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ボルトニャンスキー、教会コンチェルト。 [before 2005]

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20世紀末から21世紀初頭に掛けて、クラシックは、癒し系として持て囃されておりました。いやいやいや、癒しばかりじゃないから。『春の祭典』とかもあるから。なんて、ツッコミを入れずにはいられなかった、あの頃... 「癒し系」なる括りが、どうにも安っぽく感じられて、クラシックを甘く見んな、ボケェ... みたいに、やさぐれておりました。が、今、あの頃の情景を振り返ってみると、なかなかおもしろかったのではないかと、違った見方ができるような気がする。何だか気難しいクラシックが、お手軽なヒーリング・ミュージックとして再ブレイクを果たしたわけです。これって、ある意味、殻を破ったと言えるのでは?「癒し系」なるレッテル貼りの良し悪しは一先ず置いといて、アカデミズムの内で語られないクラシックというのは、なかなか新鮮だったのかもしれない。けど、「癒し系」として紹介されるクラシックって、生温い気がするのだよね。なんか、そういうあたり、不満(「癒し系」拒否反応なあの頃から一周回ってのこの境地!)。そこで、今、改めて、クラシックの癒しを探ってみたいなと... 秋バテ、2018年バテを癒し、浄化するために... 前回、ゴルトベルク変奏曲に続いての、ロシアの聖歌。
ロシアの伝統に、イタリア仕込みの西欧のスタイルを融合させた異色のウクライナ出身の作曲家、ボルトニャンスキー... ヴァレリー・ポリャンスキー率いる、ロシア国立シンフォニック・カペラによる、ボルトニャンスキーの教会コンチェルトのシリーズから、35の教会コンチェルト集の最後、30番から35番を取り上げるVol.5(CHANDOS/CHAN 9956)を聴く。

ドミートリー・ステパーノヴィチ・ボルトニャンスキー(1751-1825)。
モーツァルト(1756-91)が生まれる5年前、現在のウクライナ、フルーヒウ、ロシア語でグルーホフ(ロシアとの国境に近い街で、当時は、ロシア帝国に組み込まれたヘーチマン国家、"左岸ウクライナ"、コサックの自治領だった... )に生まれたボルトニャンスキー。グルーホフの街には、聖歌隊で歌うボーイ・ソプラノを養成する音楽学校があって(そもそも、優秀なボーイ・ソプラノを輩出する土地だったことから音楽学校が設立される... )、ボルトニャンスキーもそこで教育を受けると、その歌声はすぐに評判となり、7歳にして、帝国の首都、サンクト・ペテルブルクの宮廷礼拝堂の聖歌隊に加わる。ここで、ヴェネツィアからやって来ていたお雇い外国人、ガルッピ(1706-85)に師事。1768年、ガルッピが帰国してしまうと、翌、1769年には、宮廷の支援でイタリアへと留学。本場の音楽をしっかり吸収すると、1776年、ヴェネツィアの劇場にて『クレオンテ』でオペラ・デビュー!さらに2つのオペラをイタリアで上演し、10年に渡る修行を終え、1779年に帰国。ボルトニャンスキーは、28歳にして宮廷楽長に大抜擢!ま、複数いた楽長(例えば、パイジェッロとか... )のひとりではあったのだけれど、ここに、ボルトニャンスキーのロシアでの輝かしいキャリアが始まる。1785年、皇太子、パーヴェル大公の楽長に就任。1796年、その大公が、パーヴェル1世(在位 : 1796-1901)として皇帝に即位すると、ボルトニャンスキーは、かつて、歌い、学んだ、サンクト・ペテルブルクの宮廷礼拝堂の聖歌隊の楽長に就任、ロシアの合唱を西欧的なものにしようと改革に乗り出す。そのひとつの雛型であり、象徴とも言える作品が、ここで聴く教会コンチェルト。
17世紀に登場したとされる、ロシアにおける教会コンチェルト... それは、聖体拝領の時、ミサの散会の時に歌われる聖歌(つまり、典礼音楽とはまた別のもの... )で、パーヴェル1世の母、エカチェリーナ2世(在位 : 1762-96)の時代、ガルッピらの手によって、西欧のスタイルが導入され始めると、より充実したハーモニーを響かせ、コンサート・ピースとしても歌われるようになる。とはいえ、あくまで聖歌であって、ア・カペラ(ロシア正教会は、聖歌の器楽による伴奏を許していない... )であることが大前提。この制約が、教会コンチェルトに、独特な魅力を生み出す。そして、その魅力を一気に引き上げたのが、ボルトニャンスキー!コーリ・スペッツァーティや、コンチェルタート様式といった西欧の教会音楽の形式に、ロシアの聖歌の伝統を落とし込み、試行錯誤を繰り広げながら、50を越える教会音楽を書いたとされる。で、ここで聴くのは、35の教会コンチェルト集の最後、30番から35番まで... 試行錯誤を経て、完成形に至った後期の教会コンチェルトの数々... もはや西欧の音楽に気負うことなく、極当たり前にロシアならではの叙情性を西欧のスタイルに溶け込ませ、素直な美しさを響かせる。
始まりの、30番(track.1-3)の1楽章の、遠く彼方から響いて来るような女声... 何か、黄泉の国から聴こえて来るような儚さで、ちょっと、息を呑む。やがて、そこに、男声が応え、哀しげなメロディーが、滔々と歌われて行くのだけれど、それは、モーツァルトのレクイエムに通じるような感覚があって、ああ、同世代の音楽なんだな、という、ロシアの聖歌にして、ある種の安心感も広がるのか... いや、モーツァルトのレクイエム(に通じる... )が、ア・カペラで歌われるのである。その鮮烈さというか、圧倒的な美しさに、吸い込まれそうになる。2楽章(track.2)では、ロシアを思わせるトーンにも彩られ、ボルトニャンスキーの教会コンチェルトの魅力はより際立って... 終楽章で、西欧の教会音楽に倣い、ポフォニックに展開し、荘重さを強調するところもあるものの、それ以外では、古典主義の時代ならでは愉悦をたっぷりと含み、そこにロシアの叙情性を溶かした、もはや耽美的とすら言える音楽を聴かせる後期の教会コンチェルト... その美しさに、ペルトシルヴェストロの音楽の源流を見出す。やさしいメロディーで、聴く者を包み込むのようなハーモニーを織り成して、癒されずにいられない。
で、ポリャンスキー+ロシア国立シンフォニック・カペラのコーラスで聴くのだけれど、餅は餅屋。ロシア語を母語とする合唱団の、揺ぎ無く、それでいて、スムーズな歌いが紡ぎ出す、温もり、懐の深さに、魅了されずにいられない。西欧のコーラスとは一味違う、大地に根差した歌声というのか、どっしりと構えて生まれる、スケールの大きな音楽に、言葉を失います。いや、本当に美しい... ただただ、美しい... そんなコーラスを聴いていると、美しさにこそ、神を見出す、ボルトニャンスキーの姿勢というか、ロシア人の宗教観だろうか、ロシア正教会のオーソドックスさがじわーっと心に沁みて来て、感じ入るものあり。聴き慣れた西欧の教会音楽は、神を讃えるものであり、教会の権威を飾るもの。ではない、美に焦点を合わせたボルトニャンスキーの後期の教会コンチェルトは、何か突き抜けていて、ポリャンスキー+ロシア国立シンフォニック・カペラは、その独特な世界観を、見事に歌い上げる。そうして生まれる癒しの圧倒的なこと!

BORTNIANSKY: Sacred Concertos, Vol. 5 Russian State Symphonic Cappella Valeri Polyansky

ボルトニャンスキー : 教会コンチェルト 第30番 「おお神よ、私の声を聞き給え」
ボルトニャンスキー : 教会コンチェルト 第31番 「すべての国よ、手を打ち鳴らせ」
ボルトニャンスキー : 教会コンチェルト 第32番 「おお主よ、私は我が終焉を知っている」
ボルトニャンスキー : 教会コンチェルト 第33番 「我が魂よ、なぜあなたは落胆するのか」
ボルトニャンスキー : 教会コンチェルト 第34番 「神よ立ちあがって」
ボルトニャンスキー : 教会コンチェルト 第35番 「主よ、あなたは幕屋におりますか」

ヴァレリー・ポリャンスキー率いる、ロシア国立シンフォニック・カペラ

NAXOS/8.573109




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