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ナポリ楽派の栄光、パイジェッロ、若き日の輝き、 [before 2005]

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はい、暖冬は完全にどこかへ行ってしまいました。何しろ、沖縄に雪が降りましたし... って、道理で寒いわけだ... いや、寒過ぎる!で、この寒さ、いつまで続くのだろう?気が重くなる。なんて時は、暖かい地域の音楽かなと... で、南イタリアへ、ナポリ楽派!今年、没後200年を迎えるパイジェッロ!モーツァルトの時代のインターナショナルな巨匠、だけれど、今となってはモーツァルトばかりが知られていて... 『セヴィーリャの理髪師』といえば、パイジェッロ!ロッシーニは二匹目のドジョウを狙って、大失敗したはずが、今ではロッシーニこそ『セヴィーリャの理髪師』であって... クラシックにおいては、極めて分が悪いパイジェッロだけれど、音楽史においては、パイジェッロこそ!そんな、かつての輝きを、2016年こそ取り戻せたらと切望するのだけれど、難しいかァ。
ま、とにかく、当blog的には、ナポリ楽派推し!で、ナポリ楽派のスペシャリスト、アントニオ・フローリオ率いる、ナポリを拠点とするピリオド・アンサンブル、カペッラ・デトゥルキニの演奏、ジュゼッペ・デ・ヴィットリオ(テノール)、ロベルタ・インヴェルニッツィ(ソプラノ)らのキャストで、パイジェッロのファルサ『裏切られたプルチネッラ』(OPUS 111/OP 30205)を聴く。

ジョヴァンニ・パイジェッロ(1740-1816)。
モーツァルトが生まれる16年前、バッハがまだライプツィヒで健在だった1740年、イタリア半島、ブーツの形の踵の付け根のあたり、ターラントの近郊で生まれたパイジェッロ。ターラントにあるイエズス会の学校で音楽を学び始めた後、14歳で、ナポリの名門、サントノフリオ音楽院(ナポリ楽派、後期を担ったビッグネームを次々と輩出... )へ。在学中(1754-63)から才能を発揮し、教授のアシスタントを務めるまでに... そうして、しっかりとナポリ楽派としての語法を身に付けると、まず、北イタリアで活躍。間もなくナポリへと戻り(1766)、注目の作曲家として次々にオペラを手掛け、ナポリ楽派が生んだオペラ・ブッファで地位を築く。そんなパイジェッロのキャリアを大きく飛躍させたのが、サンクト・ペテルブルクからの宮廷楽長のオファー。1776年、36歳となったパイジェッロは、ロシアへと渡り、ガルッピ、トラエッタと、イタリアの名だたる巨匠が務め上げて来たポストを引き継ぐ。北の果て、音楽後進国、ロシアでの仕事はなかなか難しいものもあったが、高額の契約金と、女帝、エカチェリーナ2世(在位 : 1762-96)の厚い信任もあり、1784年までの8年間をサンクト・ペテルブルクで過ごした。そうした中、1783年に、ナポリ王、フェルディナンド4世(在位 : 1759-99, 1799-1806, 1815-16)から宮廷作曲家に指名され、これを切っ掛けにナポリへ帰国。以後、ナポリのサン・カルロ劇場を拠点に、ナポリ楽派の頂点に君臨。その名声はヨーロッパ中に知れ渡り、モーツァルトも含め同時代の作曲家たちに大きな影響を与えた。
そんなパイジェッロの、ロシア以前の作品、ナポリ楽派の巨匠になる前の若々しい音楽を聴かせてくれるファルサ『裏切られたプルチネッラ』。ファルサ(ブッファよりもさらにライトな笑劇としての1幕物のオペラ... )にして、コメディア・デラルテに基づく物語(プルチネッラは、コメディア・デラルテに欠かせないキャラクター!)ということで、オペラならではの仰々しさが無いのが特徴。冒頭、ギターに導かれてプルチネッラが歌うメロディーはまるでナポリ民謡... そういうフォークロワなテイストが、コメディア・デラルテの民衆に根差した文化を際立たせていて、印象的。ナポリ楽派というと、流麗なイメージがあるのだけれど、『裏切られたプルチネッラ』でのパイジェッロは、良い意味で隙があって、絶妙なチープさを醸し、なればこその活き活きとした音楽を展開してゆく。モーツァルトのような明朗さ、ロッシーニのような軽快さを聴かせる後の代表作とは違う、同時代の作曲家たちに大きな影響を与えた巨匠、パイジェッロになる前の、何とも言えない若々しい輝きがたまらない。一方で、そうした中にも、ハっとさせられる瞬間が随所にあり、また重唱を器用に織り込んでドラマを息衝かせるあたりは、ファルサのスケールを越えた印象もあるのか... ファルサという解り易さが求められるシンプルな枠組みだからこそ、パイジェッロの音楽性が映えるところもあり、侮れない。しかし、楽しい!ロバは鳴く(track.27)し、これぞ、ファルサ!
で、この楽しさを活き活きと、それでいて実に綺麗に繰り広げるフローリオ+カペラ・デトゥルキニ。ファルサなればこそのスラップスティックも、鮮やかにクリアに捉えて、ダレるようなところが一切無い。全ての瞬間がフレッシュで、時に雄弁ですらあって、見事。ナポリ人としてのナポリ楽派への誇り... みたいな気負いも感じられず、ある意味、とても現代的なのかもしれない。いや、だからこそ活きて来るパイジェッロの音楽であって... そして、コメディア・デラルテに基づく物語だけに、キャラがしっかり立った歌手陣!とはいえ、けして安っぽいヤリ過ぎには陥らず、絶妙な表情を繰り出して、魅了。ファルサということで、それぞれのナンバーが短いこともあり、的確に、一瞬、一瞬を捉えていて、そこには精緻さすら感じられ、興味深い。だからこそ、物語の隅々まで、レチタティーヴォのちょっとした表情まで、キラキラと輝き出す。

Giovanni paisiello pulcinella vendicato cappella de'turchini Antonio florio

パイジェッロ : ファルサ 『裏切られたプルチネッラ』

プルチネッラ : ジュゼッペ・デ・ヴィットリオ(テノール)
カルモジーナ : ロベルタ・インヴェルニッツィ(ソプラノ)
クラウディア : マリア・エルコラノ(ソプラノ)
ビアンキーナ : ロベルタ・アンダロ(ソプラノ)
マリオレッタ : マリア・グラツィア・スキアヴォ(ソプラノ)
ドン・カミッロ : ロザリオ・トタロ(テノール)
コヴィエッロ/マゴ : ジュゼッペ・ナヴィリオ(バリトン)
トラフィキーノ : ステファノ・ディ・フライア(テノール)

アントニオ・フローリオ/カペラ・デトゥルキニ

OPUS 111/OP 30205



さて、巨匠となったパイジェッロのその後について...
ロシアから帰国して5年が経った1789年、ナポリから遠く離れたパリでフランス革命が勃発。遠い国での出来事のはずが、革命はみるみるイタリアに影響を及ぼし、さらにはナポレオン率いるフランス軍の侵攻を受け、イタリア半島の政治情勢は不安定となる。そうした中、1799年、ナポリ王、フェルディナント4世の宮廷はシチリアへと疎開。ナポリはフランス軍に占領され、その傀儡であるパルテノペア共和国が成立。パイジェッロは、ナポリに留まり、新しい共和国の楽長に就任する。が、間もなくフェルディナンド4世によりナポリが奪還されると、パイジェッロはナポリでのポストを失うことに... そうした中、救いの手を差し伸べたのが、ナポレオン。1802年、パイジェッロはパリに招かれ、ナポレオンの礼拝堂の音楽監督に就任。ナポレオンのお気に入りの巨匠として、パリの楽壇に君臨... するはずだったが、音楽もまた新たな時代を迎えようとしていた。パリっ子たちはナポリ楽派を古臭く感じたか、オペラ座で上演されたフランス語によるオペラ『プロセルピーヌ』(1803)は失敗に終わる(当時、人気を集めていたのが、ケルビーニの『二日間』に代表される救出オペラ... )。
1804年、老巨匠はパリを後にし、ナポレオンからの手厚い年金で、何不自由のない余生をナポリで送る。と思いきや、1806年、ナポレオンの兄、ジョゼフがナポリの王位に就くと、その宮廷の音楽監督に就任。再び、華やかな世界へ... ただ、ナポレオンの世は短かった... 1812年、モスクワ遠征の失敗を切っ掛けに、各地で劣勢となるフランス軍。ナポリでは、フェルディナンド4世が帰還(1815)し、またも居場所を失うことに... そうして、1816年、失意の内に76歳でこの世を去ったパイジェッロ。その死は、ナポリ楽派の死であったとも言えるのかもしれない。1813年、『タンクレーディ』の成功で、ロッシーニはすでにブレイクを果たし、イタリア・オペラは、ナポリの外で、新たな時代の幕を開けていた。




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