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"Solo cello and... "、+αが拓く、20世紀、チェロの新たな地平... [2007]

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えーっ、先日のことでありますが、ちょいとテレビをつけたところ、『超入門!落語THE MOVIE』なんていう番組(前から気になっていた!)をやっておりまして、ついつい見入ってしまう。というのも、アテレコならぬアテ芝居(噺家さんの話しっぷりに、ぴたりと役者さんが芝居を付けちまうってんだから驚いた!)でもって、噺を鮮やかにヴィジュアル化。いやー、古典落語の、取っ付き難そうに感じていたあたりが、まっつぐに視覚で捉える事ができて、便利なものでして... いやいや、普段、落語なんて聴かないものだから、もの凄く新鮮で、何より、そのフンワリとした世界観に癒される。世知辛い現代を生きていると、どんな落ちが付くのかと、ちょっとヒヤヒヤしながら見守る、それぞれの噺なのだけれど、ささやかながら、どれも拍子抜けしてしまうほどに、最高のハッピー・エンドを迎えるから、驚かされる。でもって、そうか、昔の人は、こうもまっつぐな物語を是としていたのかと、深く深く感慨を覚えてしまう。古典落語に教えられる、ハッピー・エンドは正義!裏を返せば、今、我々が生きている現代が、如何に不正義であるかを思い知らされる。人々は、いつからまっつぐに生きられなくなってしまったのだろうか?
さて、この秋、まっつぐにチェロを聴いております。そして、前回に続き、再びのマリオ・ブルネロのチェロの演奏で、現代音楽の多彩な作曲家たち、ソッリマ、スカルソープ、シェルシの、独奏チェロともうひとつの存在(ライヴ・エレクトロニクス/コーラス/パーカッション)による作品を集めた興味深い1枚、"Solo cello and... "(Victor/VICC-60556)を聴く。

チェロという楽器は、その重々しい佇まいから、特にクラシカルに感じられるものの、楽器としての可能性は、現代音楽でより自由に羽ばたくのか?そんなことを思わせるブルネロの意欲的な1枚、"Solo cello and... "。ソッリマ(b.1962)のチェロとライヴ・エレクトロニクスのための「コンチェルト・ロトンド」(track.1-4)に始まり、スカルソープ(1929-2014)のレクイエム、独奏チェロと合唱版(track.5-10)、シェルシ(1905-88)のチェロとパーカッションのための「カルロ・マーニョの葬儀」(track.11)と続き、and... の先に、現代音楽ならではの捉われない形を提示して、刺激的。そこには、ピアノ伴奏によるソナタの奥ゆかしさは、当然、無い。そういうクラシカルな枠組みから飛び出したチェロの息衝く姿には、目を見張る。そんな1曲目、1998年に作曲されたソッリマの「コンチェルト・ロトンド」(track.1-4)。ライヴ・エレクトロニクスを用い、ブルネロの奏でたばかりの演奏を録音し、実際の演奏に次々に重ねて、独奏チェロのはずが、魔法が掛かったようにチェロ・コンソートを出現させてしまうから驚かされる。1楽章の、チェロの艶やかな響きを重ねて、強調して、ヨーロッパを脱するようなオリエンタルな表情を紡ぎ出すあたりは、ほんとうに魔法のよう。ソッリマならではのフォークロワにインスパイアされたテイストが炸裂し、圧巻!そこからの2楽章(track.2)は、完全にロック!ブルネロの超絶技巧と、ベース・ギターのようにチェロを鳴らして重ね、チェロ・コンソートは瞬く間にバンドに姿を変え、スリリングな音楽を繰り出す。そこには、ソッリマがロックというムーヴメントに並々ならぬ共感を抱いていることがビンビンと伝わる本物感が漲っていて、聴く者の感性をただならず揺さぶるパワフルさがある。そのパワフルさに触れると、ジャンルの枠組みなど、どうでもよくなり、より貪欲に音楽を楽しもうとする欲求が掻き立てられ、不思議と音楽にまっつぐと向き合えるからおもしろい。
そんなソッリマから一転、グレゴリオ聖歌のイノセンスな歌声で始まるスカルソープのレクイエム(track.5-10)。単声で歌われるグレゴリオ聖歌と、独奏チェロが応唱のように音楽を紡ぎ出し始まるものの、やがてチェロがより感情的な動きを見せ、嘆きや悲しみが音楽を覆い出す。すると、人の声よりも、チェロの方に人間性が濃密に感じられて、興味深い異化効果が生まれるのか... グレゴリオ聖歌を歌うコーラスは、感情を剥き出しにして行くチェロを前に、まるで天上の世界を響かせるかのよう。そして、最後、ルクス・エテルナ(track.10)では、人の声で歌われたメロディーが、そのままチェロによってなぞられるのだけれど、それは間違いなくコーラスより、人の声に聴こえてしまうから、おもしろい。そこから、ノイジーなシェルシの「カルロ・マーニョの葬儀」(track.11)へ... ついさっきまで、人よりも歌っていたチェロが、今度は、単に音を発するサウンド・マシーンのようになって、遠雷のように響くパーカッションを背景に、シェルシならではの音響を編む。で、重音を巧みに用いて編まれる音響は、とても独奏チェロとは思えない広がりを生み、驚かされるばかり。何より、チェロという楽器がそれまでになく雄弁に響き出し、パーカッションと相俟って、どこか秘儀的でもあり、聴く者を異世界へと浚って行くかのよう。この迫力は、どこからやって来るのだろう?いや、ソッリマとも、スカルソープとも、まったく異なる次元で響くチェロ... ある意味、それは、チェロの音楽性を否定するかのようで、慄きすら覚える。しかし、そうして生まれる迫力に、ただならず魅せられ、惹き込まれてしまう。何なのだろう、このブラック・ホールを思わせる引力、恐いくらいに凄い。
なんて思わせてしまう、ブルネロのチェロ!美しく演奏するだけでない、その存在感の神々しさに、平伏したくなる。ソッリマでは、冴え渡る超絶技巧と、チェロを以ってして見事にロックを体現してしまうフレキシビリティに圧倒され、スカルソープでは、人の声以上に人間的な感情をチェロから引き出し、シェルシでは、音楽を超越して圧倒的な音として聴く者を呑み込む。同じチェロという楽器から、こうも違う性格を導き出せるものなのかと、とにかく驚かされる。そして、それを際立たせているのが、ブルネロならではの輝きを持った明確な発音。そのクリアかつ、真っ直ぐなサウンドは、とてもニュートラルで、場合によっては、チェロであることも忘れさせるような、独特な感覚もあって、興味深い。何より、そういうニュートラルさがあってこそ、ソッリマ、スカルソープ、シェルシ、それぞれの音楽の性格が十二分に響き出し、それぞれに魅了して来る。

Solo cello and... MARIO BRUNELLO

ソッリマ : コンチェルト・ロトンド 〔チェロとライヴ・エレクトロニクスのための〕
スカルソープ : レクイエム 〔独奏チェロと合唱版〕 *
シェルシ : カルロ・マーニョの葬儀 〔チェロとパーカッションのための〕 *

マリオ・ブルネロ(チェロ)
ボーズ修道院グレゴリオ聖歌隊 *
マウリツィオ・ベン・オマール(パーカッション) *

Victor/VICC-60556




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