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テレマン、ルカ受難曲。 [2013]

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緊急事態宣言、出ました。が、出ようが、出まいが、我々がやるべきことは、何も変わりません。不要不急の外出を控え、3密避けての、手洗い、マスク... これらを淡々とやるのみ。で、やり切れば、やり切っただけ、早くこのトンネルから抜け出せるわけです。無駄に多いコメンテーターのコメントや、微妙なネットに漂う情報はシャットアウト。ただトンネルの先だけを目指して突き進むのみ。で、その歩みに集中するために今日も音楽を聴くわけです。さて現在、四旬節中... コロナですっかり吹っ飛んでいましたが、教会歴では、今、まさに、四旬節の山場、聖週間(キリストの受難を辿る週間... )を迎えております。ということは、まさに受難曲を聴くべき週間ということになります。いや、この受難の日々の最中、今こそじっくり聴いてみたい受難曲かも...
しかし、バッハではありません。マイケル・アレクサンダー・ヴィレンズ率いる、ケルン・アカデミーの演奏と合唱、ソリストにはドイツの歌手を手堅く揃えての、テレマンのルカ受難曲(cpo/777 754-2)を聴く。そう、テレマンも受難曲を書いておりました。

受難曲というと、やっぱりバッハのイメージが圧倒的!なものだから、バッハの他に受難曲を書いた人、いるのかな?くらいに、普段、思ってしまう。が、けして、そのようなことはございません。というより、ここで聴くテレマンをはじめ、多くの作曲家が受難曲を書いている!教会歴において、復活祭(2020年は、4月12日!)の前日までの1週間、聖週間、プロテスタントでは受難週と呼ばれる1週間は、キリストの受難の日である聖金曜日を頂点に、極めて重要な位置付け... そのための特別な音楽も欠かせないわけで... その主役が、受難曲!当然、バッハの2つだけでは、事足らない。そもそも、受難曲の歴史は古く、初期の教会において、聖週間に福音書のキリストの受難を描いた部分を朗読したことに端を発し... 朗読はいつしか朗唱となり、やがて、応唱の形式を取るようになり... さらに、中世の典礼劇の影響もあって、受難のインパクトをより劇的に伝えるために、朗唱、応唱からもう一歩を踏み出して、受難の物語をドラマとして歌うように... そうしてルネサンス期に整えられたのが、受難曲。けど、受難曲が、いわゆる受難曲としてのドラマティックさを発揮するのは、バロック期に入ってから... ポリフォニーに代わるモノディーが発明され、また器楽伴奏を伴うコンチェルタート様式が広まったことで、音楽による感情表現が格段に広がると、受難曲は、バロックの革新を吸収し、受難のエモーショナルさをそのまま表現するに至る。その集大成とも言えるのが、バッハの2つの受難曲。いや、そればかりでなく、多彩な受難曲が存在し... というより、各教会では、毎年、聖週間、受難週のために受難曲が準備されており、テレマンは、何と46曲も書いている(が、その半数ほどが失われてしまっている... )!1721年に、都市国家、自由ハンザ都市、ハンブルクの音楽監督、カントル(=聖歌隊長)に就任したテレマンは、その翌年から、1767年の死の年まで、毎年、1曲、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順で受難曲を作曲。こうしたあたりからも、受難週に受難曲は欠かせなかったことが窺える。さて、ここで聴くルカ受難曲は、TWV 5:13、ハンブルクで仕事を始めて7年目、1728年に作曲された、2度目のルカ受難曲(最初のものは、1724年の作曲で、全部で11曲のルカ受難曲を作曲している... )。
奇しくも、バッハがライプツィヒでマタイ受難曲を作曲した翌年の作品、テレマンのルカ受難曲。いや、両者を並べると、それぞれの音楽の特徴が際立つ!受難週の意味合いを強く意識付ける、重々しい合唱で始まるバッハに対し、そうした扉を取っ払って、即ドラマを動かすような情感に溢れるレチタティーヴォ・アッコンパニャートで始めるテレマン... それは、受難曲というより、オペラか?1722年から、ハンブルクのオペラハウス、ゲンゼマルクト劇場(駆け出しのヘンデルが修行した、ドイツ初の公開のオペラハウス... )の音楽監督も兼務したテレマンだけに、そうした経験も反映されているように思う。聖書の登場人物たちは、聖書という枠組みを飛び出して、表情に富む姿を見せ、受難曲という形式をひとつ乗り越えたドラマを繰り出す。で、そんなテレマンの受難曲に触れると、バッハの受難曲が、実に伝統(会衆が歌うコラールをきちんと挿み、福音史家が、終始、ナレーターとしての役割を果たし... )を大切にしていたか思い知らされる(裏を返せば、バッハのオールド・ファッションを再確認... )。もちろん、テレマンにも、伝統に則ったところはしっかりとあり、福音史家が登場すると、バッハとそう変わることなく、実直な音楽で、じっくりと聖書をなぞってみせて... つまり、オペラで聴き手の心を引き付けてから、伝統で以って受難週の厳粛さを沁み渡らせる展開とでも言おうかか... 何だか、カトリック陣営の対抗宗教改革の手法に通じるものがある?いや、こういう巧さこそ、作曲家、テレマンかなと... でもって、ドラマが少し冗長になったかな?というところで、魅力的なアリアを繰り出して、再び、音楽に色彩感を取り戻す絶妙さも... 2枚組の長丁場、折り返しとなる、第4部(disc.2)が始まるところでは、再びオペラ的な花やかさを見せ、伝統とも丁寧に折り合いを付けながら、受難劇の佳境を盛り上げる。しかし、下手に沈痛になったり、激情に走ったりしないのが、都会派、テレマン。で、何とも言えないやさしさを音楽から放ってみせて... 最後、閉会のアリア(disc.2,track.20)の穏やかさには、じんわり、癒される。そうしたあたりに、テレマンの人柄すら感じられるようで、何気に感慨深くもある。
という、テレマンの受難曲を聴かせてくれる、ヴィレンズ+ケルン・アカデミー。まず、印象に残るのは、テレマンならではの、どこかほのぼのとしたあたりを、卒なく響かせて、耳に心地良いこと... ケルン・アカデミーのオーケストラ部隊の、ピリオドだからとエッジを鋭く研ぎ澄ませるばかりでなく、ありのままをふんわりと表現して生まれる心地良さに惹き込まれる。それは、きちんとクリアなのだけれど、ヴィレンズの巧みな指揮によって、そのクリアさに何とも言えないニュアンスを含ませ、実直なドイツ・バロックをやわらかに仕上げる。なればこそ、大都市、ハンブルクのテレマンならではの、シティ・ポップな感覚がそこはかとなしに引き立って、元来、沈鬱であるはずの受難曲でも、大いに魅了されてしまう。そこに、手堅いパフォーマンスを聴かせるソリストたち... 丁寧にテレマンのスコアを捉えながら、瑞々しい歌声で、テレマンの色彩を持った音符を捉え、またさらに魅了して来る。オペラ的な部分では明朗に、受難曲の伝統に則った部分では、真正直に、巧みに歌い分けるような感覚もあり、このルカ受難曲のおもしろさ、テレマンの見事な手腕をしっかりと聴かせてくれる。そして、欠かせないのが、ケルン・アカデミーのコーラス部隊。派手に活躍することはないものの、やはり受難曲には欠かせないコーラス... コラールでは素朴に、合唱曲では活き活きと歌い、全体をしっかりと締める。そうして味わうテレマンの受難曲。すばらしいです。いや、バッハばかりではないなと、つくづく、思う。

Telemann ・ Lukaspassion 1728 ・ Kölner Akademie ・ Willens

テレマン : ルカ受難曲 TWV 5:13

ヴォルフガング・クローゼ(テノール)
マルクス・ウルマン(テノール)
クリスティアン・ヒルツ(バリトン)
レイモンド・スポーギス(バリトン)
ティロ・ダールマン(バス)
マイケル・アレグザンダー・ヴィレンズ/ケルン・アカデミー

cpo/777 754-2




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