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シンフォニスト、シューベルト、古典主義からロマン主義へ... [before 2005]

クラシックの魅力って、何だろう?改めて考えてみると、音楽を極めようとする姿勢かな... って、別に、クラシック以外のジャンルが、音楽を極めていないということではなくて、つまり、交響曲に、協奏曲に、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタなど、絶対音楽が柱となっているストイックさが、クラシックの、他のジャンルには無い魅力かなと... けど、そういう姿勢って、現代社会においては、極めつけマニアックだったりするのだよね。悩ましいところ... だけれど、極めている分、突き抜けた何か、時に陶酔的な感覚すら生まれ得るあたり、実は現代的なものを感じなくもないような... とかくアカデミックになりがちだけれど、より感覚的にクラシックを捉えると、また違った可能性が生まれて来そうな気もする。そんな絶対音楽=交響曲からクラシックを見つめてみる。
ということで、ハイドンの次は、シューベルト... ジョス・ファン・インマゼール率いるアニマ・エテルナの、シューベルトの交響曲全集、全4枚を聴いてみようと思うのだけれど、まずは、前半の2枚、1番、3番、5番(SONY CLASSICAL/SK 63097)と、2番、4番、「悲劇的」(SONY CLASSICAL/SK 63095)。後の傑作、大作に向けてのシューベルトの歩みを追う。


ウィーン古典派からベートーヴェン、そして、ロマン主義へ... 1番、3番、5番。

SK63097
シューベルト(1797-1828)は、ロマン派として紹介されることが一般的だけれど、よくよく聴いてみると、ロマン主義的な性格は薄い気がする。そもそもシューベルトは18世紀生まれである。モーツァルトが逝った6年後、ハイドンがオラトリオ『天地創造』を作曲していた頃、1797年に、ウィーン郊外で誕生した。そして、ハイドンが亡くなる前年、1808年、ウィーンの宮廷礼拝堂聖歌隊の母体であるシュタットコンヴィクト(寄宿制神学校)に入学し、宮廷楽長、サリエリに付いて学ぶ機会を得る。つまり、ウィーン古典派の爛熟に包まれてシューベルトは育ったわけだ... ということを意識しながら聴く、1番の交響曲(track.9-12)。それはもう、古典派交響曲の何物でもない!ハイドンが逝って5年後、1813年、シュタットコンヴィクトの最上級生として、学生オーケストラの指揮を任されるようになっていた16歳のシューベルトが、その学生オーケストラのために書いた交響曲は、ハイドンの端正さ、モーツァルトの華麗さを受け継ぎ、見事にウィーン古典派サウンドを響かせる!いや、16歳とは思えない充実っぷり... こういう逸材を育て上げたウィーン古典派の充実にも感服させられてしまう。
続いて、1番の2年後、1815年、18歳となったシューベルトの3番(track.1-4)を聴いてみるのだけれど... ベートーヴェンが7番、8番の交響曲を初演した翌年の作品ということで、そこには、はっきりと、ウィーン古典派の進化系、ベートーヴェンの剛健なサウンドが表れている。いや、1番から2年を経ての、この飛躍!時代のモードにしっかり乗ろうという若い作曲家の野心が感じられ、微笑ましくもあるのか... そうした中で、1楽章(track.1)の冒頭や2楽章(track.2)にフォークロワを思わせるキャッチーなメロディーが聴こえて来ると、ロマン主義を予感させて、ベートーヴェンには至らなくとも、ベートーヴェンの先を予感させるようで、印象的。そこから、5番(track.5-8)を聴いてみると、のっけから流れ出すキャッチーなメロディーに、ハっとさせられる!それは、メンデルスゾーンを思わせるような瑞々しさ... まだロマン主義が何であるかもわからないままに、ロマン主義へと踏み込んでしまったような、得も言えぬイノセンスさ!いや、この感覚こそシューベルトかもしれない。古典主義をベースとしながらも、無意識にロマン主義を滲ませてしまう。それは、とてもナイーヴな音楽...
ということで、1番、3番、5番と、奇数の番号の交響曲を3曲、1枚に盛り込んだインマゼール。ひとつ飛ばしで取り上げるからこそ、若きシューベルトの成長、時代の動きが浮かび上がるようで、おもしろい。また、インマゼールならではの、朴訥なアプローチが、シューベルトの交響曲の古典主義のベースを素直に掘り起こし... この18世紀に還るスタンスが、かえって音楽を息衝かせ、ウィーン古典派の遺産の大きさをも強調し、シューベルト10代の交響曲(5番は、19歳の作品... )も、堂に入った音楽として繰り広げることができるのか... 18世紀からシューベルトを見つめると、俄然、輝き出す!

SCHUBERT: Sinfonien nrs. 1, 3 & 5 ・ Anima eterna ・ Immerseel

シューベルト : 交響曲 第3番 ニ長調 D.200
シューベルト : 交響曲 第5番 変ロ長調 D.485
シューベルト : 交響曲 第1番 ニ長調 D.82

ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ

SONY CLASSICAL/SK 63097




「ザ・グレイト」を予感させる、4番、「悲劇的」、ベートーヴェンへの憧れ、2番。

SK63095
1番、3番、5番に続いて、その間を埋める、2番(track.5-8)、4番、「悲劇的」(track.1-4)を聴くのだけれど、まずは、4番から取り上げるインマゼール... この「悲劇的」という標題が付けられた交響曲は、同じく標題が付いている晩年の作品(とは言っても、シューベルトの31年人生からすれば、それはすぐにやって来てしまうのだけれど... )との距離の近さを強く感じる。というより、引けを取らないほど、独自の音楽を展開し得ていて、ある意味、完成された響きがすでにそこにあるのかもしれない。1楽章、冒頭の不穏な表情には、ロマン主義の気分が漂い、そこから、悲劇が疾走するような展開はドラマティックで、惹き込まれる。3楽章(track.3)、スケルツォ風メヌエットの、大胆にして個性的な半音階の連なりが生むグロテスクさ!スケルツォなあたりはベートーヴェンの影響を感じるものの、そこから響き出すサウンドはベートーヴェンを越え、ロマン主義すら越えて、独特な世界観を打ち立てるよう。続く、終楽章(track.4)のパワフルで、無窮動な感覚は、10年後に完成する最後の交響曲、「ザ・グレイト」を予感させ... いや、この絶対音楽が繰り出すテンションは、サイケデリックですらあって、陶酔的!「悲劇的」とはいうものの、その悲劇性は、最後には吹っ飛んでしまう。それにしても、この4番、交響曲として、おもしろ味が詰まっていること、確かな聴き応えがあること、「未完成」以前の交響曲では、抜きん出ている。それが、シューベルト、19歳、1816年に完成されているというから、凄い... シューベルトも間違いなく天才だ...
という4番の後で聴くのが、2番(track.5-8)。4番の前年、1815年に完成した交響曲なのだけれど、この交響曲の特徴は、若きシューベルトにとって輝かしい存在だったろう、ベートーヴェン(1770-1827)に染まっていること... 1番がシューベルトの先生たちの時代の集大成ならば、2番はシューベルトの同時代のスターへの憧れが詰まっている。いや、ベートーヴェンの交響曲、4.5番とか言えてしまいそうな堂々たる音楽を繰り広げていることに、改めてシューベルトのポテンシャルの高さを感じさせる。大好きなものを、そのまま自らのものとして表現したい... 2番には、そんなシューベルトの若さゆえの未熟さがあるものの、生み出された交響曲の確かさには舌を巻く。十分過ぎるほど魅力を放ち、そのベートーヴェン的魅力に、聴き入ってしまう。
という、若きシューベルトの興味深い2つの横顔を鮮やかに捉えたインマゼール+アニマ・エテルナ。オリジナル主義を徹底し、ありのままを鳴らしながら、そこから、より作品の息衝く姿、個性を引き出すことに長けた彼らならではのシューベルトは、やっぱり、おもしろい!晩年の作品ではない、10代の交響曲である、という安易なレッテルを貼らず、徹底して真摯に向き合い、シューベルトの若いからこその勢いを巧みに掴み、それに乗っかって、交響曲のおもしろさを、ノリよく展開する。これは1990年代後半の録音で、インマゼール+アニマ・エテルナも若かったか... いや、だからこそスパークする!

SCHUBERT: "Die Tragische" & Sinf. nr. 2 ・ Anima eterna ・ Immerseel

シューベルト : 交響曲 第4番 ハ短調 D.417 「悲劇的」
シューベルト : 交響曲 第2番 変ロ長調 D.125

ジョス・ファン・インマゼール/アニマ・エテルナ

SONY CLASSICAL/SK 63095




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