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「癒し」を越えて、ソヴィエトの厳寒を響かせるペルトの底知れなさ... [before 2005]

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あれ?と思うような暖かさを見つける今日この頃... 2月も半ばとなり、春は近付いているのか?寒さが緩む瞬間に、何かほっとさせられる。冬の厳しさが生む研ぎ澄まされた感覚も好きだけれど、やっぱり春が待ち遠しい。のだけれど、冬、「北欧」を巡る... このあたりで、本当に厳しい冬を聴いてみようかなと... エストニアを代表する作曲家、ペルト(b.1935)。近代音楽から戦後「前衛」へ、というメインストリームから断絶されたソヴィエトで育まれた独特な感性は、ソヴィエトという体制とも距離を置き、その孤独な歩みゆえか、言い知れぬ寒々しさを感じる。ペルトの音楽は"ゲンダイオンガク"のイメージとは一線を画してシンプル、そのあたりが「癒し」として幅広く受け入れられたわけだけれど、今、改めて聴いてみると、本当に「癒し」なのだろうか?という思いに...
ということで、「癒し」ではなく「北欧」から見つめ直す、ペルト。ネーメ・ヤルヴィの指揮、イェーテボリ交響楽団の演奏、ギル・シャハムらのヴァイオリンで、ペルトのフラトレス、タブラ・ラサ、3番の交響曲(Deutsche Grammophon/457 647-2)を聴く。

1999年、リリース当時、あのグラモフォンからペルト?!と、衝撃を受けた1枚。現代音楽に在って、「癒し」として受容されてしまったペルトの存在は、どちらかと言うとイロモノ... それをクラシックの老舗、グラモフォンが取り上げるわけで... いや、グラモフォンというクラシックの本丸から捉えるペルト像の本物感というか、けしてイロモノではない、中身の詰まった音楽の鮮烈さに驚かされた。そうして流れ出す、ペルトの音楽が持つ、凍てつくような厳しい表情。始まりのフラトレスから、「癒し」などとは安易に言えない、ただならなさが溢れ出す!で、そのフラトレス... 様々な版があるペルトの代表作のひとつだけれど、ここで取り上げられるのは、シャハムのヴァイオリンをフィーチャーした、独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラ、パーカッションによる版。
印象的な冒頭の独奏ヴァイオリンのアルペジオの怜悧さは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を思い出させつつ、その後に展開する寂しげなトーンからはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を思い起こさせる。また、独奏ヴァイオリンの背景に広がる弦楽アンサンブルが奏でるシンプルな響きには、グリーグを思わせるところがあって、「北欧」を強く喚起させられるのか。古楽の影響を受けたペルトならではの、古を蘇らせるようなシンプルさ、素朴さを持つティンティナブリ様式... まさに「癒し」のイメージの源なわけだけれど、グラモフォンの伝統から捉えるペルトには、そこに至るクラシックの系譜が浮かび上がるようで、興味深い。いや、ペルトもまた、20世紀音楽史の大きなうねりの中、必死で作品を紡ぎ出して来た作曲家のひとりであることを思い知らされる。
2曲目、2つのヴァイオリン、弦楽オーケストラとプリペアド・ピアノのための協奏曲、タブラ・ラサ(track.2, 3)もまた、ティンティナブリ様式ならではの美しさを湛えつつも、そこから力強い音楽が展開される。そうした中で、まず印象に残るのが、プリペアド・ピアノの音色... プリペアド・ピアノの発明者、ケージのようなプリミティヴさとは違う、鐘の音を思わせる、まさにティンティナブリ(小さな鐘)様式に合致した響きを生み出し、プリペアド・ピアノという存在のもうひとつの一面を見せられるようで新鮮。そこに2つのヴァイオリンが美しくも力強く歌い紡ぐ姿が重ねられると、どこかシュニトケを思い起こさせ... この寂しげな表情は、ソヴィエトの不毛がもたらす諦め?ショスタコーヴィチにも漂うあの寂寥感と同じ臭いがする。そんな臭いを嗅ぎつけてしまうと、ティンティナブリ様式の美しさの中に慟哭が浮かび上がり、何か心を掻き毟られるような、何とも言えない心地にさせられる。これが、ソヴィエトという体制下で創作せねばならない厳しさの表れなのだろう。しかし、その厳しさがあってこそ、この美しさと、慟哭があるのだろうなと... いや、改めてペルトを聴き直して見ると、底知れないものがある。
さて、アルバムの最後を飾るのが、ティンティナブリ様式に至る前の作品、3番の交響曲(track.4-6)。で、これがおもしろい!ペルトの古楽への関心がティンティナブリ様式を生み出すわけだけれど、その古楽への関心がそのまま断片として表れていて... 中世を思わせるちょっとエキセントリックな響き、ルネサンスを思わせる古雅な響きが、思い掛けなく交響曲に顔を覗かせる不思議さ。またそれらが、シベリウス、ショスタコーヴィチといった、ペルトの身近にあっただろう音楽でつなげられ、独特な交響楽を展開する。改めて聴いてみると、ティンティナブリ様式を準備する過渡的な姿が魅力的。ティンティナブリ様式にはない硬派なペルトが新鮮。それでいて、ペルトの音楽的背景が見えて来て、とても興味深く、その特異な音楽性に納得。
で、この3番の交響曲を献呈されたのが、指揮を務めるネーメ。ペルトと同じエストニアの出身で、ペルトとは同世代(ペルトの2つ年下... )、同じタリン音楽院で学んだ経歴を持つだけに、ペルト作品に並々ならぬ思いがあるのか、このアルバムから響いて来る一音一音の重みが凄い。そこには、ソヴィエトを生き抜いた生々しい経験が籠められているようで、ただならずエモーショナル。そんなネーメに応えるイェーテボリ響の演奏は、透明感を湛えながらも力強く、聴く者に鋭く迫る。そして、美しくも芯の通ったシャハムのヴァイオリンもすばらしく... そんな力演で、改めて向き合ってみたペルトは、感慨深い。「癒し」なんていう生易しさでは語れない、20世紀音楽としてのずしりとした存在感に圧倒される。

PÄRT: TABULA RASA/FRATRES/SYMPHONIE No. 3
SHAHAM/GOTHENBURG SYMPHONY ORCHESTRA/JÄRVI


ペルト : フラトレス 〔ヴァイオリン、弦楽オーケストラとパーカッションのための〕 **
ペルト : タブラ・ラサ 〔2つのヴァイオリン、弦楽オーケストラとプリペアド・ピアノのための協奏曲〕 ***
ペルト : 交響曲 第3番

ギル・シャハム(ヴァイオリン) *
アデレ・アンソニー(ヴァイオリン) *
ロジャー・カールソン(パーカッション) *
エリク・リスベルイ(プリペアド・ピアノ) *
ネーメ・ヤルヴィ/イェーテボリ交響楽団

Deutsche Grammophon/457 647-2




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