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藤枝守、植物文様。 [before 2005]

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どうやら、秋バテらしい... ということで、10月は「癒し系」で癒されようという魂胆であります。さて、クラシックにおける「癒し系」において、何気に存在感を見せるのが現代音楽!現代音楽?音列だの、偶然だの、図形だの、具体だの、電子だの、音響だの、尖がってナンボのもの、といった観が否めない現代音楽のイメージなのだけれど、よくよく見つめると、尖がり方も様々で、複雑怪奇なところへと陥った現代音楽への反動から、シンプルを極めたミニマル・ミュージックが生まれたり... 宗教が禁止されていたソヴィエトで生まれ育ったペルトは、かつての宗教音楽の静謐さを呼び戻すことで、密やかに体制へ反発し、そこから自らの音楽性を確立したり... シンプルだったり、静謐だったり、何に対して尖がるかによって、現代音楽のイメージも様々に広がる。つまり、現代音楽にも「癒し系」は成り立ち得る!というより、難解な"ゲンダイオンガク"に対して、「癒し系」であり得るなんて、何たるラディカル!でもって、まさに、身体に心地良い音楽を追求する作曲家がおりまして...
ただならぬ視点、スケールで音楽を見つめ、極めてラディカルな姿勢を示しながら、ただならず美しい響きを生み出す希有な作曲家、藤枝守(b.1955)。電気的に植物の歌(葉表面における電位変化とのこと... )を読み取り、音楽に仕立て直したという異色のシリーズ、『植物文様』から、箏を中心にした作品(ALM RECORDS/ALCD 52)を、箏曲家、西陽子の演奏で聴く。

西洋音楽の基盤となった平均律を絶対視しない。植物が発する信号を電気的に拾い音楽にする。藤枝ワールドは、実にラディカルだ。ピアノの鍵盤の並びに疑問を投げ掛け、葉っぱに作曲を委ねてしまうのだから... けれど、ふと冷静になって藤枝ワールドを見据えると、我々が聴き馴染んで来た音楽こそ、実は、我々の聴くという感覚の純粋さを、どこかで切り捨てて来たことを教えてくれる。経済ばかりでなく、音楽もまた効率優先で発展して来た歴史がある。そうした歴史を丁寧に見つめ、改めて、本当に心地良い響きへ立ち返ろうとする藤枝作品... ここで聴く『植物文様』のシリーズは、ある意味、究極的に「癒し系」と言えるのかもしれない。植物が発する信号、まさに自然の歌を採譜し、人間の耳により自然に寄り添う調律で奏でる。当然、対位法だ、12音技法だと、気難しいロジカルなものが入り込む隙は無く、感覚的であることが全てとなり、ただナチュラルな音が訥々と連なり、植物による文様が描かれて行く。それは、ミニマル・ミュージックに似て、シンプルな音楽を紡ぎ出すのだけれど、植物の形に似て、葉の形は同じでも、幹があり、枝があり、少しずつ様子を違えて、ふと花が咲き、実を結び、ミニマル・ミュージックの画一的な音楽とは違う、自由な展開に、何とも言えない心地良さを覚える。
で、ここで聴くアルバムは、『植物文様』のシリーズから、和楽器のための作品が並ぶのだけれど、この西洋ではない楽器の響きが、音楽によりニュートラルな感覚を生み出し... 西洋の楽器の確立された響きとは違う、より自然に近い表情を残す和楽器の風合が、植物による音楽のナチュラルさをより引き立てる。一方で、お正月をイメージしてしまう箏の音色が、何者でもない植物による音楽を奏でれば、お正月でも、和楽器でもない、まっさらな表情が生まれて、またニュートラル!いや、1曲目、箏笙組曲(track.1-4)の始まり、静かに、ぽつりぽつりと弾かれる箏の音色からして、聴き入ってしまう。何か、古代ギリシアの音楽でも聴くようなアルカイックさが漂い、それが何の楽器であったかを完全に忘れさせる。またそこに笙が加わるのだけれど、笙の音色もまた不思議で、その澄み切ったヴィヴィットなサウンドは、箏が放つアルカイックさに色彩を纏わせ、霞みのように広がって... いや、風のようであり、雲のようであり、箏も含め、その響きには、自然そのものを感じる。植物が作曲(もちろん、音楽として成立させるには、藤枝の存在は欠かせない... )すると、こういう音楽になるのか?作為的なものを一切感じさせない、そのあまりにナチュラルな佇まい... それは、究極的な環境音楽と言えるのかもしれない。
一方で、思い掛けなくメロディアスなところに出くわして、ハッとさせられる瞬間も... 箏笙組曲の最後のパターン(track.4)、箏が、中世を思わせるメロディーを滔々と歌い出して、おおっ?!となる。単なる音の連なりを越えて、メロディーに成り得てしまう植物が発する信号の興味深さ。普段、耳にすることはけしてできないけれど、こんな風に植物たちが歌う日もあったのかと思うと、何だか微笑ましい。また、十七絃箏組曲の3つ目のパターン(track.7)、軽やかに弾むメロディーは、アルス・スブティリオルの音楽のようで、またそれがポップですらあって... 続く、最後のパターン(track.8)もまたそうで... 普段、静かに佇んでいるだけに見える植物たちが、こんなにも楽しげなリズムを刻むことがあるのかと思うと、植物に対する見方は変わるよう。で、おもしろいなと思うのが、それらメロディーが中世っぽいところ。裏を返せば、中世の音楽は、自然に近かったと言えるのかもしれない。平均律が確立される以前の音楽のナチュラルさを、植物による音楽は教えてくれるのかもしれない。それにしても、音楽として押し付けがましさを感じさせない『植物文様』の希有な存在感たるや!作為の無い音楽のストレスの無さに、かえって衝撃を受ける。そして、スーっと身体に沁み込んで、深く、深く癒される。
という希有な音楽を、より希有なものとしているのが、箏曲家、西の演奏。いや、今さらながらに箏という楽器の可能性に驚かされ、圧倒され... 普段、如何に、この楽器のステレオタイプに囚われていたかを思い知らされる。一方で、伝統楽器である箏に対し、ここまでニュートラルに向き合える西の大胆さにも感服。そうして得られる、神々しいほどのサウンド!そのサウンドに触れると、西洋、東洋という線引きが、何だか虚しく思えるほどで、文明が分化する以前の太古を思い起こされるよう。特に、十七絃箏の重厚な響きは、大地から響くような静かな迫力があり... 十七絃箏と笙のための二重奏組曲「七の調べ」の3つ目のパターン(track.15)などは、その深い音色から、穏やかに音符を捉えれば、まるでニュー・エイジ?大地どころか、もはや宇宙を思わせて、スペイシー... そんな箏の音色に、光が差すように響く、石川の笙もまた印象的。その澄んだ音色は、天から聴こえて来るようなヘヴンリーさがあって、惹き込まれる。いや、和楽器って、なんてエッジーなのだろう。西洋の楽器には無いヴィヴィットさが、とても新鮮。またそれを存分に引き出す、藤枝ワールドであり、『植物文様』であって... いや、音楽そのものを、今一度、見つめ直す機会を得て、感慨深い。

西陽子 : 箏組曲 | 植物文様 | ― 藤枝守作品集

藤枝 守 : 『植物文様』 第11集 箏笙組曲 *
藤枝 守 : 『植物文様』 第6集 十七絃箏組曲
藤枝 守 : 『植物文様』 第8集 箏独奏組曲 「五の調べ」
藤枝 守 : 『植物文様』 第9集 十七絃箏と笙のための二重奏組曲 「七の調べ」 *
藤枝 守 : 『植物文様』 第4集 瑟箏組曲 *

西 陽子(箏/瑟)
石川 高(笙) *
丸田美紀(箏) *

ALM RECORDS/ALCD 52

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s.sachiko

初めまして。来たる10/19に都内でピアノリサイタルを行うのですが、「植物文様」を演奏予定で、ネットで情報を探していたらこちらへ辿り着きました。
実は同日にハンス・オッテの「響きの書」も演奏するのですが、以前 響きの書 で検索してもこのブログに辿り着きましたので…コメントしたくなりました。笑
和楽器での植物文様は聴いたことがないのですが、ピアノでの演奏とは違ったものになりそうですね…

少し見たところ幅広く聴いてらっしゃって、ブログの文章もとても丁寧なので、また読みに来たいと思います。
by s.sachiko (2018-10-16 02:04) 

carrelage_phonique

はじめまして、コメント、ありがとうございます!

『植物文様』と『響きの書』ですかッ?!なんて素敵な... いや、カッコいい...
こういう組合せを求めてました。こういうセンス、企画が増えれば、クラシックも、もっと具体的に現代人の耳を捉えるように思うのです。って、生意気、申しまして、スミマセン。

リサイタルの成功、お祈りしております!

p.s. 和楽器での『植物文様』も、素敵ですよ。というより、凄いです。是非...



by carrelage_phonique (2018-10-16 14:13) 

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