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過去から未来を紡ぎ出す、"スウェーデンのモーツァルト"、クラウス。 [before 2005]

「北欧」の現代を聴いたので、今度は時代を遡って「北欧」の古典主義、18世紀のスウェーデンへ!1523年、デンマークから独立したスウェーデンは、バルト海沿海に領土を広げ、「バルト帝国」と呼ばれる強国に。三十年戦争(1618-48)では、ドイツへ侵攻、新教の盟主としてハプスブルク家と対峙し、列強として勢力を誇った(三十年戦争の終結時に王位にあったのが、バロック音楽の進化には欠かせないパトロン、クリスティーナ女王!)。が、やがてロシアが台頭して来ると、「バルト帝国」の支配は揺らぎ、北欧の覇権を掛けた大北方戦争(1700-21)で敗戦。国内では議会における二大政党の泥仕合が政治を停滞させ、18世紀のスウェーデンは輝きを失ってしまう。そこに登場するのが、グスタフ3世(在位 : 1771-92)。クーデターにより政権を掌握、啓蒙専制君主として、スウェーデンに近代化の波をもたらす。また芸術にも並々ならぬ思い入れがあり、脚本を書き、演出もこなし、時には俳優を務めるほど... 古典主義の時代、王の宮廷を中心に、スウェーデン文化が大きく花開く!
そのグスタフ3世に見出された作曲家、"スウェーデンのモーツァルト"とも呼ばれる、ヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756-92)に注目。コンチェルト・ケルンの演奏で、クラウスの交響曲集、vol.1(CAPRICCIO/10 396)とvol.2(CAPRICCIO/10 430)を聴く。


vol.1、若きクラウス、ストックホルムからヨーロッパヘ、いともフレッシュな4つの交響曲!

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vol.1に収められた交響曲は4つ... グスタフ3世に見出された年、1781年にストックホルムで作曲されたVB.139(track.7-9)と、その翌年からの5年弱に及ぶヨーロッパ遊学中、1783年に作曲されたVB.142(track.1-3)、VB.144(track.4-6)、そして、ハイドンが取り仕切るエステルハーザで演奏されたVB.143(track.10-12)。それは、まさに"スウェーデンのモーツァルト"、本家、モーツァルトに負けない、花咲ける古典主義の時代の輝きでいっぱい!そうした中で、特に耳を捉えるのが、1曲目、VB.142、ハ短調の交響曲(track.1-3)。モーツァルトもそうだけれど、古典主義の時代の"短調"の魅力は、たまらないものがある。一方で、クラウスならではの特徴も見受けられるのか... グルックをリスペクトしていたクラウスらしい「疾風怒濤」を思わせる力強さ、あるいは多感主義を思わせるセンチメンタル、古典主義の作法に従いながらも、どこか一世代前のトーンを漂わせる?で、おもしろいのが、その一世代前のトーンに、ロマン主義の萌芽が表れているのか?疾走するメロディーのキャッチーさなどは、メンデルスゾーンあたりを予感させて、印象的。かと思うと、モーツァルトにそっくりなフレーズもあったり... 一世代前と、未来と、同世代が混在する不思議。それは過渡的な状態と言えるのかもしれないけれど、だからこその揺らぎは時に悩ましげで、魅惑的だったりする。
さて、もうひとつ気になるのが、アルバムの最後を飾る、かのエステルハーザ(ハイドンが楽長を務めたエステルハージ侯爵家の夏の離宮... )で演奏されたというVB.143(track.10-12)。つまりハイドンの指揮で演奏された?と考えると、何だか感慨深い。で、これがまた見事にハイドン風!ハイドンの多くの交響曲を初演したハイドンのオーケストラ、エステルハーザのオーケストラに当て書きすれば、おのずとハイドン風に仕上がるのかもしれないけれど... こうしてウィーン流の古典主義をきっちりと消化して自身のものとしているクラウスの器用さに感心させられる。ニュートラルな若い感性なればこそのものなのだろう。何より、ハイドン風の端正さ、粋な音楽運びに惹き込まれる!ちょうどクラウスがエステルハーザにハイドンを訪ねた頃、パリではハイドンの交響曲が熱狂的に迎えられ、"偽ハイドン"の楽譜が出回ったほど... で、その"偽ハイドン"のひとつが、このVB.143らしいのだけれど... 両者にとって何とも迷惑な話しではあるものの、クラウスの古典派としての確かな仕事ぶりを裏付ける"偽ハイドン"でもあったかなと... なかなか興味深いVB.143である。

JOSEPH MARTIN KRAUS
4 Sinfonien

クラウス : 交響曲 ハ短調 VB.142
クラウス : 交響曲 変ホ長調 VB.144
クラウス : 交響曲 ハ長調 VB.139
クラウス : 交響曲 ニ長調 VB.143

コンチェルト・ケルン

CAPRICCIO/10 396




vol.2、クラウスの人生を巡る4つの交響曲。そこから見えて来る古典主義の進化...

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順風満帆の若きクラウスを捉えたフレッシュなvol.1に対して、vol.2はクラウスの人生を俯瞰する。グスタフ3世に仕える以前、とりあえずストックホルムにやって来た駆け出しの頃、1780年に作曲されたVB.138(track.7-9)に、グスタフ3世の強力なバックアップを受けて、ヨーロッパ遊学に出る1782年のVB.140(track.3-6)、宮廷楽長に就任して2年目、1789年のVB.146(track.1, 2)、そして、クラウスの死の前年、1792年、グスタフ3世の死を悼むVB.148、葬送交響曲(track.10-13)の4つ... モーツァルトと同い年で、モーツァルトよりも一年長生きをしたクラウスの36年という人生もまた短い。それでいて、少年の頃から活躍したモーツァルトと違い、どちらかと言えば遅咲きだけに、クラウスの作曲家としての活動は濃密だったのかもしれない。vol.2で取り上げられる24歳から36歳までの濃密なる12年の間に作曲された4つの交響曲には、作曲家、クラウスの成長ばかりでなく、古典主義そのものの進化すら聴き取れて、まったく以って興味深い。
vol.2の中で最も古いVB.138(track.7-9)は、サウンドこそ古典主義の華やかさ、軽やかさに彩られてはいるものの、そのスタイルは協奏交響曲的(バロックの合奏協奏曲の記憶を残し... )で、交響曲になり切っていない。が、それから9年、アルバムの始まりを飾るVB.146(track.1, 2)、1楽章、冒頭の大胆さ!切れ目なく続けられる2楽章(track.2)の堂々たるフーガ!これは完全にベートーヴェン... さらに、クラウス、最後の交響曲となったVB.148、葬送交響曲(track.10-13)からは、ロマン主義の臭いが漂い始めていて... 「葬送」の沈鬱さもあるけれど、その仄暗さはシューマンを予感させる。この時代を先取りする感覚がとても興味深い。で、ふと思う。これが「北欧」の古典主義なのか?モーツァルトにはない重量感というか、場合によっては充実感。一音一音がしっかりと鍛えられて生み出される純度の高い交響性。音楽としての在り方が、モーツァルトに比べるとストイック?こういう姿勢に、クラウスの「北欧」をおぼろげにも見出し、感慨深い。
さて、vol.1も含めてのコンチェルト・ケルンの演奏なのだけれど... ピリオドならではのエッジの鋭さを以って、真正面から挑んで生まれる清々しさ!そういう姿勢が、クラウスの音楽の古典派にして実直なあたりを鮮やかに捉えて、絶妙。また、晩年の交響曲でのどっしりと構えた演奏、そこから詩情をも滲ませる葬送交響曲の深み、スリリングなだけでないコンチェルト・ケルンの確かな音楽性も味わえる。そうして際立つクラウスの音楽の独自の進化と、そこから発せられる魅力!

JOSEPH MARTIN KRAUS ・ SINFONIEN VOL. 2
CONCERTO KÖLN

クラウス : 交響曲 ニ長調 VB.146 「教会のための交響曲」
クラウス : 交響曲 嬰ハ短調 VB.140
クラウス : 交響曲 ハ長調 VB.138 「ヴァイオリン・オブリガード」
クラウス : 交響曲 ハ短調 VB.148 「葬送交響曲」

コンチェルト・ケルン

CAPRICCIO/10 430




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