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ジョン・ルーサー・アダムズ、ビカム・オーシャン。 [2014]

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秋バテどころか、どうも2018年にもバテている?ということで、10月は、「癒し系」で、癒され中であります。さて、ポスト・クラシックという位置付けになるのか、ヒーリング・ミュージックやニュー・エイジ、アンビエント・ミューシックや環境音楽も一緒くたになって紹介される帰来のある、「癒し系」としてのクラシック。一般からしたら、クラシックも、ポスト・クラシックも、似たような印象になってしまうのだろうな... いや、あり得ん!確固たるクラシックを信じている立場からすると、怒り心頭?いやいや、そんな石頭だと、ますますクラシックは嫌われてしまう... いやいやいや、クラシックというジャンルを形成した音楽史を振り返れば、まさに異ジャンルとのフュージョンの歴史であって、ラプソディー・イン・ブルーとか、今じゃ、古典よ!ならば、クラシックとポスト・クラシック、一緒くたになって、新たな音楽が生み出されたら、おもしろいんじゃね?シンフォニックな「癒し系」とか...
という、無謀な問いを立てて聴いてみる、もうひとりのジョン・アダムズ。ルドヴィク・モルロー率いる、シアトル交響楽団の演奏で、アラスカの大自然に抱かれて作曲する、ジョン・"ルーサー"・アダムズ(b.1953)のビカム・オーシャン(cantaloupe/CA 21101)を聴く。

ジョン・アダムズというと、オペラ『ニクソン・イン・チャイナ』や、シェイカー・ループス、ハーモニウムといった作品で人気を集める、ポスト・ミニマルの旗手、カリフォルニアを拠点とする作曲家、ジョン・"クーリッジ"・アダムズ(b.1947)のことがすぐに思い浮かぶ。だから、もうひとりジョン・アダムズがいると知ったら、戸惑う?いや、2人のジョン・アダムズを混同していたり?何を隠そう、かつてのワタクシがそうでした... てか、ジョン・"ルーサー"・アダムズも、ポスト・ミニマル的な手法を用いるものだから、ついね... って、それは言い訳でありまして、実際の2人のジョン・アダムズは、とても対照的。"クーリッジ"が、カリフォルニアらしい明快さで以って、都会的なポスト・ミニマルを繰り出す一方、"ルーサー"は、アラスカの大自然を見つめ、その壮大さ、厳しさ、美しさから、時として荒削りなところも見せながら、真っ直ぐに音楽を織り成して行く。で、結果的にミニマルっぽい音楽を響かせる。同じアメリカ、6つの歳の差、2人の間にそう距離は無さそうで、2人のアダムズが暮らす、カリフォルニアとアラスカという場所が、それぞれの音楽を象徴するように思う。で、ここで聴くのは、アラスカの方...
音楽の中心から遠く離れ、僻地、アラスカで創作を続けるジョン・"ルーサー"・アダムズは、なかなか興味深い人物である。元々、東海岸で、ロックをやっていたのが、ヴァレーズの音楽に触れ、現代音楽を志すことに... 西海岸、カリフォルニア芸術大学に進み、テニー(コンピューター・ミュージックの草分けで、機械を用いて音楽を解析的に見つめた鬼才... )に学び、20世紀アメリカの実験的な音楽(パーチナンカロウ、ハリソン、フェルドマンら、既存の音楽の在り方から飛び出し、独自の音楽世界を築いて行った異才たち... )から大きな影響を受け、一方、環境保護の活動にも取り組み、このことが、"ルーサー"をアラスカの大自然へと導く... 1975年、初めてアラスカを訪れたのを契機に、やがてアラスカに生活の拠点を移し、1980年代は森の中に自ら家を建て、ワイルドに暮らしていた。その後、アラスカ、第2の都市、フェアバンクスに移り、改めて作曲に力を入れ、さらにその創作の関心は、メディア・アートにも及び、音を用いた様々なインスタレーション作品を発表。大自然とテクノロジー、音楽から美術までと、何だか凄い!いや、アラスカの"ルーサー"のスケールの大きさに、感服。
という"ルーサー"の2013年の作品、シアトル響の委嘱作、ビカム・オーシャン。まず、驚くのが、1トラックのみ、42分という無頼!こういうところにも、アラスカのスケールを感じたり... で、become ocean、大洋に成るという、これまたスケールの大きいタイトルでして、その通りの壮大な音楽を繰り広げ、圧巻!始まりは、深海を思わせる重苦しい静寂が広がる中、微かに音が聴こえて来て、海面に向けて上昇して行くような感覚に包まれる。分厚いオーケストラによる音響は、大洋の深い青をイメージさせ、吸い込まれそう。そこに、気泡のようなパルス(ミニマルっぽく、ガムランっぽく、音階を上がったり下がったり... )が浮かび上がり、軽やかな表情も作り出し... 重厚な音響と軽やかなパルスが寄せては返し、高まり、引き、大きなうねりを創り出して、聴く者を呑み込むかのよう。呑み込まれて、生命の起源の気泡へと帰すような、母なる海が表れ、何とも言い難い安堵感が心に充ちて来る。これは、シンフォニックな環境音楽と言えるのかも... いや、シンフォニックなヒーリング・ミュージック?理屈抜きにオーケストラの響きに身を浸し、陶酔し、音となった海流に、深層流に、心洗われる。
ということで、ニュー・エイジにカテゴライズされてもいいくらいの印象を受けるのだけれど、しっかりとシンフォニックに鳴らすことで、クラシックとしての確かな聴き応えもあって... だから、何となく大洋っぽいのではなく、パワフルに存在感を主張する海となる。このあたりは、ガチで自然と対峙した"ルーサー"ならではの説得力というのか、そのスケール感にきちんとした質量を感じられるのが凄い。なればこそ、安心して身を浸すことができ、癒されもする。そんなビカム・オーシャンは、20世紀のドビュッシーに負けない、21世紀の『海』だ。それでいて、ドビュッシーの『海』が北斎の海ならば、"ルーサー"の大洋は『ナショナル・ジオグラフィック』の海(このアルバムには、実際に『ナショナル・ジオグラフィック』の写真家、チェスリーとメッケルマンが撮影した海の写真がスライドショーとしてDVDで付いている!)。科学的で、映像的で、ドキュメント・タッチで、音楽とは思えない瑞々しさがある。そこには、アラスカばかりでない、"ルーサー"の様々な経験がしっかりと活きている。
そして、このビカム・オーシャンを聴かせてくれる、初演者たち、モルロー+シアトル響... 息の長い音楽、どう展開しようか、悩ましいところだけれど、ナチュラルにうねりを創り、しっかりとオーケストラをコントロールするモルロー。フランスのマエストロならではの色彩感の冴えも感じられ、"ルーサー"の音楽に深みを与えるよう。そんなモルローに応えるシアトル響の瑞々しいサウンド!42分、切れ目無しに、ひたすら続く音響を、まさに海流のごとく展開して、飽きさせない。アメリカのオーケストラというと、解り易い音を繰り出して来る印象があるけれど、彼らは一味違うシンフォニックさが印象的... だからと言ってヨーロッパ的でもなく、独特な濃密さというか、濃密であるがゆえにまろやかでもあって... 西海岸にして、アラスカにより近い、シアトル、ワシントン州の空気感がそうさせるのだろうか?それと、フランスのマエストロとのケミストリーが絶妙だったのだろう。が、このコンビ、今シーズンを以って終了とのこと... 何だか、凄く、残念。

john luther adams become ocean seattle symphony ludovic morlot

ジョン・ルーサー・アダムズ : ビカム・オーシャン

リュドヴィク・モルロー/シアトル交響楽団

cantaloupe/CA 21101



参考資料。




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