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南ドイツの田園にて、 [2012]

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クネヒトの、"自然の音楽的描写、あるいは大交響曲"を聴くのだけれど...
ベートーヴェンが「田園」を作曲(1807-08)するにあたり、インスピレーションを得た?という作品で。「田園」が完成する25年前の作品(1783)で。「田園」と同じ5楽章構成、それぞれの楽章に付けられた情景についての短い解説は、「田園」とも符合し、のどかな風景にやがて嵐がやって来て... という流れがよく似ている。ベートーヴェンの四半世紀前に、もうひとつの「田園」があったとはとても興味深い。そして、現在のクラシックにおいて、ベートーヴェンの革新性(「田園」に関しては、交響曲という絶対音楽に標題音楽の性格を持ち込んだ... )は、教科書的に扱われるわけだけれど、その革新性を先駆ける存在がいたことに、音楽史のエアポケットにはまったような、そんな感覚にさせられる。普段、何気なく受け入れている常識も、ひとつひとつ丁寧に見つめると、意外と足下の不安定さが露見してしまうのか。クネヒトという存在に触れ、音楽の常識というものを考えさせられる。
で、そのクネヒト再発見に力を入れている?合唱界の巨匠、フリーダー・ベルニウスと、彼が率いるピリオド・オーケストラ、ホフカペレ・シュトゥットガルトによる、クネヒトの"自然の音楽的描写、あるいは大交響曲"をメインとしたアルバム(Carus/83.228)を聴く。

ベートーヴェンの「田園」は、凄いと思う。絶対音楽の象徴としての交響曲に、標題音楽の性格を持ち込んで、シンフォニックにシーンを描き上げる... ベートーヴェンの9つの交響曲の中では、当然、「田園」というだけに、ダントツに穏やかで... そういう点で、あの執拗にも感じるベートーヴェン的インパクトは薄いわけだけれど、その革新性は、最も凄いように感じる。見事な描写性と、そこから紡ぎ出される終楽章での感動!だからこそ、クネヒトによる"自然の音楽的描写、あるいは大交響曲"に初めて触れた時の衝撃というのは大きかった。が、これを機会にちらっと調べてみれば、パストラル・シンフォンニーというジャンルがすでに古典派の時代に存在し、なおかつ人気を得ていたらしい... 冷静に振り返れば、古くから田園/パストラル関連の作品は多いわけで... 音楽史における革命的存在、ベートーヴェンは凄い!というステレオタイプが、いつの間にやら、すべてはベートーヴェンの「田園」から始まった... と、思い込ませてしまう?ベートーヴェンもまたそれ以前の時代の子であることを、クネヒトに触れて捉え直す。で、そのクネヒトなのだけれど...
ユスティン・ハインリヒ・クネヒト(1752-1817)。
モーツァルトが生まれる4年前、南ドイツ、ビーベラハで生まれ、そこで音楽を学び、やがて市の音楽監督のポストを得て... 結局、南ドイツというローカルなエリアから出ることは無かったよう。が、音楽学者として知られ、その理論書を通じて、ベートーヴェンと結び付くことに。そして、「田園」へとつながる"自然の音楽的描写、あるいは大交響曲"(track.1-5)なのだけれど、モーツァルトがウィーンを拠点とし活躍を始めた頃、1782年の作品となると、まさに古典派の時代となるわけだが、田園ののどかな風景が描かれる1楽章には、間違いなくベートーヴェンの「田園」を思わせるようなところがあって。たゆみなく紡がれるやわらかなサウンドは、古典派でありながら、より先の時代のサウンドが聴こえてくるのか、クネヒトの先進性を、そののどやかな音楽から感じ取る。そして、嵐がやって来る3楽章(track.3)。ベートーヴェンの「田園」の迫力にはもちろん及ばないけれど、ベートーヴェンの前半の交響曲のような力強さがあって、同時代のモーツァルトやハイドンの交響曲にはない剛健さに驚かされる。が、この感覚、モーツァルトと同い年のヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756-92)や、マンハイム楽派の音楽にもぼんやりと感じた気がする... それは、モーツァルト、ハイドンのウィーンの古典派とは一線を画す、ドイツの古典派が持つ感覚なのか... 漠然と、古典派なんて、どれも同じような印象を持たれがちだけれど、丁寧に聴いてみると、地域性というのか、分水嶺が存在するように思う。そして、クネヒトがいる西麓は、やがてベートーヴェン(ウィーンで活躍したわけだけれど... ボン生まれ... )へと至る流れを見出すようで、とても興味深い。
さて、クネヒトは、後にシュトゥットガルトに宮廷に仕える(1807-08)ことに。で、ヴュルテンベルク王家のためにいろいろ作曲し... そんな作品が、"自然の音楽的描写、あるいは大交響曲"の後で取り上げられる。まず、ヴュルテンベルク王女カタリナと、ナポレオンの弟、ジェローム皇子の結婚式のプロローグのための序曲(track.9)。まさしく機会音楽の典型なのだろうけれど、表情に富み、思いの外、充実した序曲を聴かせ、やはり、どことなしにベートーヴェンの序曲を思い起こさせるのか。そして、シュトゥットガルト時代に作曲されたオペラ『アイオロスの竪琴』序曲(track.11)が最後に取り上げられるのだけれど、こちらは何となしにエキゾティックで、ウェーバーのオペラの序曲を思い起こさせ、魅力的。ちょうどベートーヴェンが『フィデリオ』に苦労している頃で、ウェーバーの『アブ・ハッサン』が初演(1811)される少し前... そうした時代の雰囲気を、クネヒトの序曲から何気なく聴き取ることができるのか。有名作品による点を結ぶものではない、広がりとしての音楽史を見出す。
そんなクネヒト再発見を促すのがベルニウス。ホフカペレ・シュトゥットガルトを率い、オペラ『アイオロスの竪琴』の全曲盤(Carus/83.220)を3年前にリリースしているだけに、"自然の音楽的描写、あるいは大交響曲"をメインとした最新盤でも、手堅い演奏を聴かせてくれる。が、ベルニウスならではの誠実な演奏は、ピリオド・オーケストラにしては少し物足りなさを感じなくもない。しかし、その誠実さが過不足無いクネヒトの素の姿を浮かび上がらせて、クネヒト再発見には、最良の足掛かり。で、忘れてならないのが、クネヒトによるアリアを歌うウェゲナー(ソプラノ)。派手なアリアはないけれど、さらりと愛らしく歌う姿が印象的。
そして、ベルニウス+ホフカペレ・シュトゥットガルトによるクネヒト再発見はまだ続くのか?シュトゥットガルト室内合唱団で、教会音楽あたりを聴いてみたいけれど... しかし、クネヒト再発見は、刺激的だ。音楽の常識に揺さぶり掛けてくるその作品、もっと聴いてみたくなる。

Justin Heinrich Knecht: Grande Symphonie
Sarah Wegener ・ Hofkapelle Stuttgart ・ Frieder Bernius


クネヒト : 自然の音楽的描写、あるいは大交響曲
クネヒト : オペラ 『村の巡査、あるいは恋する医者』 からの 3つのアリア *
クネヒト : 序曲
クネヒト : ブラヴーラ・アリア *
クネヒト : オペラ 『アイオロスの竪琴』 序曲

サラ・ウェゲナー(ソプラノ) *
フリーダー・ベルニウス/ホフカペレ・シュトゥットガルト

Carus/83.228




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