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グラウン、復活祭オラトリオ。 [2013]

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世界は、まさに受難の只中... そうした中で迎えた復活祭(昨日、日曜日が復活祭でした。からの、本日、嵐という展開... )。正直、ハッピー・イースターどころではない。ものの、窓の外には、穏やかな春が広がって、イエス様の復活ばかりでなく、自然の復活=春の到来を告げる復活祭でもあることを思い出させてくれる、この春の陽気(今日は寒いけれど... )。でもって、みんなが家に籠って生まれた静けさに漂う春の麗らかさは、いつもより際立つものがあるような気がして... 状況こそ最悪でも、窓を開けて感じられる(先日、我が家には、思い掛けなく、桜の花びらが舞い込んできました!)、その麗らかさに癒される。癒されて、再確認する。必ず春はやって来る、と... そう、籠っていれば、必ず復活の日がやって来る。籠れば、籠った分、早くやって来る。
そんな期待を籠めて... マイケル・アレクサンダー・ヴィレンズ率いるケルン・アカデミーの歌と演奏で、グラウンの復活祭オラトリオ(cpo/777 794-2)です。バロックを脱し、麗らかな古典主義の到来を告げるその音楽は、今の我々を勇気付けてくれる!

晴れやかなトランペット!華々しいオーボエ!春がやって来ましたよッ!という序奏の後で、萌え出づるように歌い出すコーラス... まるで、花々の芳しさを纏うそよ風のようで、麗らか。もう1曲目から魅了されてしまう。もちろん、復活祭のためのオラトリオ、キリストの復活を祝ってこそのものではあるのだけれど、春の訪れを強く意識させられるその音楽に、心躍らずにいられましょうや!その朗らかさ、誰が聴いても、嗚呼、春!春って、やっぱ、いいよね。となる音楽... で、そのベースにあるものは何か?というと、音楽史における"春"の訪れがあるのかなと... そう、グラウンの音楽の魅力は、バロックの重々しさから脱した、軽やかな古典主義の到来を告げるところ!かのフリードリヒ大王(在位 : 1740-86)の宮廷楽長だったグラウン(1704-59)。つまり、バッハ家の次男、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)の上司にあたる。ということで、ポスト大バッハ世代。けど、大バッハ(1685-1750)はまだまだ健在(1747年には、フリードリヒ大王の宮廷を訪ね、かの『音楽の捧げもの』が生み出されることになる... )で... グラウンの復活祭オラトリオを、バッハと同時代の音楽として聴くと、なかなか興味深い。いや、『音楽の捧げもの』の頑迷さを思い起こすと、グラウンの明朗さは、別次元(バッハの復活祭オラトリオを忘れるわけには行かなくて、それは、グラウンに劣らず、春めき、花々しいのだけれど、グラウンからかれば、やっぱりオールド・ファッション... )。一方で、グラウンが活躍した18世紀半ば、音楽に、次元が異なるほどの幅があったことが、凄い。過渡期、と言ってしまえば、それまでだけれど、バロックと古典主義の混在が、18世紀半ばの音楽を刺激的なものとしているように思う。で、グラウンの復活祭オラトリオも、その全てが最新のスタイルというわけではなく、復活祭のためのオラトリオとしての作法、伝統も残し、それがまたアクセントに...
3部構成によるグラウンの復活祭オラトリオは、バッハの復活祭オラトリオのように、厳密な意味でのオラトリオではない。復活祭とその後の2日間に歌われる3日分のカンタータをまとめたもの。だから、聖譚劇=オラトリオとしてのドラマティックさは希薄、元々のプロテスタントの教会におけるミサの面影も残る。要所、要所では、コラールが歌われて、祝祭の花やぎの中にも厳粛さがあり、第3部、導入のコーラスでは、まさしく教会風に立派なフーガ(track.22)を織り成して、壮麗さも見せる。さらに、受難曲での福音史家を思わせる、じっくりと語り掛けるようなレチタティーヴォ・セッコもあって... そういう作法、伝統をしっかりと包含することで、かえってアリアの花やかさ、芳しさを強調。また、多くのレチタティーヴォが、オーケストラ伴奏を伴うレチタティーヴォ・アッコンパニャートで歌われ、その情感の豊かさは、まるでオペラのよう。グラウンの復活祭オラトリオがいつ作曲されたかはわからない。が、古典主義を予感させるその音楽に触れれば、啓蒙専制君主、フリードリヒ大王の復活祭の礼拝のための音楽なのだろう(グラウンは、1735年、31歳の時に、まだ王太子だったフリードリヒ大王に仕え始める... )。王位に就くなり、ベルリンにオペラハウスを建設(1742年、グラウンのオペラ『クレオパトラとチェーザレ』によって開場... 現在のベルリン・シュターツオーパー... )し始めた、当代切っての音楽通、フリードリヒ大王だけに、その宮廷の礼拝のための音楽というのは、頑な作法や伝統に縛られることなく、王好みにオペラ的な要素がふんだんに盛り込まれ、ふわっと花々しく、芳しい。なればこそ春を感じ... その感じられる春に、復活への喜びが素直に表現されていて、かえって復活したキリストの存在の瑞々しさが際立つから、おもしろい!
それにしても、麗しくメロディアスなグラウンの音楽が素敵過ぎる。フリードリヒ大王の宮廷音楽というと、カール・フィリッフ・エマヌエルが活躍したこともあり、多感主義やギャラント様式のイメージがあるのだけれど、楽長、グラウンの音楽には、また違ったセンスがある。ヨーロッパを席巻したナポリ楽派に学んだろう明朗さが随所に感じられるも、それらに傾倒するばかりでない絶妙なバランス感覚もあって、どこか、ヘンデル(1685-1759)のようなインターナショナル・スタイルを見出す。で、アリアの数々は、実際にヘンデルを思わせて... ヘンデルを思わせるのだけれど、グラウンの音楽はよりやわらかで、時折、モーツァルト(1756-91)かという瞬間も... 第1部、アルトが歌う最初のアリア(track.3)のたおやかにして小気味良いところとか、テノールのアリア(track.5)の中間部、何とも言えず悩ましげな半音階の使用とか、第2部、バスのアリア(track.13)のキャッチーなところとか、第3部、ソプラノとテノールの二重唱(track.24)のやさしげな表情なんかも、まさにモーツァル!何より、全てのナンバーにおいて無駄が無く、安定した音楽を繰り出すあたり、古典派流かなと... で、大胆だったけれど、少しまどろっこしいような、時として不安定な、後輩、カール・フィリッフ・エマヌエルの先を行くのかなと... なればこそ、さわやかで、モーツァルトへとつながる道筋が示される。いや、なかなか興味深い。
そんな、グラウンの復活祭オラトリオを取り上げるのが、ヴィレンズ+ケルン・アカデミー。ブラウティハムのモーツァルトのピアノ協奏曲のシリーズで、一貫して小気味良い演奏を聴かせてくれた彼らだけに、モーツァルトとの近さを感じさせる仕上がりとでも言おうか... より先の時代を思わせる明朗さを引き出すヴィレンズ。ケルン・アカデミーの演奏は、明瞭でありながら、そこはかとなしに花やいで、色彩感に富むのが印象的。で、それは、コーラス部隊にも言え、程好い色彩感を湛えたハーモニーはやわらかく... 元来、辛気臭いコラールでは、その色彩感が絶妙に作用して、やさしさが広がり、癒される。それから、4人のソリスト... 小鳥がさえずるようなコウトヒリストウの愛らしいソプラノ、凛としたサスコワのアルト、添え渡るコボウのテノール、軽やかですらある表情に富んだヴォルフのバスと、それぞれに魅力を放ちながら、それぞれに古典主義の明快さを捉えて、さわやか!いや、全てが相俟って、引き出される、作曲家、グラウンの魅力!グラウンの復活祭オリトリオは、極めてマニアックな作品だけれど、マニアックであることを忘れるほど、音楽そのものに惹き込まれる。惹き込まれて、眼前に広がるのは、そよ風が花々を揺らすで春の野原... 何と麗らかな!

Carl Heinrich Graun • Easter Oratorio • Kölner Akademie • Willens

グラウン : 復活祭オラトリオ

ニーナ・コウトヒリストウ(ソプラノ)
ダグマール・サスコワ(アルト)
ヤン・コボウ(テノール)
アンドレアス・ヴォルフ(バス)
マイケル・アレグザンダー・ウィレンズ/ケルン・アカデミー

harmonia mundi/HMU 807553




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