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"交響曲の父"の、ホップ・ステップ・ジャンプ! [before 2005]

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さて、9月、シェイクスピアの没後400年のメモリアルということで、クラシックにおけるシェイクスピアを巡って来たのだけれど、シェイクスピアが綴った物語から様々に展開される音楽は、作曲家、それぞれの、思い入れの強さを感じ、改めて、シェクイクスピアの存在に圧倒される。が、そろそろシェイクスピア疲れ... いや、物語の世界から離れてみたくなって... となったら、絶対音楽!物語の力を借りることなく、音楽として、音楽を突き詰める交響曲と向き合ってみたくなる。いや、普段、交響曲を「絶対音楽」として、仰々しく捉えることは無いものだから、あえて絶対音楽=交響曲として見つめてみようかなと... ということで、シェイクスピア=ロマン主義の時代から遡り、絶対音楽の結晶、交響曲が完成された古典主義の時代へ、"交響曲の父"を聴く!
ということで、ブルーノ・ヴァイルの指揮、カナダのピリオド・オーケストラ、ターフェルムジーク・バロック管弦楽団の演奏で、ハイドンの88番、89番、90番の交響曲(SONY CLASSICAL/SK 66253)... パリ・セットを書き終えての充実の後、最後のロンドン・セットを書き始める前、ハイドンが絶対音楽を深化させる、興味深い中間点を切り取る1枚を聴いてみようかなと...

交響曲の始まりは、バロックの時代、オペラの序曲として演奏されたシンフォニアに端を発する。現在も、オペラの序曲は、コンサート・ピースとして、独立して演奏されるわけだけれど、バロックの頃にも、すでに独立して演奏されるものがあり... 勢い、完全に独立してしまったのが、シンフォニア、ということになる。そして、オペラの序曲として意図されていないシンフォニアが作曲された時こそ、シンフォニア=交響曲の誕生日だったのだろう。が、それがいつであるかは、わからない。しかし、絶対音楽=交響曲が、オペラを母体としていたというのは、何とも奇妙な感じがしてしまう。裏を返せば、バロック期、音楽の世界において、オペラの存在は、極めて大きかったと言えるわけだ。また、バロック・オペラの序曲=シンフォニアの中には、後の交響曲の形が表れてもいて... アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)が確立するイタリア式序曲には、急―緩―急で構成される楽章を思わせる区切りがあり、盛期バロックを迎える前に、すでに交響曲は準備されていたと言える。そのアレッサンドロ・スカルラッティが逝って、7年目に誕生するのが、ハイドン(1732-1809)... そして、"交響曲の父"が、交響曲を作曲し始めるのが、20代後半、チェコのモルツィン伯爵の楽長(1757-61)となった1750年代の後半... そこから、最後の「ロンドン」(1795)までの40年間、ハイドンのシンフォニストとしての歩みは、そのまま交響曲発展の歩みだったと言える。で、ここで聴く、88番、89番、90番は、集大成、ロンドン・セット(93番から104番)に向けての、ホップ・ステップ・ジャンプ!"交響曲の父"の交響曲=絶対音楽が完成される興味深い展開を見出せる。
エステルハージ侯爵家の楽長(1761-90)を務め、オーストリアとの国境に近いハンガリーの片田舎で地道に仕事をこなしていたハイドンだったが、いつのまにやらその交響曲はヨーロッパ中に知れ渡り、1780年代には、18世紀の音楽の都、パリで一大ブームを巻き起こすまでに... そんなブームに乗って、パリのオーケストラから委嘱されたのがパリ・セット(82番から87番)。もちろん、大ヒット!そうした折り、エステルハージ侯爵家のオーケストラでヴァイオリニストを務めていたトストがパリへ出ることに... そのトストが、パリで演奏するための交響曲を上司に依頼し生まれたのが、トスト交響曲と呼ばれる2つの交響曲、88番(track.1-4)、89番(track.5-8)。パリ好みを意識しただろうか?明るく花々しい音楽は、ハイドンらしい古典主義の端正さを見せながらも、ロココのバレエのようなキャッチーさがあり、微笑ましい。てか、一昔前のアメリカのカートゥーン・アニメを見るような88番、終楽章(track.4)の、コミカルな表情。89番の1楽章(track.5)の、「しょっ、しょっ、しょぅじょぅじ、証城寺の庭は... 」を思わせるメロディー!交響曲=絶対音楽という堅苦しさを感じさせないユルさがツボ。一方、88番(track.1-4)には、トランペットとティンパニーが加えられ、サウンドに「交響曲」らしい風格をもたらし、シンフォニスト、ハイドンの集大成、ロンドン・セットに向けての準備も着々となされている。という、トスト交響曲に続いて、フランスのドーニ伯爵の委嘱で作曲された、3曲からなるドーニ交響曲の1曲目、90番(track.9-12)を聴くのだけれど...
いや、もう序奏から違う!1楽章(track.9)の冒頭の荘重さは、ベートーヴェンを思わせて、「交響曲」が新たな次元に入ったことを意識させられる。それはまさに、ハイドンのジャンプの瞬間と言えるのかもしれない。序奏の後も、トランペット、ティンパニーが力強さを加え、トスト交響曲ではまだ弱かった、交響曲としての聴き応えがしっかりとあり、88番、89番と聴いて来ると、何か目が覚める思いも... こうして、ロンドン・セットへと、集大成へとつながって行くわけだ。一方で、当時の交響曲はエンターテイメントでもあった史実... 絶対音楽の極まりからは、ちょっと想像が付き難いのだけれど、90番の終楽章(track.12)には、コンサートに集った人々を楽しませる仕掛けがある。さあ、終わりに向けて盛り上がってくよ!終わった!と、思ったら、再スタート!で、指揮者の裁量で、それを何度も繰り返すという、コントっぽい仕掛け... 「驚愕」の2楽章のビックリもそうだけれど、見事な絶対音楽=交響曲を繰り出しても、こういう笑いを織り込んで来るハイドン。そのサービス精神は旺盛だ。
という、"交響曲の父"のホップ・ステップ・ジャンプを、丁寧に、そして活き活きと切り取った、ヴァイル、ターフェルムジーク・バロック管。ヴァイルらしい、クリアでスムーズな展開が、ハイドンの交響曲を手堅く捉え、ハイドンが籠めた挑戦や、サービス精神を、瑞々しく響かせる。以前は、ちょっと味気ないかな?なんても思っていたのだけれど、改めて聴くと、ヴァイルの、オリジナル主義なればこそのナチュラルさが、古典主義の時代の端正さをしっかり引き立てていて、聴けば聴くほど魅了される。そんなヴァイルに、きっちりと応えるターフェルムジーク・バロック管の、無理の無い綺麗な演奏にも魅了される。この綺麗な演奏が、18世紀、古典主義の精神に、しっくりと来るのだろう。交響曲の構造をすっきりと詳らかにし、各パートは小気味よく対話して、交響曲本来の楽しさを心地良く繰り広げる。この、ただひたすらに音楽であるというだけの、絶対音楽の清々しさ!シェイクスピアを巡って来た後では、ことさら魅了されてしまう。何より、楽しい!

HAYDN: SYMPHONIES NOS. 88, 89 & 90 ・ TAFELMUSIK ・ WEILL

ハイドン : 交響曲 第88番 ト長調 Hob.I-88 「V字」
ハイドン : 交響曲 第89番 ヘ長調 Hob.I-89
ハイドン : 交響曲 第90番 ハ長調 Hob.I-90

ブルーノ・ヴァイル/ターフェルムジーク・バロック管弦楽団

SONY CLASSICAL/SK 66253




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