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ベートーヴェン、月光、ヴァルトシュタイン、テンペスト。 [2013]

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ステイ・ホーム、春と触れ合えない今年の春... ならば、春っぽい音楽を聴いて、元気出そう!ということで、モーツァルトの「春」に始まり、ウィンナー・オペレッタに、ウィンナー・ワルツと、春っぽい音楽、聴いて来ました。で、それら、ウィーンの音楽でありまして... 改めて、思う、ウィーンのサウンドというのは、どこか春っぽい?ウィーン古典派の音楽は、春のそよ風のようだし、シュトラウス・ファミリーの音楽は、春の野原へとピクニックに行くみたいだし、アカデミックなブラームスにも、春の陽気さ(大学祝典序曲ハンガリー舞曲のアゲアゲ・チューンとかね... )は窺えて、マーラー(花の章、とか、まさに... )や、ツェムリンスキー(『春の葬送』なんて作品も書いてます... 葬送なのがウィーン世紀末なのだけれど... )の濃密さには、春の爛熟を思わせる。何だろう?この春っぽさ、ウィーンの東の玄関口(ちなみに、オーストリアの正式名称は"エスターライヒ"、和訳すれば、東の王国... )としてのローカル性が、その音楽に、ある種の長閑さを生む?なんて考えてみるのだけれど... そう言えば、陰陽五行説、東を示す季節は、春なのだよね... 東の都は、春の都?なんてウィーンを見つめると、新鮮かも...
ということで、ウィーン古典派、最後の巨匠、ベートーヴェンに続きます。アレクセイ・リュビモフが、1802年製のエラールのピアノの復刻で弾く、ベートーヴェンの「月光」、「ヴァルトシュタイン」、「テンペスト」(Alpha/Alpha 194)。ここにも春はあるかな?

1792年、21歳、帝都、ウィーンへとやって来たベートーヴェン。ハイドンをはじめ、各方面からのサポートを受け、ピアニストとして順調にキャリアを伸すも、やがて難聴を発症してしまう20代後半... 次第に症状は悪化し、30歳、1801年に作曲した、14番、「月光」(track.1-3)。31歳、1802年に完成した、17番、「テンペスト」(track.7-9)。が、症状は深刻さを増し、ハイリゲンシュタットの遺書を書くまでに... しかし、落ちるところまで落ちれば、その先は、上るしかない!32歳、1803年、パリのエラール社から最新のピアノが贈られると、難聴の耳にも届く、よりスケールの大きなサウンドに刺激され、21番、「ヴァルトシュタイン」(track.4-6)を作曲!そこからは、もう、"傑作の森"と呼ばれる時代... 33歳、1804年、3番の交響曲、「英雄」を以って、その音楽性は確立され、次々に代表作が生み出されて行く。そう、ここで聴く、14番、17番、21番のピアノ・ソナタは、作曲家、ベートーヴェンが、巨匠として進化を果たすための、極めて重要な過程を捉えた作品であり、それはまた、難聴という音楽家としての危機に直面し、遺書を書くにまで至った作曲家の心境がリアルに反映された音楽でもある。そうした3つのソナタを、1802年製のエラール、まさにベートーヴェンに大いなるインスピレーションを与えただろうサウンドで捉えれば、当時の情景が蘇るかのよう。1曲目、「月光」の1楽章、あの有名なメロディーが聴こえ出した途端、一気に、ベートーヴェンが生きた時代へ、ベートーヴェンが苦悩した頃へと連れ去られる。
少し遠くに感じられるピアノの響き... それは、ピリオドのピアノなればこそのくぐもった響きなのだけれど、その少し心許無いような響きには、作曲家の難聴を追体験させられるようなところもあって... それでいて、淡々と響く「月光」の代名詞、あの分散和音を追えば、夜のしじまが広がるようで、間もなく浮かび上がるテーマには、月の光(まさに!)に照らされた、ピアノと向き合うベートーヴェンの背中がぼおっと見えて来るよう。そして、その背中からは、絶望と諦念が滲み出し、音楽は葬送の行進を思わせる。「月光」とは、音楽家生命を絶たれるだろう自らを送る葬送の音楽だったか?失聴してもなお、高らかに第九を歌い上げた楽聖、ベートーヴェンの姿とは違う、惑うベートーヴェンの若さが生々しく表れるその音楽... そこに漂う青さというか、脆さに、その後の音楽とは違う魅力が光る。で、リュビモフの弾く「月光」には、クラシックのアイコンとしてではない、ひとつの時代を生きた人間としてのベートーヴェンをひしひしと感じる。ひしひしと感じられて、その音楽は、ゾっとするほど瑞々しい。ピリオドのピアノの性格もあって生まれる、今にも壊れそうな繊細さ... その繊細さが生み出す、ピンと張り詰めた緊張感... メランコリーと鋭さが並置するこの感覚は、ちょっとただならない。一転、あられもなく無邪気な2楽章(track.2)、節操無く激情を迸らせる終楽章(track.3)では、若さが在りのままに表現されて... その無鉄砲ですらある若さのリアルに驚かされる。そうして引き出されるパワフルさ!静から動への展開に惹き込まれる。
そこから、間髪置かずに始まる「ヴァルトシュタイン」(track.4-6)。月の光が差す夜から、一気に陽気溢れる春の野に引っ張り出されるような展開が、またインパクトを生む!1楽章(track.4)、新たな力が滾々と湧き出すような和音の連打、駆け回る両手の動き... そこには、最新のピアノを前にしての作曲家の悦びも感じられ、どこか微笑ましさもある。一方で、それを、普段、モダンのピアノで聴くと、トゥー・マッチな印象を受けることもあるのだけれど、ピリオドのピアノならば、いい具合に響きは抑制されて、落ち着きすら感じられるから興味深い。で、リュビモフは、「月光」とのコントラストに、死と向き合って辿り着いた境地を盛り込んで、すでに大家の片鱗を見せる深みを、「ヴァルトシュタイン」に籠めるのか... イントロドゥツィオーネ=導入とタイトル付けられた2楽章(track.5)の、時に抽象的にも思える特異な表情には、その深みが活き、続く、終楽章(track.6)では、ますます深みを見せて、苦悩の日々を回想するような情景を織り成し、感慨深い。が、その後で、再び嵐がやって来る!「テンペスト」(track.7-9)、嵐というタイトルだけに、ドラマティックな音楽が繰り出されるのだけれど、そのドラマティックには、ロマンティシズムが広がっていて、ベートーヴェンの新たな地平をそこに見出す。作曲された順番こそ、「ヴァルトシュタイン」が後に来るものの、「テンペスト」のドラマティックさには、次なる時代を予感させるものがある。だから、「テンペスト」で締め括るのは理に適う。そうして音楽史の奔流も浮かび上がる。
いや、卒なく有名なソナタを3つ並べながらも、考え抜かれた構成なのだと思う。だから、まるで3つ組みのソナタのようにも思えるし、場合によっては、ひとつの作品にすら感じられる。だから、一気に聴かせる。で、そこには、1802年製のエラールのピアノが掘り起こすリアルがあり、また、ベートーヴェンの若さを、若いままに捉え、鳴らし切る、リュビモフのタッチがあって、アルバムに一貫したドラマ性を生み出す。苦悩からの復活、そして新しい時代へ... ベートーヴェンの音楽を聴きながらも、ベートーヴェンその人のドラマを見るかのよう。いや、ベートーヴェンというドラマは、実に魅力的である。時に不器用だけれど、なればこその感動があり、輝きがあり、深みがあり、その果てに、楽聖としての突き抜けた境地が存在しているのだろう。リュビモフによる「月光」、「ヴァルトシュタイン」、「テンペスト」は、アイコンとしてのベートーヴェンではない、格好の悪さも含んだ、在りのままのベートーヴェンを捉えるからこそ、カッコいい。で、クラシックの気難しさなど微塵も感じさせず、リアルとドラマを示し、聴く者にある種の没入感をもたらす。そこが、凄い。

BEETHOVEN Moonlight - Waldstein - Storm
Alexei Lubimov


ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 「月光」 Op.27-2
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 「ヴァルトシュタイン」 Op.53
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 「テンペスト」 Op.31-2

アレクセイ・リュビモフ(ピアノ : 1802年製、エラールの復刻)

Alpha/Alpha 194




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