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バロック?古典主義?割り切れない18世紀の疾風怒濤... [before 2005]

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ゲーテ(1749-1832)の同世代で、ゲーテとも親交を結んだ、ドイツの劇作家、クリンガー(1752-1835)が、1776年に書いた戯曲、『疾風怒濤』に因む、「疾風怒濤」、ドイツ語で、シュトルム・ウント・ドラング... バロックを脱したヨーロッパに広がった文化的気分、古典主義の洗練、端正さ、啓蒙主義の開明で理性的であることに反発を覚えた文学青年たちが、ルソーの「自然に帰れ」に刺激され、1770年代、より率直に人間らしい感情を表に出す作品を発表... ゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774)は、その象徴的な作品となるわけだけれど、そうした文学運動は、すぐに音楽にも伝播し、激しい、感情的な音楽が、古典主義の音楽を一時、掻き乱すことになる。それが、音楽史における疾風怒濤の時代。この「疾風怒濤」を改めて見つめてみる。
ということで、日本を代表するチェンバリストのひとり、中野振一郎が、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ、ハイドンのソナタを、チェンバロで弾くアルバム、ズバリ、『疾風怒濤』(DENON/COCO 80479)を聴く。

中野振一郎による『疾風怒濤』、これが、思いの外、幅広い音楽が収められていて、ズバリのタイトルの一方で、イメージは攪乱されてしまうよう... バッハ家の次男、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)の、フリードリヒ大王に仕えていた頃、まだ大バッハが健在だった時代、1740年代に作曲された2つのソナタ(track.1-3, 4-6)と、バッハ家の長男、ヴィルヘルム・フリーデマン(1710-84)の作曲年代がよくわからないソナタ(track.7-9)、そして、エステルハージ侯爵家の楽長職にあった最後の頃、ハイドン(1732-1809)の1784年に出版された2つのソナタ(track.10-12, 14, 15)が取り上げられるのだけれど、『疾風怒濤』と銘打ちながら、疾風怒濤の時代を外して来る選曲。で、いいのか?と、ツッコミを入れたくなってしまうのだけれど、外れた所にも「疾風怒濤」は存在している?単に、文学運動に刺激された音楽というだけでない、より広い視野に立って、ロココ、ギャラント様式、多感主義と、疾風怒濤の時代へと至る、ポスト・バロックのヴァリエイションを丁寧に拾い、その先で、古典主義が花開く様子までを押さえて来る『疾風怒濤』。その展開に、18世紀の刺激的な姿を発見する。
1曲目、カール・フィリップ・エマヌエルのヴュルテンベルク・ソナタ、1番の終楽章(track.3)には、疾風怒濤を先取る、荒ぶる表情に包まれて、ちょっとベートーヴェンのソナタを思わせる。それが、大バッハがフリードリヒ大王に『音楽の捧げもの』(1747)をまだ捧げていない頃の音楽だというから、驚かされる。裏を返せば、大バッハが如何にオールド・ファッションであったかを思い知らされる。対位法の堅苦しさから脱しようともがいたのが、カール・フィリップ・エマヌエルが得意とした多感主義... 感情の極端な起伏に象徴されるその音楽の、躁状態の部分が疾風怒濤の端緒だったか... 一方で、大バッハの下から巣立って、自由を得た音楽は、どこか空を掴むようなところもあるのかも... というのが、ヴィルヘルム・フリーデマンのソナタ(track.7-9)。多感を極めてしまって、意識が朦朧として来るような、独特な感覚。明らかにポスト・バロックにおけるマニエリスム。けれど、そこには、ドビュッシーあたりまで、先を読んでしまった音楽が現れているようで、刺激的。何と言うか、もはや、カオス...
18世紀の音楽なんて、バロックにしろ、古典主義にしろ、どれも似通ったもの、なんていうイメージは、バロックと古典主義の間には当てはまらないのかもしれない。そして、その狭間に現れたカオスは、古典主義の時代になっても尾を引き... というのが、最後のハイドン。古典主義の大家も、常にカオスを抱えていて、それが、次の世代に受け継がれた時、パンっと弾けて、ロマン主義が音楽を乗っ取って行く。そんなイメージが湧いて来る、53番(track.10-12)と、56番(track.14, 15)のソナタ... 古典主義の端正さは、一歩後ろに引き、メランコリックで、思い掛けなく危うさを含み、聴く者を浸食して来るような音楽を繰り広げる。何なんだ、この音楽!?おもしろいのは、2つのソナタに挟まれた、皇帝賛歌の主題による変奏曲(track.13)。今ではドイツ国歌となっているメロディーがじっくり変奏されるのだけれど、アルバムの雰囲気もあって、どこか呪文のよう。
そんな『疾風怒濤』を織り成した、マエストロ、中野振一郎。このアルバム、聴けば聴くほど、泥沼にはまって行くようなただならなさがある。『疾風怒濤』という文句に引き寄せられて、テンションの高い音楽を期待して聴いてみれば、じわりじわりと呑まれてしまうのか、その美しさに!明晰なタッチによって、チェンバロが放つ全ての音がキラキラと輝き、まるで宝石箱のようなアルバムなのだけれど、美しさに麻薬性がある... バロックと古典主義の間のカオスを、そういう音色で掘り起こすと、眩暈を起こしそう。ピアノでは絶対に味わえない浮遊感が、スコアに綴られた音符を宙に解き放ってしまうような、チェンバロだからこそ生まれた幻想性に圧倒される。いわゆる「疾風怒濤」の音楽だけでない、バロックから自由になった美しさの疾風の中を、怒涛のチェンバロの輝きに押し流される。そんな音楽を紡ぎ出したマエストロは、魔法使い?

疾風怒濤 ● 中野振一郎

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : ヴュルテンベルク・ソナタ 第1番 イ短調 Wq.49
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : プロイセン・ソナタ 第6番 イ長調 Wq.48
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ : ソナタ 第2番 イ長調
ハイドン : ソナタ 第53番 ホ短調 Hob.XVI-34
ハイドン : 皇帝賛歌の主題による変奏曲 ト長調
ハイドン : ソナタ 第56番 ニ長調 Hob.XVI-42

中野 振一郎(チェンバロ)

DENON/COCO 80479




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