的な見地に立てば、ヴェネツィア楽派がナポリ楽派に取って代わられる頃... このアルバムにポルポラやラティッラの作品が並ぶのが象徴しているわけだけれど、そうしたライヴァルたちの音楽も貪欲に取り入れて、ますます花々しかったのが当時のヴェネツィア!ビオンディ+エウローパ・ガランテは、そのあたり鮮やかに掘り起こし、ヴィヴァルディばかりでないヴェネツィアの魅力を余すことなく楽しませてくれる。

IL DIARIO DI CHIARA EUROPA GALANTE FABIO BIONDI

ポルタ : 弦楽のためのシンフォニア ニ長調
ヴィヴァルディ : 弦楽のためのシンフォニア ト長調 RV.149 「ムーサたちの合唱」
ポルポラ : 3声のシンフォニア ト長調
ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 RV.372 「キアラのために」
マルティネッリ : ヴィオラ・ダモーレと弦楽のための協奏曲 ニ長調 「キアレッタのために」
マルティネッリ : ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 「キアラに捧げる」
ラティッラ : シンフォニア ト長調
ペロッティ : ヴァイオリンとオルガンのためのグラーヴェ ト短調
ベルナスコーニ : 弦楽のためのシンフォニア ニ長調

ファビオ・ビオンディ/エウローパ・ガランテ

GLOSSA/GCD 923401




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