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シルヴェストロフ、沈黙の歌。 [before 2005]

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2つのヴィオラ・ダ・ガンバでゴルトベルク変奏曲、ボルトニャンスキーの教会コンチェルト、藤枝守の『植物文様』と、バロックに、古典主義に、現代音楽と、幅広く癒されております、10月... それにしても、クラシック=癒し系なんていうレッテル貼りを忌み嫌っていた頃からしたら、何たる軟弱!頭のどこかで、そんな風なことを思わなくもないのだけれど、いやいやいや、「癒し系」上等!クラシックが本気出したら、アダージョだの、イマージュだの、屁だからね。前回、聴いた、『植物文様』なんて、見つめれば見つめるほどに、考え抜かれての「癒し系」であって、何となしの「癒し系」とは明らかに一線を画す。で、久々にその音楽を聴けば、癒されるばかりでなく、癒されていることに、我々が、普段、聴いている音楽が失ってしまった、よりナチュラルだった感覚を意識させられ、感慨深く... 失われてしまった感覚を意識させられることに、某かのセンチメンタルを掻き立てられ、単に癒されるばかりでない感情も滲む。考えてみれば、癒しは、痛みと表裏。「癒し系」が生まれるところには、必ず時代の痛みが介在していたのだろう。ということで、まさに、痛みが生む「癒し系」を聴いてみようかなと...
20世紀後半、東西の冷戦の時代、多くの芸術家が傷を負った、ソヴィエトの全体主義の中、いとも密やかなる音楽を紡ぎ出した、希有な作曲家、シルヴェストロフ(b.1937)を見つめる。セルゲイ・ヤコヴェンコ(バリトン)の歌、イリヤ・シェップスのピアノで、シルヴェストロフのソヴィエト時代の作品、歌曲集『沈黙の歌』(ECM NEW SERIES/982 1424)で、癒される。

シルヴェストロフが生まれた1937年は、ショスタコーヴィチの代表作、5番の交響曲が初演された年... 初演は熱狂的に迎えられ、ショスタコーヴィチにとって、まさに輝かしい年となった。が、その輝かしさの裏には、忍び寄るスターリンの独裁の闇があって... その前年、1936年、ソヴィエト共産党の機関紙、『プラウダ』の社説において、1934年の初演以来、人気を博していたオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1934)が批判を受ける。つまり、「社会主義リアリアズム」という名の検閲の始まり... 体制から目を付けられたショスタコーヴィチは、体制に如何にして認めてもらおうか、神経をすり減らしながら5番の交響曲を書き上げる。もはや、それは、創作ではなく、サヴァイヴァル。そして、ショスタコーヴィチに限らず、ソヴィエトを生きる芸術家、全てが、サヴァイヴァルを強いられた。しかし、緊張状態は、やがて緩む... 1953年のスターリンの死と、それを受けての1956年に始まるスターリン批判。さらに、米ソの雪融け(1955-58)、そしてデタント(1960年代末から70年代に掛けて... )があり、東西の音楽界は交流を持ち、閉鎖的だったソヴィエトの楽壇にも、西側の先鋭的な音楽が紹介される機会が生まれる。若い世代の作曲家たちは、大いに刺激を受け、新しい音楽をいろいろ試みた。今や、現代音楽における「癒し系」として存在感を示すシルヴェストロフも、1960年代には、西側の戦後「前衛」に負けず、十分に尖がっていた。が、ソヴィエトに、真の創作の自由なぞ望めるものではなく、緩めばまた引き締められる。1974年、尖っていたシルヴェストロフは、ソヴィエト作曲家同盟から除名され、作品は、ソヴィエトで演奏禁止になる。
という1974年から、1977年に掛けて作曲されたのが、歌曲集『沈黙の歌』(disc.1, track.1-12 disc.2, track.1-12)。プーシキンら、19世紀、ロシアの詩人たちに、エセーニンら、20世紀、ソヴィエトの詩人、さらに19世紀、イギリスのキーツ、シェリーの詩も取り上げての、4つのパート、24曲からなる大作なのだけれど... いや、除名されて、禁止になっての、沈黙なものだから、何だか切なくなってしまう。で、その音楽、24曲、丸々、やっぱり切なくて、儚くて... いや、あまりに儚くて、風が吹いたら、スコアに記された音符は、ぱぁっと、どこかへ飛んで行ってしまうんじゃないかと思うくらいで、ちょっと心配になってしまう。けど、その儚さが、たまらない... どの曲も、とても1970年代とは思えない、懐古的なトーンを放ち、マーラーの歌曲?例えば、リュッケルト歌曲集の「私はこの世に捨てられて」の、叙情的で、美しく、厭世感に包まれた音楽を思い起こす。とはいえ、マーラーのようで、マーラーではなく、19世紀のロシア歌曲のような、古い流行歌のような、民謡のような、どこかで聴いたような懐かしさを感じさせるメロディーが、ピアノの伴奏を伴い、ふわふわと宙を漂うように歌われる。で、おもしろいのが、どこかで聴いたようで、どこで聴いたかには絶対に辿り着けないところ... まるで、音楽史を浮遊する、音楽の幽霊のよう。おぼろげで、心許無く... しかし、その存在感の希薄さに、どうしようもなく惹き込まれてしまうという不思議。ソヴィエトのままならなさに対する諦念が引き出したのだろう突き抜けた境地は、ソヴィエトの記憶を越えて、あらゆる時代のままならなさを呑み込み、全てを癒すのか。その静かなる懐の大きさに感じ入る。
そんな『沈黙の歌』の魅力を、雄弁に聴かせてくれるのが、ヤコヴェンコのバリトン。雄弁といっても、感情豊かに歌い上げるなんてことは一切しない。それどころか、囁くように歌い、聴く者の耳元に、そっと語り掛けるかのよう。そっと語り掛けながらも、バリトンならではの深いトーンから情感豊かに、しっとりと歌い、ロシアならではの詩情をたっぷりと味あわせてくれる。で、その歌声が、ひたすらにやさしい。というヤコヴェンコに寄り添う、シェプスのピアノがまた美しく... まどろみの中を漂うような響きは、控え目だけれど、やはり詩情に溢れ、魅了されずにいられない。で、それらの魅力をより引き立てているのが、古い録音!1986年、モスクワでの録音だと言うから、まさにソヴィエトの末期。機材もきっと古いものを使ったのだろう、わずかにノイズも混じり、澄み切ったサウンドとはとても言えないのだけれど、このヴィンテージ感が、どうしようもなく味わい深いものにしてしまう魔法!いや、何だか、あの世から聴こえて来るような、そんな感覚すらある。ソヴィエト・クウォリティだからこそ表現し得る音楽世界の妙... ただならない癒しを21世紀にもたらす。

VALENTIN SILVESTROV SILENT SONGS

シルヴェストロフ : 歌曲集 『沈黙の歌』
シルヴェストロフ : オシップ・マンデリシュタームによる4つの歌 *

セルゲイ・ヤヴェンコ(バリトン)
イリヤ・シェプス(ピアノ)
ヴァレンティン・シルヴェストロフ(ピアノ) *

ECM NEW SERIES/982 1424




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