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シンフォニスト、シューベルト、ロマン主義から、その先へ... [before 2005]

シューベルト(1797-1828)の人生は31年。その31年の間に完成された交響曲は8曲(「未完成」というのもあるけれど... )。35歳で逝ったモーツァルト(1756-91)が、41番まで書いたことを思い起こすと、8曲というのは、とても少ない。一方で、56歳で逝ったベートーヴェン(1770-1827)が、第九までだったことを考えると、十分に多い。という2つの視点から見つめれば、シューベルトは、18世紀的な交響曲の在り方と、19世紀的な交響曲の在り方の、ちょうど中間に立っていたと言えるのかもしれない。また、その8曲には、古典主義からロマン主義へとうつろう時代が、しっかりと刻まれており、改めて1番から聴いてみると、過渡期を強く印象付けられる。そして、その過渡的なあたりに、シューベルトらしさを見出し、腑地落ちるものを感じる。
ということで、ジョス・ファン・インマゼール率いるアニマ・エテルナの、シューベルトの交響曲全集、10代で作曲された 1番から5番に続いて、6番と「未完成」(SONY CLASSICAL/SK 63094)、「ザ・グレイト」(SONY CLASSICAL/SK 63096)を聴く。


「未完成」、シューベルト、ロマン主義の幕を開ける...

SK63094
古典主義からロマン主義へとうつろう時代... シューベルトの交響曲に最もロマン主義を感じるのは、7番目として数えられる「未完成」(track.1, 2)。1822年に作曲を始めるも、3楽章の冒頭まで書き進めながら、結局、そこで終わってしまったミステリアスな交響曲。当然、演奏されるのは2つの楽章のみ... で、2楽章(track.2)、緩叙楽章で終わってしまうあたり、同時代の交響曲としては、まったくのイレギュラー... けれど、緩叙楽章ならではの緩やかなテンポの中、厭世的な気分に包まれ、最後はフェード・アウトしてしまうあたりが、とてもロマンティック!いや、「未完成」は、未完成という状態が、まさにロマンティックに感じるから、おもしろい。古典主義の時代に誕生した交響曲という在り方は、まさに古典美を体現する絶対音楽。そこに、「未完成」という絶対に至らない交響曲を残したことは、古典主義へのアンチテーゼだったか?古典美からの脱却の手段としての「未完成」と考えると、この交響曲が俄然、挑戦的なものに思えて来る。ま、スケッチに終わった交響曲が、たくさんあるシューベルト、「未完成」を意図したわけではないのだけれど... そこに意義が生まれてしまうほどの音楽を未完成な状態ながら書けていたシューベルトは凄い人だと思う。何より、「未完成」という言葉の雄弁さたるや!
で、言葉だけではありません。「未完成」には、ロマン主義のトーンが広がり、雄弁に音楽が流れ出す... その1楽章、冒頭、少し唐突に始まるオーボエとクラリネットによる仄暗いメロディーには、古典派には無かったセンスを見出し、新たな時代の到来を意識させられる。ベートーヴェンの影響もはっきりと残しつつ、湧き上がる詩情はベートーヴェンの後のもの... これは、交響曲におけるロマン主義の幕開けなのかもしれない。未完成の空白には、それこそ、ロマン派の交響曲の数々が埋まるのかも... でもって、さらに興味深く感じるのが、ブルックナー(1824-96)を予感させる大胆さが聴こえて来るところ。1楽章、冒頭の唐突なあたりも、ブルックナーっぽい?ロマン主義らしく、仄暗く、悲愴感に満ちながらも、鮮烈な瞬間が度々あって、インパクトを生むのか... 改めて「未完成」と向き合うと、シューベルトの他の交響曲とは違う、希有な感覚に惹き込まれる。
という「未完成」の後で、6番(track.3-6)に立ち返るインマゼール。「未完成」の仄暗さを晴らすような長調の音楽が弾け、絶妙の切り返し!何より、軽快なメロディーがリズミカルに繰り出されて、どこか「ザ・グレイト」を予感させる?同じ調性というのもあるのかもしれないけれど、全てを通じて、何ともキャッチーで、小気味の良いリズミカルさが、「ザ・グレイト」に通じるのだと思う。一方で、終楽章(track.6)の第1主題の愛らしさは、まるでハイドン。かと思うと、ロッシーニのオペラのような展開があって、不思議な折衷感!これが、シューベルトの時代の生々しい空気感だったのだろう。過渡期なればこその、方向性の定まらなさのようなものを感じ、「未完成」のような舵を切った作品の後に聴くと、少しもどかしい。が、優柔不断はシューベルトの真骨頂... これもまた味になっていて... それを巧みに表現するアニマ・エテルナが、乙。

SCHUBERT: Die Unvollendete & Sinf. nr. 6 ・ Anima eterna ・ Immerseel

シューベルト : 交響曲 第7番 ロ短調 D.759 「未完成」
シューベルト : 交響曲 第6番 ハ長調 D.589

ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ

SONY CLASSICAL/SK 63094




「ザ・グレイト」、シューベルト、最後に至った境地...

SK63096
さて、最後です。シューベルト、8番目の交響曲、「ザ・グレイト」。最後にして、グレイトですか?!でもって、「未完成」の次が、グレイトって、ツッコミを入れたくなってしまう!なんてことは、さて置き、1番から丁寧に聴き進めて来ての「ザ・グレイト」は、なかなか感慨深いものがある。一方で、この交響曲が、「未完成」とはまた違って希有であることを再認識させられる。この交響曲、ある種のミニマル・ミュージック?「未完成」でロマン主義の幕を開けながら、「ザ・グレイト」ではロマン主義の雰囲気が後退し、シューベルトの古典派的側面がより進化を遂げたとでも言おうか、明快なフレーズが、間断無く、小気味良く刻まれ、場合によっては、無窮動な印象すらあって、音楽としての大きな流れよりも、一瞬、一瞬の、感覚的な心地良さが際立つ。交響曲として構築的でありながらも、より微視的な、サウンドそのものが設計されるような感覚もあり、それはロマン主義を飛び越して、印象主義へとつながるかのよう。いや、他のどの交響曲にも無いベクトルを持っているのが、「ザ・グレイト」なのかも。そうして、全てが明快に響き出し、淀み無く流れ、「未完成」からは一転、一点の曇り無く、輝く!この圧倒的なポジティヴ感は、ちょっと他に探せない。だから「ザ・グレイト」か?いや、その長大さゆえの「ザ・グレイト」なのだけれど、改めて向き合えば、長大さ以上に、存在そのものが、グレイトに思えて来た。これは、凄い音楽なのかも...
そんな「ザ・グレイト」が作曲されたのは、シューベルトの死の前年、1828年。すでに体調を崩していながら、「ザ・グレイト」と呼ばれるほど、当時としては驚くべき長大さを誇った交響曲を、シューベルトは一気に書き上げている。そして、その勢いが、そのまま音楽に表れている。長大なのに、一度、動き出してしまうと、最後まで、あっと言う間... 特に終楽章(track.4)の疾走感は、突き抜けている!もう、止まれないのでは、というくらい、勢い漲る音楽は、死を前にした作曲家の筆とは思えない。が、一方で、それは、この世の音楽ではないのかもしれない。俗世に塗れぬピュアな響きを放って、優柔不断のシューベルトはどこにもいない。そして、これがシューベルトの至った境地か... 最後に完成させた交響曲が、こうも輝かしくあることに、切なくなる。
という「ザ・グレイト」、インマゼール+アニマ・エテルナの演奏は、じっくりと向き合うようなところがあって、印象的。けして、勢いに任せて、ノリ良く展開するようなことはせず、ひとつひとつのフレーズを丁寧に捉え、ありのままを響かせる。そういう点で、彼らならではなのだけれど... 彼らならでは、だからこそ、滋味に溢れる「ザ・グレイト」に仕上がっていて... ピリオド楽器の味わい深さをそのままに、派手さはないけれど、何かシューベルトその人に寄り添うような演奏を聴かせる。いや、シューベルト、最後の交響曲を噛み締めるようなところもあるのかもしれない。交響曲全集ならではの感覚なのだろう。1番から、しっかりと辿って来ての「ザ・グレイト」... そんな音楽に包まれていると、優しい気持ちになれるよう。

SCHUBERT: Die Grosse ・ Anima eterna ・ Immerseel

シューベルト : 交響曲 第8番 ハ長調 D.944 「ザ・グレイト」

ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ

SONY CLASSICAL/SK 63096




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