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年の瀬に、愛が私に語ること、 [before 2005]

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クリスマスも終わり、もう本当に年末。2015年も、押し迫って参りました。さて、第九ばかりじゃね、ちょっとつまらなくない?と、第九に代わる作品を探して、第九が切り拓いた声楽を伴う交響曲をいろいろ聴いて来たのだけれど、いや、改めて声楽を伴う交響曲を見つめると、それぞれに個性が際立っていた!もはや、「声楽を伴う」なんて、ひと括りにはできないほど... 交響曲という、最も堅苦しい枠組みに、声楽を持ち込むことで、自由に羽ばたく作曲家たち。叙事詩ポーダンテ聖書まで、様々に詩や物語が引き込まれて、豊かなイマジネーションを紡ぎ出す。交響曲、本来の抽象性を考えると、それは、とても刺激的なことに思えて来る。で、その声楽を伴う交響曲で忘れるわけにはいかない存在、マーラー!やっぱり、この人の交響曲を取り上げないと...
ということで、2015年の聴き納めに、ケント・ナガノが率いたベルリン・ドイツ交響楽団の演奏、ダグマール・ペツコヴァ(アルト)のソロ、ベルリン放送合唱団(女声)、ハノーファー少年合唱団のコーラスで、マーラーの3番の交響曲(TELDEC/8573-82354-2)を聴く。

10曲の交響曲を残したマーラー(未完の10番を含めれば、11曲に... )。その内、声楽を伴う交響曲は半数の5曲(2番、3番、4番、8番、「大地の歌」)。改めて、シンフォニスト、マーラーの仕事ぶりを振り返ってみると、かなり異質なものを感じる。いや、"交響曲"という概念を超越して、ただひたすらに我が道を行ったマーラーであって... 声楽を伴わない、残りの5曲も、どこか"交響曲"であることを逸脱しているように感じられる。そこには、マーラーが生きた時代、18世紀に始まる"交響曲"という枠組みが、もはや古くなってしまった、という時代背景もあっただろう。一方で、それでも"交響曲"にこだわり、"交響曲"という名の下に、独自の世界を響かせたマーラーの音楽でもあって... シンフォニックな壮大なサウンドを響かせながら、どこか私小説的に自らの心象を丁寧に描き込み、独特なミクロコスモスとしても展開するマーラーの交響曲。その、相反するスケール感を抱えた音楽は、聴けば聴くほど不思議で、この一筋縄では行かないのが、マーラーの真骨頂なのだろう。
そして、ここで聴く3番の交響曲。やっぱり不思議な作品。30分を越える長大な1楽章に始まり... この1楽章が第1部(disc.1)とされ、2楽章以降、5つの楽章を、第2部(disc.2)とする二部構成。で、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』からの詩をアルトの独唱で歌われる4楽章(disc.2, track.3)と、『こどもの魔法の角笛』からの詩をこどもたちと女声によるコーラス、アルトの独唱で歌う5楽章(disc.2, track.4)が、3番を特徴付けている。特に、5楽章、こどもたちが「ビン、バン、」と鐘の音を模したフレーズを歌い、交響曲とは思えない、何ともほのぼのとした雰囲気を醸し出す。マーラーは、この交響曲で、自身の自然観を綴っているらしいのだが... 長大な尺(最も長い交響曲として、ギネスブックに登録されていたことも... )がありつつの、微妙にユルい展開。それは、自然というより、どこか浮世離れして、あの世の風景を描くような、ある意味、マーラーらしい厭世的な音楽が繰り出される。シンフォニックに凝縮された音楽が織り成されるのではなく、ふわっとしたおぼろげなイメージが「交」わり「響」き合って、"交響曲"が紡がれる独特さ... この感覚は、ちょっと他に探せないものかも...
そんなマーラーの3番を、明晰に響かせるケント。まるで、美しい雲がたなびくように広がるこの交響曲の独特さを、クリアに処理して、美しい雲の成分表を聴く者に提示して来るかのような姿勢に、ケント・ナガノというマエストロを強く意識付けられる。ウィーン世紀末の物憂げな気分が、シリコン・バレーのコンピューター(ケントは、カリフォルニア州、バークレーの出身。シリコン・バレーからはちょっと外れるのだけれど... )が解析すると、どうなってしまうのか?いや、ウィーン世紀末という雰囲気に流されることなく、マーラーが何を書いたのかをきっちりと示し、その音楽の興味深さに惹き込まれてしまうから、おもしろい。それは、この音楽が"交響曲"であることを再確認する作業のようでもあり、刺激的。特に"交響曲"らしい1楽章などは、ケントの音楽性が活きて来るところ。が、最も印象深いのは、ロマンティックで甘美な終楽章、6楽章(disc.2, track.5)!
「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて」と指示される緩叙楽章を、一音一音、徹底してクリアに捉えて、そのひとつひとつを、感情に左右されず、スキっと鳴らしてゆくケント。あの、たゆたうような音楽の流れは、デジタル信号に置き換えられるかのような、独特な無機質さを放ち、奇妙。なのだけれど、その奇妙さには、ルネサンス・ポリフォニーを聴くような感覚を味わい... いや、マーラーが籠めたポリフォニカルな構造を鮮やかに浮かび上がらせ、何か数秘学的な神秘を呼び覚ますかのよう。それでいて、徹底してクリアであることが生み出す甘美さ!こうなって来ると、厭世的とか、そういうレベルでなくて、より高次元の調和を歌うような、そんな音楽に聴こえて来るから凄い。そういう音楽に包まれると、今年の心の澱を浄められそう...
そんなケントの指向を見事に形にするベルリン・ドイツ響の冴えた演奏がすばらしく、ケントの明晰さにきっちりと応えながらも、けして冷たい音を奏でない巧みさは、見事。そして、ペツコヴァ(アルト)の深い歌唱も忘れ難く、ベルリン放送合唱団(女声)の確かなコーラス、ハノーファー少年合唱団のこどもらしさも絶妙に効いていて、すばらしい音楽世界を見せてくれる。

Mahler Symphony No.3
Deutsches Symphonie-Orchester Berlin Nagano


マーラー : 交響曲 第3番

ダグマール・ペツコヴァ(アルト)
ベルリン放送合唱団(女声)
ハノーファー少年合唱団
ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団

TELDEC/8573-82354-2




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サンフランシスコ人

サンフランシスコで、児玉 麻里(ケント・ナガノ夫人)の音楽祭があります....

http://www.foresthill-sf.com/musicaldays/
by サンフランシスコ人 (2016-01-28 03:14) 

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