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IRCAM、解析がもたらす新たな作曲の形、ブーレーズ... [before 2005]

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2017年、ノーベル文学賞、カズオ・イシグロ氏の受賞は、日本としてカウントされると聞いて、へぇ~ となる。いや、イギリスの小説家という認識があまりに強かったから、ちょっとびっくり... ノーベル財団は、国籍ではなく、出生地を以って、どこの国の人かと見定めるらしい。ということを確認しようと、それぞれの国から、どれだけの受賞者が出ているか、というリストを覗いて、さらにびっくりした!オーストリア=ハンガリーとか、ヘッセン・カッセルとか、もう今は存在しない国が記載されていて、ノーベル賞の歴史をズシリと感じてしまう。ところで、ノーベル賞に音楽賞があったら、どんな人たちが受賞しただろう?ノーベル賞の最初の授与が1901年となるから、最初の受賞者は、ドヴォルザーク(1841-1904)、グリーグ(1843-1907)、リムスキー・コルサコフ(1844-1908)あたりだろうか?でもって、今年もダメだったとか言い続けそうなのがラフマニノフ... なんて、夢想すると、音楽賞もあれば良かったのになァ。と、つくづく思う。ボブ・ディランだって、物議を醸さずに済んだだろうに...
さて、チェロを聴いております、この秋。前々回前回と、近現代の作曲家によるチェロのための作品に触れ、今さらながらにチェロという楽器の可能性の幅に打ちのめされたのだけれど、今回は、その本丸へ!ジャン・ギアン・ケラスらのチェロによる、ブーレーズの独奏チェロと6つのチェロのためのメサジェスキス(Deutsche Grammophon/463 475-2)、他2曲を聴く。

ブーレーズというと、総音列音楽というイメージがあるのだけれど、90年という長い人生を振り返れば、純然たる総音列音楽の時期は、実は短かったりする。いつの時代もそうだけれど、長く生きれば、長く生きただけ、作曲家を取り巻く状況は大きく変化して行く。そして、その変化の波に多くの作曲家たちが苦闘して来た。もちろん、ブーレーズもそう... 総音列音楽を確立した矢先に、アメリカから、偶然性の音楽なんていう、トンデモが襲い掛かって来て、「制御された偶然性」なんて言う、力技で変化の波を凌ごうとした。が、そこからのブーレーズは、まるで狸のように、次々にその姿を変容させて、聴衆をまるで化かすかのように、変化の波の中心に鎮座し、"ゲンダイオンガク"の世界に君臨した。総音列大権現は、実は、希代の相場師だったと思う。そして、これこそが凄い気がする。敏感に時代の臭いを嗅ぎ取って、その波に巧みに乗り、常に最先端に在ることをさらりと演出して来る。単なるアカデミズムでは成し得ない偉業だと思う。で、その結晶とも言えるのが、1977年、パリで設立される、IRCAM、音響/音楽の探求と連携のための研究所、つまり、フランス国立音響音楽研究所。
さて、ここで聴く、メサジェスキス(track.3-6)は、IRCAMが始動し始めた年、1977年に完成した作品。まず、独奏チェロと6つのチェロによるアンサンブルというルネサンス期のコンソートを思わせる編成に奇異なものを感じるのだけれど、IRCAMで音響解析をいろいろ試していただろうブーレーズの姿を思い浮かべると、この編成に腑に落ちるものを感じる。取り出されたサンプル=独奏とアンサンブルの間で、音をやり取りすることで、ある種の音響解析が行われる?始まりの、まるで信号音のように奏でられる無機質なチェロの音が、それを物語るようで、メッセージとエスキス(素描)を合わせた、ブーレーズによる造語、メサジェスキスというタイトルにもヒントが隠されているように思う。そうして、楽器としてではなく、まるでサウンド・マシーンのように鳴るチェロ... そのサウンド・マシーンによる独奏とアンサンブルは、音響解析機となり、解析の先に増幅装置にもなり、新たな音響をも編んで行く。そんな音楽に惹き込まれてしまう... 何なのだろう、この感覚?チェロが育んで来た情緒のようなものを断ち切って、単に音として並べ、至る、スリリングさ... まさに、IRCAMがあってこそ、そこでの経験を通過して生まれ得る音楽の在り様。それを、完膚なきまでにアコースティックで再現するというイリュージョン!やっぱり、ブーレーズは狸だ。聴き入れば聴き入るほど刺激的なのだけど、同時に化かされているようでもあり、おもしろい。
というメサジェスキスの前に、1998年に完成した3台のピアノ、3台のハープ、3人のパーカッショニストのためのシュル・アンシーズ(track.1, 2)、後には、1997年に完成した電子ヴァイオリンのためのアンセム2(track.7-15)が取り上げられるのだけれど、メサジェスキスから20年強を経た音楽には、明らかな洗練が見て取れて、また時代の気分のようなものを、その洗練から感じられて、"ゲンダイオンガク"にして、とてもモーディッシュ!IRCAMの技術はハイテク化し、それによってスマートさを身に付けるIRCAM由来の音楽... そして、ハイテク化の波は、世の中にも広がり、デシタルなものが溢れ出す20世紀末... シュル・アンシーズ、アンセム2から響くサウンドは、20世紀末のフューチャリスティックなスタイリッシュさに彩られ、キラキラと輝いている。が、アコースティックなシュル・アンシーズに対して、エレクトリックなアンセム2... ともに同じ時代の気分を強く発し、軽やかにデジタルな印象を紡ぎ出しながらも、対極にある2つの作品の実態が、またおもしろい。いや、裏を返すと、ブーレーズは、ハイテクがあろうと無かろうと、同じように音楽を紡ぎ出せる境地に至っていたわけだ。となると、もはや、自らがコンピューター?頭の葉っぱは半導体の狸、そんなブーレーズに、改めて感服させられる。
そんなブーレーズのハイテクでスマートな作品を演奏するのが、ブーレーズ・チルドレン、アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーたち。メサジェスキス(track.3-6)の独奏チェロを担うケラスをはじめ、近現代のスペシャリストたちによる演奏は、見事にブーレーズのマシーンと化して、突き抜けた音楽を織り成し、圧倒される。一音一音を徹底して研ぎ澄まし、奏でている楽器の実態をも消失させてしまうような、不思議な境地に至った演奏は、まるでコンピューター制御のようにアンサンブルを編み、息を呑む音楽を繰り出す。特に、シュル・アンシーズ(track.1, 2)の、デシタル感!アコースティックなはずなのに、そこにコンピューターが介在しているかのような空気感を生み出す精緻さ... ひとりひとりの音楽性のみならず、ある意味、人間性をも遮断して無機質に繰り広げることで、結晶のような響きを生み出す。そして、メサジェスキス(track.3-6)では、ケラスの独奏チェロに見事に応えるパリ・チェロ・アンサンブルの演奏も見事!マシーン化する様は、アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーたちに引けを取らず、鋭い。その鋭さが放つ、キラリとした光は、とてもチェロから発せられるとは思えないほど... しかし、ブーレーズ、改めて、タダモノではないなと...

SUR INCISES / MESSAGESQUISSE / ANTHÈMES II
ENSEMBLE INTERCONTEMPORAIN / PIERRE BOULEZ


ブーレーズ : シュル・アンシーズ 〔3台のピアノ、3台のハープ、3人のパーカッショニストのための〕 **
ブーレーズ : メサジェスキス 〔独奏チェロと6つのチェロのための〕 ***
ブーレーズ : アンセム 2 〔電子ヴァイオリンのための〕 **

ピエール・ブーレーズ(指揮) *
アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーらによる *
ジャン・ギアン・ケラス(チェロ) *
パリ・チェロ・アンサンブル *
ハエスン・カン(電子ヴァイオリン) *
アンドリュー・ジェルゾー(電子音響編曲) *

Deutsche Grammophon/463 475-2



しかし、ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ、意外でした。昨年のボブ・ディランの受賞は、これまでの文学の終焉を高らかに宣言!今年は、デイヴィッド・リンチ(とは言いません... )みたいな、危ない映像作家が受賞したら、おもしろいのにな... 音楽から映像へ、将来的にはマンガ、アニメ、RPGなんかにも及んで、21世紀、文学の枠組みはどんどん拡張されて行き... そういう路線があったなら、世界に新たな視座を示せたように思うのだけれど、力技の軌道修正、広く知られた人気作家を選ぶという選考委員会の迷走っぷりに、昨年は何だったんだ!?と、かなりガッカリしてしまう。てか、ドナルド・キーン師が、川端を選ぶ選考過程について語られたのを、以前、テレビで見た時、選考委員会の関与の薄さ(ワタクシには、やる気の無さに映ったよ... )に驚いたことを思い出す。いや、ノーベル文学賞って、あまりにブラック・ボックス... でもって、文学への愛が感じられない気がする。
一方で、カズオ・イシグロ氏の受賞そのものにはテンションが上がってしまう!文学賞が本来の姿に戻った安心感と、人気作家が選ばれた解り易さはもちろん、『わたしを離さないで』、『忘れられた巨人』と読んで来て、すっかりイシグリストになってしまっておりまして... 音楽というフィールドから見つめるならば、『夜想曲集』なんてタイトルを持つ短編集があり、ピアニストが主人公の『充たされざる者』もあり、音楽通でもあるらしい、カズオ・イシグロ氏。村上春樹氏による小澤征爾氏へのロング・インタヴュー、『小澤征爾さんと、音楽について話しをする』みたいな本が出たらいいのになァ。とか、漠然と思っております。ちなみに、この本で、春樹氏は、イシグロ氏と音楽の話しで盛り上がったことを報告されております。




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