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ドビュッシー、アッシャー家の崩壊/鐘楼の悪魔。 [2016]

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2018年は、ドビュッシー・イヤー!ということで、前回、デニソフが完成させたドビュッシーの未完のオペラ『ロドリーグとシメーヌ』を取り上げたのだけれど、あれは、ドビュッシーだったのだろうか?聴き終えた後の不思議な心地が印象深い。何だろう、ドビュッシー以上にドビュッシーっぽかった!いや、あれは、「ドビュッシー」というイメージを抽出し、薫らせた、上質なフレグランスのような音楽だった気がする。生々しいドビュッシーではない、みんなが期待するドビュッシー像を補強する、デニソフ(ソヴィエト時代、西側の近現代音楽への関心から、ドビュッシーも研究対象としていた... )による補筆であり、オーケストレーション。ある意味、ファンタジーとしてのドビュッシー... で、そには、ドビュッシーへのオマージュも感じられ、単にドビュッシーを聴いては味わえない感慨を覚えてしまう。それにしても、『ロドリーグ... 』に限らず、作品を完成させられない天の邪鬼、ドビュッシーがもどかしい!もどかしいのだけれど、未完が生む余白に、新たなケミストリーを準備した天の邪鬼でもあって... まったく、なんてヤツなんだよ... デニソフ版『ロドリーグ... 』に触れ、ますますドビュッシーの未完が気になってしまう!
そこで、エドガー・アラン・ポーの小説による2つの未完のオペラ... クリストフ・マティアス・ミュラーが率いて来たゲッティンゲン交響楽団の演奏、ファン・リンリン(ソプラノ)、ヴァージル・ハルティンガー(テノール)らの歌で、イギリスの音楽学者、ロバート・オーリッジの補筆による、ドビュッシーのオペラ『アッシャー家の崩壊』と『鐘楼の悪魔』(PAN CLASSICS/PAN 10342)を聴く。

1893年、『ロドリーグ... 』の作曲を放棄させた作品、オペラ『ペレアスとメリザンド』が、1902年、とうとう初演を迎える。華麗なアリアは一切無しの、ただ朗唱によって綴られるという、それまでのオペラとは一線を画す斬新さが、最初、客席に戸惑いをもたらしたものの、上演を重ねるごとに、ミステリアスな物語と、有機的に展開される音楽が、人々を惹き込み、結果的に大成功!これに気を良くしたドビュッシーは、早速、次のオペラに乗り出す。で、次に選んだ題材が、エドガー・アラン・ポー... 19世紀半ば、ボードレールの翻訳を切っ掛けに、本国、アメリカよりも先にフランスで人気を博していたポーを、ドビュッシーも愛読しており、オペラ化に際しては、自らが台本を書くほどだった。で、その最初のオペラが、短編『鐘楼の悪魔』を原作とする、2つのタブロー(場面)からなる1幕モノのオペラ、『鐘楼の悪魔』(disc.2)。時間に几帳面な人々が住む村に、悪魔がやって来て、教会の鐘楼から響く12時の鐘音を、忌み数、13回で鳴らしたものだから、村がパニックに陥るという、奇怪にしてコミカルで、風刺的なストーリー。となると、その音楽もコミカルで、プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』(1918)を思わせるような軽快さに彩られ、ザ・象徴主義の『ペレアス... 』の深い音楽から見事な切り返しを聴かせてくれる。特に、前半のタブローの最後、悪魔のマイム(disc.2, track.13)は、村をパニックに陥れ、ご満悦の悪魔の弾くヴァイオリンが、ベートーヴェンに、ブラームスに、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が引っ張り込まれてのごた混ぜ、ウケる!が、同時期に作曲されていた代表作、「海」の作曲に力を注ぐようになると、作曲は途中で放棄されてしまう。
その後、ドビュッシーの下には、いくつかオペラの話しが持ち込まれるも具体化することはなく、『鐘楼の悪魔』も放棄されたまま時は過ぎる。が、「海」が初演されて3年を経た1908年、もう一度、ポーの小説をオペラ化しようと、台本を書き始めたのが、『アッシャー家の崩壊』(disc.1)。2つの情景からなる1幕モノのオペラとして台本が完成されたのは、1916年。第1次大戦が勃発(1914)し、やがて死に至る大腸癌を患い、そうした不安の中、書かれていたオペラは、暗い。病弱な妹を生きながら埋葬したという、精神を病んだロデリック・アッシャーの妄想なのか、何なのか、屋敷の地下から這い出して来る妹(まるで、貞子か、伽椰子か... )、最後は屋敷そのものが地に飲み込まれて行くというカタストロフ(『キャリー』の最後だよな、これ... )。泥沼化する戦争と、じわりじわりとドビュッシーににじり寄って来る死を象徴するかのようなストーリー... そんなストーリーを、表現主義的な語法を用い、おどろおどろしい音楽を紡ぎ出すドビュッシー。幕開けの、妹、マデラインの歌(disc.1, track.2)こそ、『ペレアス... 』のメリザンドを思わせる美しさを聴かせるものの、その後は、シェーンベルクの『期待』(1809)に近付くようで、バルトークの『青髭公の城』(1918)に通じるようで、ドビッュシーの音楽の新たな展開を見出せる。それだけに、完成に至らなかったのが残念でならない。が、オーリッジによる補筆は、ドビュッシーの着地点を慎重に見定めて、この未完のオペラに、完成のリアリティを与えているのが印象的。『鐘楼の悪魔』は、少しプッチーニっぽいけれど、『アッシャー家の崩壊』は、ドビュッシーとして聴き応え十分。何より、ホラー・オペラとして光っている!
という、ドビュッシーの2つの未完のオペラにスポットを当てた、ミュラー+ゲッティンゲン響。ドイツのオーケストラの手堅さと、仄暗さというか、ロマンティックなトーンが、ポーの世界観をそこはかとなしに際立たせるようで、なかなか素敵。特に、『アッシャー家の崩壊』(disc.1)の、表現主義的なトーンは、ドイツならではの音楽性が引き立てるようで、絶妙。そこに立ち現れる、キャラクターたちが、またいい味を醸していて... そのアッシャー家を崩壊させる当主、ロデリックを歌うデイズリー(バリトン)の、狂気を滲ませた、深く瑞々しい歌声が放つミステリアスさ!ホラー・オペラの怪しさ、危うさを掻き立てて、見事。事の顛末を見届ける、その友人を歌うヴィラヌエーヴァ(バリトン)の、フランス・オペラらしさを聴かせる、どこか甘やかな佇まいと好対照で、この2人の好演が、このオペラの魅力をより引き立てる。フィナーレのカタストロフに向けての緊張感の高まりなど、ホラー映画を見るようにスリリング!それにしても、ドビュッシーにあと少し時間があったなら...

Claude Debussy The Edgar Allan Poe Operas
Le Chute de la Maison Usher, Le Diable dans le Beffroi
Göttinger Symphonie Orchester Mueller

ドビッュシー : オペラ 『アッシャー家の崩壊』 〔オーリッジによる補筆完成版〕

ロデリック・アッシャー : ウィリアム・デイズリー(バリトン)
ロデリックの友人 : エフゲニー・ヴィラヌエーヴァ(バリトン)
医者 : ヴァージル・ハルティンガー(テノール)
マデライン : リンリン・ファン(ソプラノ)

ドビッュシー : オペラ 『鐘楼の悪魔』 〔オーリッジによる補筆完成版〕

村長 : エフゲニー・ヴィラヌエーヴァ(バリトン)
ジャンネッタ : リンリン・ファン(ソプラノ)
鐘つき男 : ミヒャエル・ドリース(バリトン)
ジャン : ヴァージル・ハルティンガー(テノール)
聖ヤコビ・ゲッティンゲン室内合唱団

クリストフ・マティアス・ミュラー/ゲッティンゲン交響楽団

PAN CLASSICS/PAN 10342




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