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ヴィルヘルム・フリーデマン、大バッハが最も期待した息子... [before 2005]

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ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-84)。
大バッハの長男で、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)の4つ年上の兄。ヴァイマルで生まれ、幼い頃から父による最高の音楽教育を授けられる。それは、『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』(1720)という、父の熱意の籠った曲集に表れている。やがて、父がライプツィヒの音楽監督に就任(1713)すると、父がカントルを務めるトーマス教会の付属学校(トーマスシューレ)に入学。さらに、ヴァイオリンを学ぶため、ヨハン・ゴットリープ・グラウン(ピゼンデル、タルティーニの弟子で、後に、フリードリヒ大王の宮廷に仕えたヴァイオリンの名手... 弟、カール・フィリップ・エマヌエルの同僚となる... )にも師事。そこには、より幅のある音楽家への成長を願う父の思い入れがあったのだろう。やがて、ライプツィヒ大学に入学するも、音楽家としての活動を本格化、父を助け、さらには、忙しい父の代役を務めることも... そうして、1733年、22歳の時、父の威光も手伝って、ドレスデンのゾフィア教会のオルガニストのポストを獲得。1746年には、ハレの音楽監督に就任するのだったが、父の死を境に、その人生は暗転して行く...
ということで、大バッハが最も愛情を注ぎ、期待した、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの交響曲(harmonia mundi FRANCE/HMC 901772)を、弟、カール・フィリップ・エマヌエルの交響曲に続いて、ベルリン古楽アカデミーの演奏で聴く。

すぐ下の弟、カール・フィリップ・エマヌエルが、多感主義で、新旧入り乱れるポスト・バロックの時代を象徴する個性を打ち立てたのに対し、ヴィルヘルム・フリーデマンは、時代を超越するような音楽を響かせ、不思議な存在感を見せる。何だろう?この感覚... ちょっと捉えどころが無いような独特さを放つ、ヴィルヘルム・フリーデマンの音楽... そこには、作曲家の性格が反映しているのかもしれない。10歳の時、父が長期出張中に、母、マリア・バルバラを亡くしたヴィルヘルム・フリーデマン。一年半後に、父は、部下にあたる宮廷歌手、アンナ・マグダレーナ(1701-60)と再婚。9歳年上の新しい母は、マリア・バルバラが亡くなる前から、大バッハと親密だったという説もあるようで、ヴィルヘルム・フリーデマンとっての少年時代は、複雑なものがあったのかもしれない。その複雑さを埋める父の愛情だったのかもしれない。そうした中で育まれた性格は、地に足の着かない人生をヴィルヘルム・フリーデマンにもたらしてしまったのか... ヘンデルが生まれた街として知られるハレの音楽監督を務めながらも、周囲と上手くコミュニケーションを取れず、様々なトラブルを引き寄せてしまうヴィルヘルム・フリーデマン。新天地を模索するも、新しいポストを得るまでには至らないまま、1764年、ハレのポストを辞任。そこから、20年にも及ぶ、流転の人生が始まる。大バッハが最も期待を掛けた長男だけに、その才能は確かなものだったが、性格が災いし、弟たちの成功とは裏腹に、困窮の中、1784年、73歳で、この世を去る。
さて、1曲目に取り上げられるニ長調の交響曲、Fk.64(track.1-3)は、ハレ時代、大バッハがこの世を去った1750年頃の作品で、時代を超越するヴィルヘルム・フリーデマンのイメージを裏切る、時代に即した音楽を繰り出して、かえって印象的... かつて大バッハの音楽が醸した手堅い花やかさの記憶を残しながら、前古典派を思わせる軽やかさを見せるその音楽は、まさに過渡期を体現している。しかし、過渡期の不安定さを微塵も感じさせず、確固とした交響曲を響かせるあたり、ヴィルヘルム・フリーデマンの非凡を感じずにいられない。そして、より時代に即した音楽を聴かせてくれるのが、最後に取り上げられるヘ長調の交響曲、Fk.67(track.)。ヴィルヘルム・フリーデマンのドレスデン時代に書かれた交響曲は、ナポリ楽派の巨匠、ハッセが取り仕切ったドレスデンの先進性に乗って、ギャラント。ドレスデンのイタリアとの結び付き(ヴェネツィア楽派の巨匠、ロッティも訪れ、鬼才、ヴィヴァルディとも、その弟子、ピゼンデルを通じてつながっていた... )を感じる花やかさが、大バッハの厳めしいバロックを後退させ、新たな息吹を感じさせる素敵な交響曲を編み上げる。また、そこには、ヴィルヘルム・フリーデマンらしい、地に足の着かないような、フワフワとした雰囲気も漂い始めていて、魅惑的。
で、よりヴィルヘルム・フリーデマンらしさを強く感じるのが、ニ短調の交響曲、Fk.65の1楽章、アダージョ(track.4)... まるで、モーツァルトのラクリモーサを思わせる沈鬱さの中を、木管が静かにメロディーを紡ぎ出す音楽は、成功した弟たちの誰よりも先を行っている!いや、モーツァルトだと言っても、納得してしまいそうなほど... そこから、大バッハ仕込みの重厚なフーガが繰り出される2楽章(track.5)が続くのだけれど、交響曲としては、まったくイレギュラーな2楽章構成で、前半、古典主義、後半、バロックという、おもしろい展開!いや、これは、モーツァルトのアダージョとフーガ(1788)の在り方、そのもの。ヴァン・スヴィーテン男爵を通じて大バッハを知ったモーツァルトだっただけに、モーツァルトとのつながりを強く感じさせる音楽。チェンバロ協奏曲(track.6-8)を挿み、もうひとつ、アダージョとフーガ(track.9, 10)が取り上げられるのだけれど、そのフーガ(track.10)のパートは、元々、ヴィルヘルム・フリーデマンによる、鍵盤楽器のための『8つのフーガ』のひとつで、同じフーガをモーツァルトも弦楽用にアレンジしており、このつながりが、なかなか興味深い...
という、ヴィルヘルム・フリーデマンを取り上げる、ベルリン古楽アカデミー。交響曲に始まって、アダージョとフーガ(交響曲)、チェンバロ協奏曲を折り返し地点に、再びアダージョとフーガ、そして交響曲へと、1枚のアルバムをシンメトリックに構成し、よりヴィルヘルム・フリーデマンの深淵に下りてゆくような雰囲気を醸し出し、おもしろい。そうして掘り起こされる、ヴィルヘルム・フリーデマンの繊細さ... ベルリン古楽アカデミーならではの、すっきりとしたサウンドが、ヴィルヘルム・フリーデマンの繊細さを磨き上げるようで、そこから放たれる美しい輝きに惹き込まれる。またその輝きに浮かび上がる、時代を超越するヴィルヘルム・フリーデマンならではの、未来の響きの興味深さ... 繊細さを磨けば磨くほど、大胆にも聴こえる刺激的な姿は、ベルリン古楽アカデミーの癖の無い響きだからこそ際立つものかもしれない。

W.E.Bach ・ Symphonies ・ Akademie für Alte Musik Berlin

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ : 交響曲 ニ長調 Fk.64
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ : 交響曲 ニ短調 Fk.65
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ : チェンバロ、弦楽と通奏低音のための協奏曲 ホ短調 Fk.43 *
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ : アダージョとフーガ ヘ短調
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ : 交響曲 へ長調 Fk.67

ラファエル・アルパーマン(チェンバロ) *
ベルリン古楽アカデミー

harmonia mundi FRANCE/HMC 901772




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