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ベートーヴェン、運命と田園。 [2020]

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つくづく、思うのです。2020年、まさか、こんなことになるとは... 一方で、某スピリチュアリストの先生は、昨年末に、2020年について、破綻と崩壊の年と語っておられたとのこと... でもって、占星術の世界から2020年を見つめれば、パンデミック(星には、昨年末、と出ていたらしい... って、武漢での真実を当てているのだよね... )があって、さらに2020年末、まったく新しい時代が始まるのだとか... それから、お馴染みGマークの占い師さんは、2020年を、フランス革命、あるいは明治維新級の大変革が始まる年と話しておりました。信じるか信じないかは、あなた次第、ではなくて、すでにそうなっていて、恐い。いや、凄い。そう、世界は、今、運命の只中にある!そんな2020年にメモリアルを迎えるのが、ベートーヴェンというのがまた象徴的。何しろ、この人も、大変革の時代(革命からの戦争を経ての反動... )をサヴァイヴした人だから... つまり、あの音楽の革新性は、激動の時代の反映だった?ならば、今こそ、ベートーヴェンの音楽は、より響いて来る気がする。
ということで、マルティン・ハーゼルベック率いるウィーン・アカデミー管弦楽団による、ベートーヴェンの作品の初演の響きを蘇らせようという野心的なシリーズ、"RESOUND BEETHOVEN"から、最新盤、vol.8、「運命」と「田園」(Alpha/Alpha 479)を聴く。

ヨーロッパに皇帝は2人のみ... これは、ローマ帝国が東西に分裂(395)して以来の不文律。西ローマ皇帝の復刻としての神聖ローマ皇帝(オーストリア・ハプスブルク家によって、ほぼ世襲化... )、東ローマ皇帝の継承者(東ローマ帝国、最後の皇帝の姪=イヴァン雷帝の祖母が、モスクワ大公に嫁ぎ、帝位継承権をもたらす... )としてのロシア皇帝、古代に紐付けられた2つの帝座の他、ヨーロッパは皇帝の存在を認めなかった(古代ローマの権威って、帝国が滅亡してもなお、ヨーロッパを支配していたわけです。凄い... )。そこに、ゲーム・チェンジャーが現れる!1804年、ナポレオンがフランス皇帝に即位、古代にまったく由来しない3つ目の帝座を創り出す。そして、ナポレオンの不文律への挑戦は、皇帝たちの軍事的衝突を招く(ナポレオン戦争は、すでに始まっていたわけだけれど... )。1805年、迎えた、"三帝会戦"、アウステルリッツの戦い!フランス軍は、オーストリアとロシアの連合軍に大勝。1806年、神聖ローマ皇帝、フランツ2世は退位し、中世以来の神聖ローマ帝国(現在のベルギー、ルクセンブルク、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロヴェア、ポーランド西部にまたがる、ミニEUみたいな... )が消滅、ハプスブルク家領は、オーストリア帝国(オーストリア、スロヴェニア、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア北部、ルーマニア北西部を含む... )として再編される。そう、ヨーロッパの国の枠組みが大きく変わる。まさに、ダダダダーン!運命の転換点を迎えた、ヨーロッパ、だったか...
その只中、1806年から翌年に掛けて、ウィーンで作曲されたのが、ベートーヴェンの代表作、「運命」(track.1-4)。今、改めて、1楽章の、あの宿命的なテーマを聴けば、当時の時代のうねりを窺い知る気がする。また、それまでのウィーン古典派の交響曲とは一線を画す、聴く者に鋭く迫る音楽... それは、混乱とともにやって来た新時代を前に、あなたはどうする?!と、問うているかのよう。いや、これは、メッセージ・ソングならぬ、メッセージ・シンフォニーなのかもしれない。コロナ禍のステイ・ホームに在って、ふと、そんなことが頭を過る。というより、今こそ、ダダダダーン!が、ガツンと来る。これまで、ネタっぽく感じていたダダダダーン!が、2020年、ネタではなく、リアルに響いて来るのだから、歴史は巡るのだなと... という「運命」は、ダダダダーン!から、紆余曲折を経て、勝利の終楽章(track.4)へと至るわけだけれど、それがまた興味深い。なぜなら、「運命」は、アウステルリッツの戦いの大敗の後に作曲され、初演の半年後、1809年には、帝都、ウィーンがナポレオンに占領(その前の包囲戦では、ベートーヴェンは、弟の家の地下室に避難し大変な思いをした... )されているから。そう、作曲当時、オーストリアの勝利は程遠かった事実。ならば、終楽章の勝利は、ある種のルサンチマン?と、考えると、「運命」には、また違った表情を見出せるのかもしれない。先の見えない時代に対する不安の裏返しとでも言おうか... 運命のノックに始まる力強い交響曲は、実は、作曲家の惑う心を映しているように感じる。きっと、ベートーヴェンですら、恐かったのだろう。新しい時代が... 今なら、そう聴こえる。だから、より強く、共感できる。
さて、「運命」と同時期に作曲されていた「田園」(track.5-9)が、その後に続くのだけれど、「運命」と同じ背景を持つことに注目すれば、この作品もまた感慨深い。ヨーロッパ中がナポレオン戦争に覆われた激動の時代、お馴染みの田園の一日を追った描写的な音楽には、ある種のアルカディアが示されるのかなと... で、それは失われたアルカディアなのかもしれない。田園への憧れは、フランス革命以前、啓蒙主義の時代に一大ブームとなった「自然へ帰れ(で、かのマリー・アントワネットは、ヴェルサイユに自然=農村を創ってしまった!)」の名残り(そもそも、「自然へ帰れ」の影響を受けての、パストラル・シンフォニーというジャンルが存在していた、アンシャン・レジーム... )。ベートーヴェンの「田園」に、過去への憧憬を見出すと、何だか、切ないものを感じてしまう。激動の時代を目の当たりにして、古典的な牧歌性に逃げ込む... 途中、嵐(track.8)がやって来るも、最後は再び穏やかさに包まれるのも、印象的で、その穏やかにこそ、ベートーヴェンの願いが籠められているのかもしれない。失われて気付かされる、穏やかさのありがたさ... 「田園」もまた、静かにして確かにメッセージを放っている。兄弟交響曲とも言えそうな、「運命」と「田園」だけれど、2つの音楽は対照的で、表裏を成すと言ってもいいのかも。これまで、5番と6番と番号順でしか捉えて来なかったのが、改めて見つめれば、「運命」からの「田園」という展開、大いに納得。それでいて、その表裏に作曲家の心象が透けて見えて、感慨を覚える。
という、「運命」と「田園」を取り上げる、ハーゼルベック+ウィーン・アカデミー管によるシリーズ、"RESOUND BEETHOVEN"、vol.8。これで、ベートーヴェンの全9曲の交響曲が完結(シリーズは、交響曲のみならず、管弦楽曲、協奏曲も含むため、まだ続く?)するのだけれど、最後に、決定打、2曲を残していたというあたり、彼らの思い入れを感じてしまう。何より、否が応でも期待は高まり... で、期待を裏切らない、彼らならではの、しっかりとした聴き応えのある「運命」に「田園」となっている。そう、ピリオドにして、モダンを思わせる聴き応えが、彼らの魅力!ピリオドの楽器ならではの制約も、それぞれの楽器、余裕を持って鳴らされることで、アンサンブルに重量感を生み出して... その重量感が、音楽をより味わい深いものとし、その味わいに、ベートーヴェンのウィーン(東の玄関口であり、それゆえに東方のローカル性が流れ込む... )の作曲家としての性格を呼び覚ます。で、"RESOUND BEETHOVEN"の最大の魅力は、ここかなと... ベートーヴェンをウィーンの作曲家として捉え直す。それによって、より豊かな音楽性を引き出すハーゼルベックのこういう視点、時代=縦のラインばかりでなく、地域性=横の差異をも意識させる演奏が、刺激的。いや、ベートーヴェンのウィーンで生きたリアルに注目すれば、より深く濃いドラマが、音楽から溢れ出す。

RESOUND BEETHOVEN VOL. 8 SYMPHONY 5 & 6 'PASTORAL'

ベートーヴェン : 交響曲 第5番 ハ短調 Op.67 「運命」
ベートーヴェン : 交響曲 第6番 ヘ長調 Op.68 「田園」

マルティン・ハーゼルベック/ウィーン・アカデミー管弦楽団

Alpha/Alpha 479




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