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モーツァルトの青春、古典主義の陽春、交響曲の新緑。 [2006]

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アーノンクールのマタイ受難曲を聴いて、ブーレーズのメシアンを聴いて、2人のマエストロをしのんでの、ちょっと取って付けたようだけれど、ブーレーズ、アーノンクールを、今、一度、聴いてみたいなと... やっぱり、この2人は、20世紀後半のクラシックの最後を象徴するキーパーソンだったと改めて感じて。本来、保守本流に、もの凄く挑戦的な態度で向き合っていたはずが、保守本流の弱体化によって、その命脈を保つための新しき血として迎え入れられ、やがてクラシックの大家になってしまうという、特異な存在。裏を返せば、クラシック衰退を象徴する存在でもあったのかもしれない。この2人が、クラシックというスノッブな世界で活躍することは、とても痛快な一方で、大家となってしまったことには、少し複雑な思いも... が、衰退してクラシックは、一皮剥けて、おもしろくなったのかもしれない。この2人が大家に押し上げられるという大逆転こそ、クラシックの可能性!
ということで、今回は、春らしく?モーツァルトを... ニコラウス・アーノンクールが率いた、ウィーン・コツェントゥス・ムジクスの演奏で、10代後半のモーツァルトを追う、初期交響曲集 Vol.2(deutsche harmonia mundi/82876757352)を聴く。

アーノンクール+ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる、1760年代後半、モーツァルト、10代前半の交響曲を取り上げた初期交響曲集(deutsche harmonia mundi/82876587062)に続く、1770年代前半、10代後半の交響曲を取り上げる初期交響曲集のVol.2を聴くのだけれど... 綺麗に年代順に並んだ交響曲(あるいはシンフォニア... )が、9曲、そこに、1782年、あるいは翌年に作曲されたと考えられるメヌエット、K.409(383f)が最後に加えられ、さらに、当時のモーツァルト一家の手紙の朗読(父、レオポルトはアーノンクールによって、モーツァルトは、アーノンクールの孫によって... )が挿まれ、単に交響曲を聴くだけではない親密さと微笑ましさに包まれた2枚組。普段、モーツァルトの交響曲というと、晩年(とはいえ、30代なのだよね... )の作品を聴くことになるのだけれど、それとはまた一味違う、両親に姉と幸せに過ごした若きモーツァルトの姿が活き活きと蘇る、1770年代前半の交響曲の数々... 10代後半となり、すっかり大人びた表現ができ、いや、もう立派な交響楽を繰り出せていて、驚かされる。もちろん、神童なのだから、驚くほどのことではないのかもしれないけれど、10代後半でこうも堂に入った交響曲を書けたとは、やっぱり驚くばかり。一方で、若さが漲る元気いっぱいの音楽に、モーツァルトも若かったなァ。なんて思いにもなる。いや、そういう若さこそ、初期交響曲集の輝かしい魅力!
で、最初に聴くのは、モーツァルト、14歳、1770年に作曲されたニ長調の交響曲、K.97(73m)(disc.1, track.2-5)。ウーン、何と言うのだろう... 凄く充実していて、不思議!当然ながらモーツァルトらしさが溢れていて魅了されるのだけれど、どこか、ベートーヴェンの初期の交響曲を思わせる勇壮さを見出し、ちょっと耳を疑うような瞬間がある。続く、2曲目、1771年に成立しただろうという、オペラ『アルバのアスカーニョ』のシンフォニアを転用したニ長調の交響曲(disc.1, track.7-9)は、さらに勇壮で、聴き応え満点!もちろん、後の大作のような洗練には至ってはいない部分もあるのだけれど、若いからこそなのか、荒ぶるサウンド(それもモーツァルトらしく音の数が多い!)に魅了されてしまう。1772年の15番の交響曲(disc.1, track.11-14)では、洗練が見え始め、そこかしこにキャッチーさがあり、後の交響曲へと近付くのを感じる。いや、本当に、一曲、一曲を聴き進めるごとに、どんどん進化して行くのがわかる!それでいて、時に向こう見ずにも感じられる、臆することなく放たれる交響楽の雄弁さは、晩年の交響曲と一味違う輝きを生み、眩しいくらい。惹き込まれずにいられない。
そうして、映画『アマデウス』でも印象的に使われる、あの有名な25番の交響曲(disc.2, track.5-8)が登場。モーツァルト、17歳、1773年に作曲されたこの交響曲は、有名であるだけの個性が際立ち、それまでの交響曲とは一線を画す存在感を放つ。いや、それはもう圧倒的で... で、その個性となっているのが、疾風怒濤のスタイル... ここまで、見事に古典主義を繰り広げて来て、新たなスタイルへ踏み込んで生まれる、目が覚めるような感覚!それをまた事も無げにやり切ってしまう器用さ... もう、唸るしかない。短調の仄暗い中を疾走する1楽章(disc.2, track.5)を、初期交響曲集として、モーツァルトの進化を追った先で耳にすれば、グイっと惹き込まれる。一方で、鮮やかに対位法が繰り出される終楽章(disc.2, track.8)の見事さは、晩年の代表作へと直結する緊張感があって、いわゆる、我々が知るモーツァルトの誕生を、ここに見る思いがする。
そんな、モーツァルトの10代の後半を聴かせてくれたアーノンクール+ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏が熱い!でもって、分厚い?かなり充実した規模で、初期交響曲集を鳴らしてしまうと、晩年の交響曲のように響いてしまうから、おもしろい。いや、"初期"だからって、薄味になったりしない、アーノンクールの気合の入り様!どれもこれも内側から沸き立つような音楽を聴かせて、つまらないという瞬間が無い!またそうしたあたりに、ヨーロッパ中を旅し、最新の音楽に興味津々で触れ、それを貪欲に吸収して行く10代後半のモーツァルトのワクワクが止まらない様子が映し出されるようでもあり、微笑ましくなってしまう。で、思いの外、効いているのが、モーツァルトの手紙の朗読。それが巧みに挿まれることで、音楽がより活きて来る面もあり... 単に初期交響曲集に終わらない若きモーツァルトの記憶が紐解かれるよう。

MOZART: EARLY SYMPHONIES VOL. 2
HARNONCOURT ・ CONCENTUS MUSICUS WIEN


モーツァルト : 交響曲 ニ長調 K.97(73m) 〔旧ブライトコプフ版 第47番〕
モーツァルト : 交響曲 ニ長調 〔オペラ 『アルバのアスカーニョ』 K.111 序曲 と 第1曲/フィナーレ K.120/111a による〕
モーツァルト : 交響曲 第15番 ト長調 K.124
モーツァルト : 交響曲 ニ長調 K.161(141a) 〔オペラ 『シピオーネの夢』 K.126 序曲/フィナーレ K.163 による〕
モーツァルト : 交響曲 第22番 ハ長調 K.162
モーツァルト : 交響曲 第26番 変ホ長調 K.184(161a)
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モーツァルト : 交響曲 第27番 ト長調 K.199(161b)
モーツァルト : 交響曲 第25番 ト短調 K.183
モーツァルト : 交響曲 ニ長調 〔オペラ 『にせの女庭師』 K.196 序曲/フィナーレ K.127(207a) による〕
モーツァルト : メヌエット ハ長調 K.409(383f)

ニコラウス・アーノンクール(朗読)/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
マキシミリアン・アーノンクール(朗読)

deutsche harmonia mundi/82876757352




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