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カタルーニャ、モンセラートの朱い本、中世、巡礼たちは歌う! [before 2005]

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豊かなカタルーニャの文化の源とも言える、その言語、カタルーニャ語は、必ずしもカタルーニャ州でのみ話されているわけではない。かつて、カタルーニャが牽引したアラゴン王国の広がりと重なるように、南のバレンシア州、地中海のバレアス諸島、さらには、イタリア、サルデーニャ島の北西部の一部でも話されており、中世の王国の威光を今に伝えている。一方で、その言語の誕生を遡ると、より大きな歴史が浮かび上がる。カタルーニャ語は、古代ローマの人々が話していた俗ラテン語から派生した言語で、中世、南フランスで話されていたオック語と兄弟関係にあった。スペイン語ではなく、南フランスで話されていた言語により近かったというのは、なかなか興味深い。そして、オック語文化圏が中世文化の中心だった頃、トルバドゥールたちが活躍した時代、西地中海の北海岸には、カタルーニャからイタリアまで、古代ローマの残照とも言える、国境を越えた文化圏が存在していたことが窺える。が、オック語文化圏は、今は無く、カタルーニャ語は、ポツンとイベリア半島に取り残されてしまったように存在している。のはなぜか?北フランスで話されていたオイル語(やがて現在のフランス語となる... )が、王権とともにオック語文化圏に襲い掛かり、力による言語統一がなされたからだ。これにより、フランスにおける南の文化的優位は失われ、パリへの一極集中が完成する。一方のカタルーニャ語はどうだろう?アラゴン王国を取り込んで、ますます発展し、やがてスペインの成立に参加して、言語、文化を今に伝えるわけだ。そういう歴史、かつての国境を越えたつながりを振り返れば、21世紀のカタルーニャに、新たな視座を示せる気がする。
ということで、中世のカタルーニャへ!ミヒャエル・ポッシュ率いるアンサンブル・ユニコーンの演奏、ベリンダ・サイクス(コントラルト)、ベルンハルト・ランダウアー(カウンターテナー)のヴォーカルで、カタルーニャの聖地、モンセラート修道院に伝わる『モンセラートの朱い本』を中心に中世の巡礼の歌を綴った"THE BLACK MADONNA"(NAXOS/8.554256)を聴く。

"THE BLACK MADONNA"なんて言うと、違うジャンルのアルバムのようだけれど、『モンセラートの朱い本』が伝わるバルセロナ近郊のモンセラート修道院には、まさにこのブラック・マドンナ、黒い聖母子像が安置され、中世以来、巡礼を集めている。で、その始まりが、おもしろい... キリスト教徒による国土回復運動、レコンキスタの始まった頃、つまりカタルーニャが誕生しようとしていた頃、イスラム勢力から取り戻されて、そう時間を経ない880年、モンセラート山中で、羊飼いのこどもたちが、天から音楽と光が降り注ぐ場所を見つけ、麓の町の司祭がその場所へと向かうと、岩屋の中に黒い聖母子像を発見したという。司祭は、その黒い聖母子像を持ち帰ろうと試みるも、重くてびくともしない。いや、これこそ啓示と、その場所に修道院を作り、やがて、巡礼たちが集う聖地となった。奇跡を創出し、巡礼を集め、そこには寄進もあっただろう、それを元手にレコンキスタを推し進める。中世ヨーロッパの巡礼路は、東のイェルサレムばかりでなく、西のサンティアゴ・デ・コンポステラを目指して、イベリア半島に向かっているあたり、ローマ教会の政策が透けて見えるよう。モンセラート修道院の黒い聖母子像も、レコンキスタの始まった頃に、その最前線に近い山中で見つかったことは、なかなか戦略的だったなと...
しかし、ブラック・マドンナのインパクトたるや!黒い聖母のイメージは、古代オリエント世界の大地母神と結び付ついた、東方教会におけるマリア信仰で見受けられるものだけれど、それが、西方教会の中心、ローマよりもずっと西、カタルーニャにも存在するから興味深い。で、やはり黒い聖母で有名な巡礼地が、フランス、ロカマドゥール(プーランクが作品を書いている!)、ル・ピュイにもあり、これらの地が、かつてのオック語文化圏にあることから、古代ローマ、いや、それよりも古い、オリエントをも含んだ古代の地中海文明の某かの痕跡としての"黒"を見出せる気がして来る。で、オリエントにおける黒い聖母は、マグダラのマリアとして語られることもあって... そのマグダラのマリアが、キリスト磔刑の後、イェルサレムから逃れて、船で流れ着いた地と言われているのが、プロヴァンスのサント・マリー・ドゥ・ラ・メール。そう、ここもオック語圏... となると、"黒"、"マリア"、オック語―カタルーニャ語、このつながりと広がりに、北からの文化侵略よって隠されてしまった何かがあったのではないかと感じざるを得ません(あばれる君風に... )。いや、現在のヨーロッパとは異なるヨーロッパがあったのだろう。
なんてことを想像させてしまう、ポッシュ+アンサンブル・ユニコーンの"THE BLACK MADONNA"。『モンセラートの朱い本』に収められた歌(track.1, 6, 7, 12)のみならず、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路にある街、ブルゴスの修道院に伝わる『ラス・ウエルガス写本』の歌(track.11)、中世文化の花、オック語文化圏で誕生した吟遊詩人、トルバドゥールの歌(track.5)、その影響を受けて北のオイル語圏で活躍したトルヴェールの歌(track.2)も取り上げ、さらにカスティーリャ王、アルフォンソ10世(在位 : 1252-84)が編纂した『聖母マリアのカンティーガ』(track.3, 8, 10)、トルバドゥールとしても知られるナバラ王、テオバルド1世(在位 : 1234-53)のレー(track.9)が彩りを添えて、カタルーニャのみならず、広くイベリア半島の音楽を拾い集め、さらに巡礼路が続くフランスまでを見事にひとつのディスクで展開する。そうして響き出す、現在のヨーロッパとは異なる、中世のヨーロッパの風景の魅力的なこと!飛行機も、高速道路も、AVE(スペインの新幹線... )も存在しない時代の巡礼たちの歌は、その一歩一歩を大地に踏みしめて生まれるパワフルさに充ち満ちており、また彼らが旅した中世の、イスラム勢力がすぐ傍に存在し、未だ地中海文明が息衝いていただろうエスニックさが表れ、そのあるがままの姿に、何とも言えぬ安らぎを感じてしまう。そして、南の懐の大きさに惹き込まれる。
しかし、ポッシュ+アンサンブル・ユニコーンの、臆することなく、中世を大胆に捉えて行く姿に感動を覚える。かつてがどんな時代だったかなんて、今となってはわからないところが多い。が、まだ失われていない伝統、フォークロワを真摯に見つめ、そこにかつての破片を探り、かつての姿を大胆に再構築する。それが、とにかく魅力的!クラシックのアカデミックさなど捨て去り、音楽の素の姿を存分に見せ付けて、迷うことなく真実に突き進む。そうして聴こえて来るアラベスクなトーン、アフリカンな匂いまで漂わせ、まだ文明が未分化であったろう中世を躍動させる。そこに、古楽界切ってのヴォーカリスト、サイクスの圧倒的な声!地声で紡ぎ出される豊かな表情には、心を鷲掴みにされる思い... 『聖母マリアのカンティーガ』からの「彼の御母」(track.3)の始まりのヴォカリーズの、完全にアラブを思わせる、艶やかで、深く、大地の底から響くような迫力... この人の声には、力がある。一方で、ランダウアーのカウンターテナーの浮世離れした高音には驚かされる。それでいて、見事に野趣溢れるサウンドの中で独特な存在を醸し出し、サイクスに負けない個性を聴かせてしまうからおもしろい。また、アンサンブル・ユニコーンのコーラスもいい味を醸していて、修道院に響くような清楚なハーモニーを響かせるかと思うと、サイクスばりに熱いハーモニーを織り成し、最後、『モンセラートの朱い本』からの「七つの喜び」(track.12)では、サイクスらと力強く盛り上げて、アカペラになるところ、圧巻!

BLACK MADONNA: Pilgrim Songs from Montserrat

『モンセラートの朱い本』 から ヴィルレー 「声をそろえいざ歌わん」
トルヴェールの歌 「新しい花を見ると」
『聖母マリアのカンティーガ』 から 第147番 「彼の御母」
ブランシュ・ド・ナヴァール : マリアの歌 「愛が私を支配した」
トルバドゥールの歌 「この世界のことを考えると」
『モンセラートの朱い本』 から ヴィルレー 「処女なる御母を讃美せん」
『モンセラートの朱い本』 から カッチャ 「おお、輝く聖処女よ」
『聖母マリアのカンティーガ』 から 第48番 「何と栄えある」
ティボー・ド・シャンパーニュ(テオバルド1世) : レー 「レーを作り始めよう」
『聖母マリアのカンティーガ』 から 第77番/第119番
『ラス・ウエルガス写本』 から 「おお、マリア、海の星」
『モンセラートの朱い本』 から バラード 「七つの喜び」

ミヒャエル・ポッシュ/アンサンブル・ユニコーン
ベリンダ・サイクス(コントラルト)
ベルンハルト・ランダウアー(カウンターテナー)

NAXOS/8.554256




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