SSブログ

カール・フィリップ・エマヌエル、ベルリンからハンブルクへ... [before 2005]

大バッハがこの世を去ったのが1750年。それは、モーツァルトが生まれる6年前。大バッハ=バロックが逝って、モーツァルト=古典主義がやって来る。ちょうど世紀の真ん中で、新旧が交代する。そういう解り易い形がクラシックにはあるのかもしれない。けれど、実際の音楽史は、そう綺麗に片付かない。というより、まったく以って複雑!ロココの繊細さ、感傷に彩られたフランス趣味、ナポリ楽派の流麗さ、スター主義がバロックの性質を変え始めた18世紀前半、大バッハの息子世代が、父の影響下から脱しようと模索する中、その摸索そのものが新しい音楽を形作る。そして、バッハ家の次男、カール・フィリップ・エマヌエルは、ナポリの最新モードと、宮廷に広がるフランス趣味が交差したドイツにおいて、バロックとロココの間を激しく揺れる、多感主義へと至る。
ということで、疾風怒濤に続いての、そのベースとなったとも言える、ポスト・バロックの形、多感主義に注目してみようかなと... ベルリン古楽アカデミーの演奏で、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの、ベルリン時代の交響曲(harmonia mundi FRANCE/HMC 901711)と、ハンブルク時代の交響曲(harmonia mundi FRANCE/HMC 901622)を聴く。


フリードリヒ大王の宮廷の輝き!ベルリンのカール・フィリップ・エマヌエル。

HMC901711
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)。
大バッハがヴァイマルの宮廷に仕えていた頃、その最初の妻、マリア・バルバラを母に生まれたカール・フィリッフ・エマヌエル。父の仕事にともない、ケーテン、ライプツィヒと移り、やがて、大バッハがカントルとして取り仕切っていた、ライプツィヒのトーマス教会の付属学校(トーマスシューレ)に入学。しばらくすると通奏低音の演奏で父を助けるまでに... が、カール・フィリップ・エマヌエルは、法学を学ぶため、ライプツィヒ大学に進学(1731)。その後、父の下を離れ、フランクフルト・アン・デア・オーダーの大学へ移り(1734)、司法生として励む一方、鍵盤楽器の教師もしたりと、音楽への道も模索していたか?1738年、大学を卒業し、訪れたベルリンで、プロイセンの王太子の鍵盤楽器奏者の誘いを受け、そのルピンの宮廷に仕えることに... その2年後、1740年、王太子はフリードリヒ2世(在位 : 1740-86)としてプロイセン王に即位、フリードリヒ大王の時代が始まる。それは、大王の父、軍国政治を敷き、軍隊王の異名を取る、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位 : 1713-40)が抹消したベルリンの宮廷音楽の再建であり、カール・フィリップ・エマヌエルもその一員として力を発揮して行く...
そんなカール・フィリップ・エマヌエルのベルリン時代の交響曲を聴くのだけれど、まず、新しい宮廷の若々しさを感じるサウンドに惹き込まれる!良い意味で、形が定まっていない自由さが生む輝き!花々しさ!営々と伝統を積み重ねて来た宮廷とは違う、新しいことをしているというフレッシュさが、今を以ってしても伝わるから、凄い... そのあたりを丁寧に響かせるのが、最後に取り上げられる、1741年に作曲された、ト長調の交響曲、Wq.173(track.13-15)。フリードリヒ大王の宮廷が始動して間もない頃の交響曲は、前古典派的な軽快さに乗って、心地良く、品の良い音楽が展開し、カール・フィリップ・エマヌエルならではの多感主義らしい表情の揺れも表れていて、春の訪れを思わせる!そして、メランコリーに包まれる2楽章(track.14)の美しさは、まさにロココ... この感じ、サン・スーシーの哲人、フリードリヒ大王の趣味なのだろうなァ。
けれど、カール・フィリップ・エマヌエルの音楽性は、よりアグレッシヴなもの... 1曲目、1757年に作曲された変ホ長調の交響曲、Wq.179(track.1-3)は、のっけから疾風怒濤!その激しさは、2楽章(track.2)で、突然、沈鬱となり、多感っぷりも示す。この落差が、カール・フィリップ・エマヌエル。終楽章(track.3)では、大バッハ調のバロックに回帰して、音楽史が逆回転するような、おもしろさも... こういうギミックさは、フリードリヒ大王の趣味と齟齬があったのだろう。鍵盤楽器奏者としてではなく、作曲家として力を発揮するため、1768年、カール・フィリップ・エマヌエルは、ベルリンを去る。

C.P.E. Bach ・ Concertos ・ Akademie für Alta Musik Berlin

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 変ホ長調 Wq.179
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : チェンバロ、弦楽、通奏低音のための協奏曲 ハ長調 Wq.20 *
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 ホ短調 Wq.178
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : チェロ、弦楽、通奏低音のための協奏曲 イ短調 Wq.170 *
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 ト長調 Wq.173

ラファエル・アルパーマン(チェンバロ) *
ペーター・ブルーンス(チェロ) *
ベルリン古楽アカデミー

harmonia mundi FRANCE/HMC 901711




やがてモーツァルトへとつながる、ハンブルクのカール・フィリップ・エマヌエル。

HMC901622
フリードリヒ大王が引き留めたにも関わらず、ベルリンを飛び出したカール・フィリップ・エマヌエル... ハンブルクの音楽監督を務めていた、ドイツ・バロックの巨匠、大バッハの友人でもあったテレマン(1681-1767)の死を受けて、その後任として、1768年、ハンブルクの音楽監督に就任する。それは、運命的?ヴァイマルでカール・フィリップ・エマヌエルが生まれた時の代父がテレマンで、カール・フィリップ・エマヌエルの"フィリップ"は、ゲオルク・フィリップ・テレマンから採られた名前... ある意味、ハンブルクは、カール・フィリップ・エマヌエルにとっての約束の土地だったと言えるのかもしれない。というハンブルクは、当時からすでに大都市で、かつては駆け出しのヘンデルも活躍した、北ドイツ切ってのオペラの街であり、何より自由都市!神聖ローマ皇帝から特権を得た都市国家だったことから、ベルリンのように、宮廷の主の趣味に囚われることのない、より開かれた市民のための豊かな音楽シーンが存在していた。そんなハンブルクでの交響曲は、ベルリンとは違う活気に溢れている。
1776年に作曲された、4曲からなる「12のオブリガード声部によるオーケストラのための大交響曲」、Wq.183の、3曲目(track.1-3)と、2曲目(track.4-6)が、まず取り上げられるのだけれど、そのパワフルさたるや!何より、やりたいことをやり切っている感が漲っていて、胸空くよう。また、それが、ちょうど疾風怒濤の時代とも重なり、インパクトある幕開けから、テンションの高い音楽で疾走する、それぞれの1楽章は圧巻。そこには、ベートーヴェンの初期の交響曲を思わせる勢いを見出し、多感主義ならではの喜怒哀楽が激しく入れ替わり生まれるコントラストには、ブルックナー休止を思わせるような瞬間があり、ハッとさせられる。さて、オルガンのための協奏曲(track.7-9)を挿んでの後半は、ウィーン古典派の中心人物、スヴィーテン男爵の依頼で、1773年に作曲された「6つの交響曲」、Wq.182の、2曲目(track.10-12)と、3曲目(track.13-15)が取り上げられるのだけれど、そこには、モーツァルトを思わせるトーンも聴こえ、ウィーンへとつながる。
さて、カール・フィリップ・エマヌエルの歩みを俯瞰する交響曲の数々を、2枚のアルバムによって聴かせてくれた、ベルリン古楽アカデミー。彼らの演奏が、とにかく秀逸!ピリオドならではの、ありのままをすくい上げようという姿勢が、この作曲家を特徴付ける多感主義を際立たせ、鋭い音楽を展開。まるでジェット・コースターに乗るようなカール・フィリップ・エマヌエルの多感主義だけれど、それが、とんでもなくクールに、上がったり、下がったり... 作曲家のギミックを、こうもスタイリッシュに仕上げて来るとは... それでいて、それぞれの時代、場所の持つ表情も丁寧に響かせる器用さ、見事!

C.P.E. BACH / SYMPHONIES / AKADEMIE FÜR ALTE MUSIK BERLIN

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 ヘ長調 Wq.183-3
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 変ホ長調 Wq.183-2
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : オルガンとオーケストラのための協奏曲 ト長調 Wq.34 *
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 変ロ長調 Wq.182-2
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : 交響曲 ホ長調 Wq.182-6

クリスティーネ・ショルンスハイム(オルガン) *
ベルリン古楽アカデミー

harmonia mundi FRANCE/HMC 901622




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。