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2001年、ニューイヤー・コンサート!新たな世紀への希望のワルツ。 [before 2005]

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明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
1564年、フランス国王、シャルル9世(在位 : 1560-74)は、新しい年の始まりを、3月25日から1月1日に移す。が、3月25日から4月1日まで行われる、新年の祭り(正月の幕の内みたいなものなのか?)を心待ちにしていた多くの人々が反発、4月1日を「嘘の新年」として盛大に祝った。という、エイプリル・フールの始まりに因んで、「嘘の新年」のご挨拶... ま、新年度の御挨拶ですね。でもって、新年には、ニューイヤー・コンサート!と、うそぶくのはさて置きまして、ウィンナー・ワルツというと、新年のめでたい頃はもちろんだけれど、桜が咲くような頃にもいいんじゃないかなと... いや、春って、軽やかに三拍子を刻みたくなる季節じゃないですか、ならば、そんな音楽が目一杯詰まったニューイヤー・コンサートのアルバムを聴いてみよう!
ということで、2001年、ニコラウス・アーノンクールが指揮した、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサート(TELDEC/8573-83563-2)を聴く。ま、アーノンクールだから、一筋縄には行かないウィンナー・ワルツなのだけれど...

2001年、それは、21世紀が始まった年... そして、その年の1月1日、21世紀、最初のコンサートとも言える、伝統のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの指揮台に立ったのが、ニコラウス・アーノンクールだった。毎年恒例のユルめのコンサートが、アーノンクールという存在によって、俄然、ワクワクさせられ、どんなウィンナー・ワルツになるのだろう?と興味津々だった。いや、ウィンナー・ワルツで、これほどエキサイティングな心地になるなんて、後にも先にも無かったと思う。そうした全てをひっくるめて、まさに21世紀のクラシックが始まるんだなと、噛み締める思いがした、2001年、1月1日... ラディカルゆえにキワモノ扱いだったピリオド・アプローチの世界が、とうとうクラシックに認められたのだなと... 何より、往々にして権威主義的なクラシックの、その頂とも言える名門オーケストラの、歴史ある伝統のコンサートを、あのアーノンクールが指揮するのである、それはもう、胸空く思いでいっぱい!この際、クラシックをつまらなくしている輩を蹴散らしてやってくれ!と...
そんなアーノンクールが選んだ1曲目が、ラデツキー行進曲の原典版(disc.1, track.1)。もーね、お約束の締めの一曲を、幕開けに持って来るのだから、マエストロ、あんた、本気で蹴散らす気か?!でもって、原典版というから、ピリオドならではの指向を貫いて、ニューイヤー・コンサート=ユルいという認識に対し、まったく丸くなる素振り無し... ところで、原典版って?そう、ラデツキー行進曲がコンサート・ピースになる前の、本当に行進曲だった状態へと還ったもの... リアルにマーチしてしまっているという、独特の風合い... ちょっと武骨にも感じられる表情と、実際に行進させるための重心の低いテンポ、そこに、思いの外、装飾的なものも見出して、不思議な重厚感を醸し出す。という具合に、ガッツーンと、アーノンクール・ワールドを知らしめてから、パァーっと幕が上がるニューイヤーの華々しさ!続く、ランナーのワルツ「シェーンブルンの人々」(disc.1, track.2)は、最初が最初だけに、解き放たれるものを感じて、酔わされる... いや、こうやって惹き付けますか、マエストロ、ずるい... とはいえ、アーノンクールらしく、しっかりと表情を創り出し、一切、ユルむところが無い。というより、明らかにウィーン・フィルも気合の入ったサウンドを聴かせていて、空気が違う。そういうところからシェーンブルンの華麗さが描き出されると、華麗さがパワフル!いや、「シェーンブルン... 」に限らず、全てのナンバーが息衝き、鮮烈!それはまるで、ウィンナー・ワルツに魂が宿ったような... 何なんだ、この感覚?!今、改めて聴いても、驚かされる。
アーノンクールは、ハプスブルク帝国の伯爵の家柄(実は、ド・ラ・フォンテーヌおよびダルノンクール・ウンフェルツァート伯!)で、生まれこそベルリンではあるものの、リンツで育ち、ウィーン国立音楽院で学んだ、生粋のオーストリア人。となると、この人ほど、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに相応しい人はいないのかも... さらりとウィーンの雰囲気を品良く纏った、いつものニューイヤー・コンサートとは違う、中身の濃いウィンナー・ワルツが放つ存在感の確かさ!美しく、麗しく、楽しい一方で、聴き手に訴え掛けるものがあり、より具体的な音楽として、人を踊らす音楽として、ウィンナー・ワルツの本能を呼び覚ますよう。代名詞、ワルツ「美しき青きドナウ」(disc.2, track.2)などは、下手をすると、美しい交響詩のように仕上げてしまいかねないところを、まさに踊るように運び、心浮き立つものに... そして、最後、再びのラデツキー行進曲(disc.2, track.3)。目ぇひん剥いて、客席に向かって指揮するアーノンクールの姿が忘れられない... お約束の手拍子も、きっちりと音楽の内に収めようとする本気度、半端無い。で、そこに「ウィーン」への愛を感じずにいられない。だからこそ生まれる、ウィーンのリアル感... お上品なクラシックではない、かつて人々が踊っていた音楽を再現する、ピリオド魂!アーノンクールの芸術性を改めて再確認させられるニューイヤー・コンサートだったなと、感じ入ってしまう。
というニューイヤー・コンサートから15年... 21世紀に、真新しさなど感じられなくなって、もう随分と経つように思うのだけれど、あらゆることが混迷している今、あの時のサウンドに立ち返ることに、何だかもの凄く切なさを感じてしまう。それは本当にワクワクしたウィンナー・ワルツで、ウィーン・フィルが元気いっぱいで、アーノンクールが睨みを効かせながら、活き活きと動いているのが目に浮かぶ演奏で... 新しい世紀が始まるという希望が、そこにはあったような... そのことが、眩しい...

Neujahrskonzert 2001
Wiener Philharmoniker ・ Harnoncourt

ヨハン・シュトラウス1世 : ラデツキー行進曲 Op.228 〔原典版〕
ランナー : ワルツ 「シェーンブルンの人々」 Op.200
ランナー : ギャロツプ 「狩人の喜び」 Op.82
ヨハン・シュトラウス2世 : ワルツ 「朝の新聞」 Op.279
ヨハン・シュトラウス2世 : 電磁気のポルカ Op.110
ヨハン・シュトラウス2世 : ポルカ・シュネル 「起電盤」 Op.297
ヨハン・シュトラウス2世 : オペレッタ 『ヴェニスの一夜』 序曲 〔ベルリン版〕
ヨーゼフ・シュトラウス : 道化師のポルカ Op.48
ヨーゼフ・シュトラウス : ワルツ 「オーストリアの村つばめ」 Op.164
ランナー : シュタイヤーの踊り(レントラー) Op.165
ヨハン・シュトラウス2世 : ポルカ・シユネル 「観光列車」 Op.281
ヨハン・シュトラウス2世 : ワルツ 「もろ人手をとり」 Op.443
ヨハン・シュトラウス2世 : ポルカ・マズルカ 「いたずらな妖精」 Op.226
ヨハン・シュトラウス2世 : ポルカ・シュネル 「暁の明星」 Op.266
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ヨーゼフ・シュトラウス : ポルカ・シュネル 「憂いもなく」 Op.271
ヨハン・シュトラウス2世 : ワルツ 「美しく青きドナウ」 Op.314
ヨハン・シュトラウス1世 : ラデツキー行進曲 Op.228

ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

TELDEC/8573-83563-2




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