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誕生150年、「はげ山の一夜」から見つめる、ムソルグスキーの一生... [before 2005]

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師走も折り返し、2017年の終わりが見えて来ました。こんなにもノイジーな年は、さっさと終わっちまえ!と、夜空に向かって毒吐いてみたら、キラリと光る流れ星(ふたご座流星群!)を見つけて、その儚げな軌跡を追えば、こんな年にも、名残惜しさのようなものを感じてしまう。遠い遠い宇宙の彼方からやって来て、輝くのは、地球の大気に突入する、そのただ一瞬... 宇宙という計り知れない規模からしたら、ノイズに塗れた2017年もまた一瞬なのだろうな... そんな風に考えると、ノイズなど、どうでもよくなってしまう。いや、我々は、もっと、リズムや、ハーモニーに耳を傾けるべきなのだと思う。そして、世界は交響楽であることに気が付くべきなのだと思う。この2017年に至るまで、人類の歩みは、様々な欲望が渦巻いて、あまりに複雑な対位法を織り成してしまった。それを今さらバラバラに解くなど到底無理なこと... 断ち切ろうにも、雁字搦めとなって、下手に鋏を入れるのは、自らを傷付けかねない。ならば、しっかりと周りの音を聴き、それぞれのパートを精いっぱい奏でつつ、より大きな音楽を構築し、前進するしかないのだと思う。なんて、思ってしまうのもまた、年の瀬ならではの現象か?
さて、2017年が終わってしまう前に、まだ紹介し切れていない今年のメモリアルに注目... で、今から150年前に完成した「はげ山の一夜」!クラウディオ・アバドが率いたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、交響詩「はげ山の一夜」の原典版をはじめとする、ムソルグスキーの興味深い作品を集めた1枚(Deutsche Grammophon/445 238-2)を聴く。

ムソルグスキーが、やがて交響詩「はげ山の一夜」となる曲を構想し始めるのは、20代の初め、ロシア5人組が結集し始めた、1860年頃。最初は、未完のオペラ『サランボー』の一部として書かれるのだけれど、そのオペラの作曲は、1866年に中断、多くのナンバーは、1868年に作曲が始まる『ボリス・ゴドゥノフ』(1869年に初稿が完成する... )に転用される。が、「はげ山の一夜」となる部分は、その前に抜き出され、1867年、交響詩として完成。それが、ここで聴く、原典版(track.1)。それから5年を経た、1872年、ムソルグスキーは、ロシア5人組のひとり、キュイと組んで、オペラ・バレエ『ムラダ』の共同製作に乗り出す。この作品に「はげ山の一夜」を転用しようと、合唱を加えた第2稿を生み出す(合唱付きの「はげ山の一夜」って、どんな感じだろう?凄い興味を掻き立てられるのだけれど... )。が、『ムラダ』自体が頓挫してしまう。しかし、ムソルグスキーは、「はげ山の一夜」がよほど気に入っていたようで、新たに作曲を始めていたオペラ、『ソローチンツィの定期市』に、再び用いようと、改めて改稿。1880年、第3稿を生み出す。しかし、翌、1881年、ムソルグスキーは、アルコール依存など不摂生がたたって42歳でこの世を去り、オペラは未完に終わってしまう。そんな逸材を惜しんで、ロシア5人組のひとり、リムスキー・コルサコフが、「はげ山の一夜」、第3稿をベースに、オーケストレーションをやり直し、1886年に発表。ムソルグスキーの存在を世に知らしめる。そうして一般的となったのが、リムスキー・コルサコフ版...
というところから見つめる、今から150年前に完成した原典版(track.1)の刺激的なこと!冒頭から、ただならなさに充ち満ちていて、そのワイルドな在り様に驚かされる。一方で、リムスキー・コルサコフ版の見事に洗練されたオーケストレーションも思い知らされる。「はげ山の一夜」のおどろおどろしさを活かしながら、整えられた響きから浮かび上がる理想的なムソルグスキー像は、その後のこの作曲家の価値を決定付けただけに、水際立ったものだったのだなと... さすがは、ラヴェルら、西欧の作曲家たちもリスペクトしたオーケストレーションの大家、リムスキー・コルサコフ。しかし、アカデミックな音楽教育を受けることのなかったムソルグスキーの、荒削りが生み出す破壊力、革新性は、アカデミズムの優等生、リムスキー・コルサコフには到達し得ないもの... 原典版から響き出す剥き出しのムソルグスキーの音楽は、リムスキー・コルサコフの音楽の先にあった、近代音楽にも思えて来る。もちろん、ドイツ・ロマン主義を思わせる瑞々しさもそこかしこに表れていて、19世紀前半に留まるような保守性も窺えるのだけど、鋭く刻まれるリズム、唸るような低音が轟けば、半世紀を待たずに登場する、ストラヴィンスキーの『春の祭典』(1913)を予感させる。というより、『春の祭典』の出発点は、この「はげ山の一夜」、原典版にあるんじゃないか?!つまり、近代音楽の起源は、150年前のロシアにあった?アカデミズムからはみ出してしまった、ムソルグスキーのバーバリスティックが生むケミストリーの興味深さ... いや、おもしろい!
さて、その後で取り上げられるのが、普段、ほとんど聴く機会の無い、ムソルグスキーの合唱作品の数々... 旧約聖書に基づくバイロン卿の詩を合唱曲とした「センナヘリブの陥落」(track.2)、未完のオペラ、『サランボー』から、巫女たちの合唱(track.3)、そして、『サランボー』から転用された音楽で、旧約聖書に登場するモーゼの後継者を歌う『ヨシュア』(track.5)、やはり未完のオペラ、『アテネのオイディプス王』から、神殿の人々の合唱(track.4)と、完成に至らなかった作品の欠片ばかり... そうしたあたりに、ムソルグスキーのヘタレっぷりを思い知らされるのだけれど、聴こえて来るメロディーは、どれも素朴で、熱く、完成されたオペラ、『ボリス・ゴドゥノフ』や『ホヴァンシチナ』に登場する、ムソルグスキーならではの存在感のある群衆を思わせて、惹き込まれる。いや、ムソルグスキーの群衆を見つめる視点の鋭さに感心させられるばかり... それは、ロシア革命後のソヴィエトのプロパガンダを担った音楽が透けて見えて来そうでもあり、興味深い。しかし、未完に終わった作品があまりに多い、ムソルグスキー... 「はげ山の一夜」も含め、その欠片の魅力を、こうして丁寧に追えば、それらのオペラが、未完に終わったこと、ただただ悔やまれる。ロシア音楽にとっても、大いなる損失に感じてしまう。
そんなムソルグスキーの姿を炙り出した、アバド、ベルリン・フィル。その圧倒的な演奏が、恐るべき作曲家の実像を余すことなく響かせて、多くの発見をもたらしてくれる。特に、最後に取り上げる『展覧会の絵』(track.6-20)は圧巻で、まさに絵画的というのか、ラヴェルのオーケストレーションなればこその色彩を、鮮やかに響かせて、絵具が乾き切らないような、生々しいくらいの鮮烈に、何だかクラクラしてしまう。薄暗い美術館を歩くのではない、画家の筆やパレットが、まだそこに散らばっているような、アトリエを歩く感覚... 絵のひとつひとつが、すぐ目の前に迫って来て、凄い。そうして迎える、最後、キエフの大門(track.20)の壮麗さ!その中から聴こえて来る、プロムナード(track.6)のテーマを聴くと、展覧会を一巡した達成感に感無量。そこにまた、一年が重なって見えて、心に響く。第九ばかりじゃない、年の瀬かなと...

MUSSORGSKY: PICTURES AT AN EXHIBITION ・ NIGHT ON BALD MOUNTAIN, ETC.
BERLINER PHILHARMONIKER/ABBADO


ムソルグスキー : 交響詩 「はげ山の一夜」 〔原典版〕
ムソルグスキー : センナヘリブの陥落 〔オーケストレーション : リムスキー・コルサコフ〕 *
ムソルグスキー : オペラ 『サランボー』 から 巫女たちの合唱 〔オーケストレーション : リムスキー・コルサコフ〕 *
ムソルグスキー : オペラ 『アテネのオイディプス王』 から 神殿の人々の合唱 〔オーケストレーション : リムスキー・コルサコフ〕 *
ムソルグスキー : ヨシュア 〔オーケストレーション : リムスキー・コルサコフ〕 **
ムソルグスキー : 組曲 『展覧会の絵』 〔オーケストーション : ラヴェル〕

クラウディオ・アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
プラハ・フィルハーモニー合唱団 *
エレーナ・ザレンバ(メッゾ・ソプラノ) *

Deutsche Grammophon/445 238-2




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