さようなら、2015年。 [overview]
2015年が終わります。そこで、2015年に聴いたアルバムを振り返る...
さて、今年は、奇しくも北欧の二大巨頭、シベリウスとニールセンの生誕150年のメモリアル。この2人の作曲家を中心に、北欧の音楽を聴いて始まった2015年。北欧の後で、明朗なるフランスの音楽を巡った春!そこから、旧約聖書の世界を音楽で辿り、一度、バッハへと還り、2015年、最もお騒がせだった国、ギリシャ(いや、他にもいろいろあったけれど... )に注目。ギリシャという国から、改めてヨーロッパという枠組みを考えさせられ、そのイメージが改められるようだった。で、夏は、南北アメリカを縦断。その後で、スペインを巡り、秋には、中東欧からバルカンへ... そのターミナルとしてのヨーロッパの東の都、ウィーンにも注目。「音楽の都」としてではなく、東西を結ぶ「実験室」としての希有な存在感に、今さらながら魅了され... そこから、さらにさらに東へと飛び、東アジアを巡った後、第九のこどもたち、声楽を伴う交響曲をいろいろ聴いた師走。
という具合に振り返ってみると、何だか旅したような心地になる。それも、世界中を... 裏を返せば、西洋音楽史たるクラシックは、すでにグローバル。こうして世界に広がったクラシックを巡れば、そのイメージはまた違って見えて来る。そんな130タイトル!
さて、今年は、奇しくも北欧の二大巨頭、シベリウスとニールセンの生誕150年のメモリアル。この2人の作曲家を中心に、北欧の音楽を聴いて始まった2015年。北欧の後で、明朗なるフランスの音楽を巡った春!そこから、旧約聖書の世界を音楽で辿り、一度、バッハへと還り、2015年、最もお騒がせだった国、ギリシャ(いや、他にもいろいろあったけれど... )に注目。ギリシャという国から、改めてヨーロッパという枠組みを考えさせられ、そのイメージが改められるようだった。で、夏は、南北アメリカを縦断。その後で、スペインを巡り、秋には、中東欧からバルカンへ... そのターミナルとしてのヨーロッパの東の都、ウィーンにも注目。「音楽の都」としてではなく、東西を結ぶ「実験室」としての希有な存在感に、今さらながら魅了され... そこから、さらにさらに東へと飛び、東アジアを巡った後、第九のこどもたち、声楽を伴う交響曲をいろいろ聴いた師走。
という具合に振り返ってみると、何だか旅したような心地になる。それも、世界中を... 裏を返せば、西洋音楽史たるクラシックは、すでにグローバル。こうして世界に広がったクラシックを巡れば、そのイメージはまた違って見えて来る。そんな130タイトル!
こうして並べてみると、なかなか壮観でして... こんなにも聴いたんだと驚きつつ、その魅力のひとつひとつを思い返せば、じわっと感慨が溢れて来る(って、こういうのが年末感だなと... )。そうした中で、印象深かったのが、東アジアを巡っての、中国の現代音楽。で、否応無しに、全ての中国出身の現代の作曲家たちが巻き込まれた、文化大革命の現実に戦慄し、一党独裁による全体主義の不毛に打ちのめされる。一方で、文化大革命が終わっての、再開された北京の中央音楽院の入試、100人の応募に対して、17000人もの志願者があったというから、胸が熱くなる!苦難を経て、みんな音楽を求めていたことに、感動。改めて音楽という存在に、感服。いや、21世紀、もっともっと音楽を大切にしなくては... もっともっと丁寧に聴かなくては...
さて、クラシックという枠組みを、目一杯、広げるように聴いて来た2015年。となれば、かなりヴァラエティに富む130タイトルとなりまして、どれもこれも、おもしろいものばかりだったのだけれど、そうした中から、さらに印象に残る4タイトルを挙げてみる。
まずは、バッハ。世界中を音楽で巡った2015年だっただけに、バッハは還る場所のようにも感じられて... いや、「音楽の父」は伊達じゃなかった!という1枚、日本が誇るバロック・チェロのマエストロ、鈴木秀美による無伴奏チェロ組曲。たったひとつのチェロなのに、そこから語られる物語の驚くべきスケール感!宇宙すら感じられる広がりと、人生を綴るかのような重み。そんなサウンドに包まれていると、得も言えぬ居心地の良さを覚えて、不思議。何だろうこの感覚?いや、これこそが、「音楽の父」に還るということかなと...
バッハから一転、クラシックの辺境の際へ... 近現代音楽のスペシャリスト集団、クロノス・クァルテットが、大胆にメキシコをフィーチャーした"NUEVO"。イロモノかと思いきや、いやいやいや... リアルなメキシコを鋭く活写する驚くべきサウンド・スケープ。それは、音楽を聴くという次元を越えて、まるで映像作品を見るかのよう。何より、メキシコならではのスパイシーなテイストが効いていて、ちょっと裏街に迷い込んで、そのチープな表情に中てられながらも、冒険心を擽られる展開に、ただならず惹き込まれてしまう。
さて、クラシックにおける東アジアを見つめた2015年だったのだけれど、そこで最も印象に残るのが、鬼才、三輪眞廣の東の唄。日本の民謡を素材に、エキゾティックな日本のイメージを飄々と繰り出すのだけれど、そこにコンピューターを介在させるあたりが、またハイテク・ニッポンっぽく... 民謡だけでない、ハイテクだけでもない、まさにハイブリット!このハイブリットこそ、21世紀の日本を象徴するように感じる。で、驚くべきは、この希有な作品を、1992年に生み出していた作曲家の先見性... ウーン、脱帽するしかない。
最後は、ミンコフスキ+レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルのハイドン、ロンドン・セット。それは、交響曲というスタイルが完成した瞬間であって、ある種の達成感を感じさせる、古典主義による堂々たるサウンドに、何だか感無量。で、ミンコフスキならではの雄弁なるサウンドが鳴り響き... ロンドン・セット、全12曲の締め括り、「ロンドン」の終楽章を聴いていると、これぞクラシック!という輝かしさに充ち満ちていて、ワクワクしてしまう。で、ジーンとしてしまう。クラシックって、いいなァ。と、しみじみ思う。
ということで、本年はこれにて。
良いお年を!
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