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レイフス、間欠泉。 [before 2005]

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音楽で北欧を巡っております、8月... ここで、北欧の北、北極圏のすぐ南にある島国、アイスランドへ!いやー、世界で最も北にある首都は、アイスランドの首都、レイキャヴィークなんですってね。改めて、地球儀でアイスランドを探して見ると、その位置に驚かされます。で、"アイスランド"という、あまりにダイレクトなネーミングにも納得... ちなみに、アイスランドと名付けたのは、9世紀、アイスランドへと初めて旅したヴァイキング、フローキ・ビリガルズソンなのだとか... あまりにダイレクトな一方で、由緒ある名前なのだなと... いや、最初にアイスランドへと降り立ったフローキの、氷の島の強烈なインパクトが、そのダイレクトさに示されている気がする。もちろん、氷ばかりがアイスランドではなく、今年は、サッカー、ワールドカップでのアイスランド代表の健闘が話題を集めました!それから、ビョークを忘れるわけには行きません。音楽でも存在感を示すアイスランド...
いや、クラシックにおいては、なかなか見出し難い国、アイスランドなのだけれど、なかなか興味深い作曲家がおります。オスモ・ヴァンスカが率いたアイスランド交響楽団の演奏で、レイフスの管弦楽作品集、"GEYSIR"(BIS/BIS-CD-830)を聴く。

ヨーン・レイフス(1899-1968)。
まだアイスランドがデンマーク領だった1899年、レイキャヴィークから東へ50Kmほど行った農場、ソウルヘイマルで生まれたレイフス。翌年、一家はレイキャヴィークに移り、レイフスは、このアイスランドの文化の中心で育ち、ピアノを学び始めると、その才能を開花させ、10代でリサイタルを開くほどだったとか... が、20世紀初頭、アイスランドの音楽的環境はまだ十分に整っておらず、より豊かな音楽的環境を求め、ドイツへ!1916年、16歳の時にライプツィヒ音楽院に入学し、ピアノ、作曲、指揮を学ぶ。1921年に卒業すると、すぐにピアニスト、アンニ・リートフと結婚。ベルリンへと出て、ブゾーニ(1866-1924)にも師事し、作曲家としての研鑽を積みつつ、ピアニスト、指揮者として活躍を始める。1926年には、ハンブルク・フィルを率い、アイスランドを含む北欧ツアーを敢行!1920年代のレイフスの人生は、公私ともに輝いていた。やがて、大恐慌が襲い、ナチスが台頭し、全体主義の暗雲が垂れ込めた1930年代も、レイフスの人生は順調で、作曲家としても名声を確立。しかし、1939年、第2次大戦が勃発すると、状況は一変。妻、アンニがユダヤ系だったことで、レイフスのドイツでの立場は危うくなり、戦火が激しくなる中、1944年、家族を引き連れ、何とかスウェーデンに逃れる。が、戦時下、レイフスが仕事を得る余地は無く、家庭生活は行き詰り、アンニとは離婚。1945年、アンニとの2人の娘を残し、前年に独立を果たしたアイスランドへと帰国。そうした矢先、1947年、18歳となった下の娘、リーヴが、海水浴で命を落とす。悲しみのどん底へと突き落とされるレイフス。その悲しみから、新たな作品(物悲しくも美しい、ア・カペラで歌われるレクイエムなど... )を紡ぎ出し、やがて、娘の死を乗り越えて、アイスランドの音楽の発展に尽力。1968年のその死まで、精力的に作曲を続けた。って、何だか、北欧の英雄譚を思わせるレイフスの人生... 冒険と、栄光と、苦難と、悲しみを経て、大いなる自然へと還る。そういう人生から発せられる音楽がまた、北欧を強く意識させられるもので... レイフスの音楽に直面すると、本物の「北欧」に出くわしてしまったようなインパクトがある。
ということで、ヴァンスカ、アイスランド響によるレイフスの管弦楽作品集、"GEYSIR(アイスランド語で間欠泉... )"を聴くのだけれど、始まりは、そのタイトルとなっている「間欠泉」。アイスランドは、文字通り、氷の島であると同時に、火山の島でもあって、間欠泉(ぶっしゃーっと、大地の割れ目から温泉が噴き出すやつね... )でも有名。それを音楽にしてしまうレイフス。北欧の厳しい大地を思わせるサウンドが、美しくも野太く奏でられ、氷の島の壮大な風景を描き出す。やがて、オーケストラによるサウンドは波立ち始め、次第に鮮やかな音響が大きく盛り上がり、噴き上がり、聴く者を圧倒!1961年の作品だけに、フェルドマンや、スペクトル楽派に通じる感覚を見出すものの、豪快に「北欧」を響かせて、けして気難しくなることはない。というより、表現が驚くほどダイレクト。時に粗暴にすら思えるほど... けど、そこにこそレイフスの、アイスランドの魅力があるように思う。他の北欧の作曲家たちとは一線を画すダイレクトさ!北極圏を目の前にしたアイスランドの、北欧の極みが生む、生半可ではない表現なのだと思う。で、それは、「間欠泉」ばかりでなく、初期の作品からも聴こえて来て... 続く、小三部作(track.2-4)は、ライプツィヒ音楽院を卒業して3年目、1924年の作品なのだけれど、すでに「間欠泉」へとつながる豪快さが存在していて、驚かされる。でもって、この豪快さに痺れる!あーだこーだロジカルにならず、オーケストラを存分に鳴らして生まれる音圧たるや... 西欧に靡かないヴァイキングのDNAだな、これは...
一方、アイスランド舞曲集(track.8-11)では、アイスランドのフォークロワを素材に、キャッチーな音楽が繰り出され(もちろん、豪快なサウンドで以って... )、人懐っこさも見せるレイフスの音楽。ドイツ時代、アイスランド民謡の紹介にも力を入れていた頃、1933年の作品は、コダーイやバルトークに通じる、フォークロワとしてのリアルさがありながら、オーケストラの規模を活かし切って、より力を籠めて、まるでトロール(北欧に棲む巨大な怪物... )が足を踏み鳴らすように、ドシンドシンとリズムを刻むのが印象的。で、ドシンと来た後に、何とも言えない切なげな余韻も残って、心に沁みてしまうのがツボ。豪快でありながら、その豪快さに味わいも生み出すレイフスの不思議なバランス感覚は、なかなか希有なものだと思う。最後、死の年、1968年に作曲された弦楽オーケストラのための慰め―間奏曲(track.13)は、オーケストラによる音塊がシンプルに並び、抽象的なイメージを結ぶものの、安らぎに満ち、あの世を覗き見るような神秘が広がって、やはり心に響く。豪快であることと情緒的であることが、表裏となってひとつの音楽を織り成すレイフスのおもしろさ... 惹き込まれる。
そんなレイフスの音楽を、作品番号1番、小三部作(track.2-4)から、最後の作品、作曲された弦楽オーケストラのための慰め―間奏曲(track.13)まで、ドイツ時代、アイスランド時代と、丁寧に俯瞰するヴァンスカ、アイスランド響。アイスランドを象徴するような作曲家の真っ直ぐさを、そのまま音にしつつ、丁寧にニュアンスも拾うヴァンスカの指揮ぶりは卒が無く、レイフスの人生の山あり谷ありを、愛情を持ってなぞるようで、豪快な音楽にも深いドラマが浮かび上がる。そして、ヘヴィーかつヴィヴィットな響きで圧倒してくれるアイスランド響の見事な演奏!レイフスがスコアに穿つ音塊を、重量感を維持しながら、北欧らしい清冽さで捉えて、圧巻の音響を繰り出す。それは、まさに、アルバムのタイトル、"GEYSIR"、間欠泉そのものに思えて来る。音がぶわぁっと噴き出して来る感じ... なればこそ、レイフスの音楽のインパクトは際立つのか... いや、レイフスの音楽はおもしろい!この剥き出しの「北欧」感は、ちょっとただならない。

Leifs: Geysir and other orchestral works

レイフス : 間欠泉 Op.51
レイフス : 小三部作 Op.1
レイフス : 3つの抽象画 Op.44
レイフス : アイスランド舞曲集 Op11
レイフス : ガルドラ・ロフティ序曲 Op.10
レイフス : 弦楽オーケストラのための慰め ― 間奏曲 Op.66

オスモ・ヴァンスカ/アイスランド交響楽団

BIS/BIS-CD-830




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