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モーツァルトに間違われたベートーヴェンの隣りの逸材、エーベルル! [before 2005]

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2015年のメモリアルを追う今月... さて、前回、生誕150年、ニールセンの交響曲を聴き終えたのだけれど、そのニールセンが生まれた1865年から100年を遡ると、どんな音楽の風景が広がるだろうか?1765年、9歳になったモーツァルト少年は父、レオポルトに連れられ、すでにヨーロッパ・ツアーへと出ており、バッハ家の末っ子にして、ロンドンの巨匠、ヨハン・クリスティアンと交流し、実り多きロンドン滞在を終えた頃... 33歳となっていたハイドンは、エステルハージ侯爵家の副楽長に就任して4年目、精力的に交響曲を生み出していた。そんな1765年、ウィーンで生まれたのが、エーベルル。5つ年下のベートーヴェンと肩を並べ、やがてウィーンの音楽シーンで名声を博す人物... そんな、生誕250年のメモリアル、エーベルルに注目してみようかなと...
ヴェルナー・エールハルトが率いていた頃の尖がったコンチェルト・ケルンの演奏で、エーベルルの3つの交響曲(TELDEC/3984-22167-2)を聴く。

アントン・エーベルル(1765-1807)。
ハプスブルク帝国の官吏を父にウィーンで生まれたエーベルル。幼い頃から音楽の才能に恵まれ、8歳にして私的なピアノ・リサイタルを開いたというから、モーツァルトにもベートーヴェンにも負けていない。しかし、官吏だった父は、エーベルルが法律を学ぶことを望み、エーベルルの人生はそういう方向へ... となろうとした時、父の破産という思い掛けない事態が、エーベルルに音楽への道を許すこととなる。そうして、モーツァルトの下で音楽の研鑽を積んだと考えられるエーベルルは、モーツァルト一家と、モーツァルトの死後にまで続く親交を結ぶ。一方で、そうしたこともあってか、エーベルルの作品がモーツァルトの作品として紹介、出版されるトラブルに見舞われ、エーベルルを悩ませた。が、今となっては、そういうエーベルル作品が、かえって興味深いのかも... そんなエーベルルが、モーツァルトの影を脱して活躍したのが、ロシア。1796年から99年と、1801年から翌年に掛けて、サンクト・ペテルブルクに滞在。かつて、ガルッピや、パイジェッロ、チマローザらが歴任したロシア帝室の楽長を務める。そして、この肩書を背にウィーンへと帰還したエーベルルは、一層、作曲に力を入れ、ロマン主義を先取る音楽で新しい世紀を切り拓き、ポスト・モーツァルトの時代を代表する存在として注目を集めた。
というエーベルルの3つの交響曲を聴くのだけれど... 1曲目は、モーツァルトが存命だった頃、その影響下で書かれただろう、ハ長調の交響曲(track.1-3)。で、モーツァルト作品だと間違われて来たものとのこと。いやー、モーツァルトに間違われたことに納得!見事にモーツァルトから学んだものを形にしていて、また1楽章からはハフナー交響曲を思わせるフレーズが聴こえ、またハフナー交響曲的なスケール感があって、聴き応え十分!一転、緩叙楽章(track.2)は、やさしげなメロディーに彩られ、その楚々とした佇まいが、師、モーツァルトのそれであって... これを「モーツァルト」だと言われれば、疑わないかも... いや、それだけのクウォリティーも兼ね備えているのが、エーベルルのすばらしさ... 終楽章(track.3)は、少し趣きを変え、ウィットを効かせてのハイドン風?それでいて、あれ?という瞬間がちらほら... そこかしこからモーツァルトのフレーズが聴こえて来るのか、モーツァルトを探せ!のような感覚が楽しく。何より、まったく上質な古典派の交響曲に聴き入るばかり!
そこから、ロシアから帰還しての、新しい世紀に生み出された2つの交響曲を聴くのだけれど... いやー、驚かされる!完全にモーツァルトを脱し、ベートーヴェンが活躍した19世紀初頭の雰囲気を纏った音楽が堂々と繰り広げられていて、さらにはロマン主義がすでに顔を覗かせていて... まず、かの「英雄」と一緒に初演(1805)されたというOp.33の交響曲(track.4-7)。同じコンサートのプログラムに乗ったというだけあって、似ている!いや、これこそがベートーヴェンの時代のトーンなのだなと... モーツァルト、ハイドンが逝った後、ロマン派の第1世代が活躍し出すまでの間というのは、ベートーヴェンだけで語られてしまうわけだけれど、こうしてベートーヴェンの隣りに誰がいたかを知ることで、より立体的に時代を捉えることができるのか。それはとても貴重で、実に興味深い体験をもたらしてくれる。で、当時は、かの「英雄」よりも好評だったらしいOp.33の交響曲... エーベルルから見つめるベートーヴェンというのは、どこか執拗に感じられるところがあるのかもしれない。Op.33の交響曲には、新しい時代をしっかりと感じながらも「英雄」とは一味違うスマートさがあって、魅了される。
そして、最後に聴くのが、Op.33の交響曲の翌年、エーベルルの死の前年に発表されたOp.34の交響曲(track.8-10)。その1楽章、重々しい序奏に続いて流れ出す、調子の良いマーチに、ロマン派の臭いが漂い... その後には、ウェーバーあたりのロマン派オペラの序曲を思わせるようなドラマティックな音楽が続いて... 古典派にはなかったキャッチーさ、大きなうねりに、新しい時代の到来を印象付けられる。もちろん、古典派的なものが完全に払拭されたわけではないのだけれど、それでも、間違いなく、ベートーヴェンより先へと進んでいる。ロマン主義が瑞々しさを保っていた頃の溌剌とした表情と、フォークロワからの影響による味わいとしてのチープさ... それらが、古典主義の名残りによる端正さを伴ってまとめられる妙!ベートーヴェンの隣りに、こういう次元に至った作曲家がいたとは... だからこそ、あと10年、作曲を続けていたなら、ロマン派の系譜はまた違ったものになったように思えて来る。42年というエーベルルの短い人生が、残念でならない。
で、このエーベルルの魅力を、より一層、際立たせているのが、エールハルトが率いたコンチェルト・ケルンの胸空く演奏!エールハルトならではのテンションの高さと、メンバーひとりひとりの技術の高さに裏打ちされた、ピリオド・オーケストラらしい切れ味の鋭さ... 濃密かつ俊敏であるという希有な在り様から、エーベルルのスコアを克明に捉えつつ、よりダイナミックに音楽を動かして、聴く者を圧倒する。それでいて、18世紀のハ長調の交響曲(track.1-3)と、19世紀のOp.33(track.4-7)、Op.34(track.8-10)の交響曲を、鮮やかなコントラストで以って描き出し、エーベルルはもちろん、時代の進化をも活き活きと響かせて、実に興味深い。そうして見えて来る、古典主義からロマン主義へとうつろう時代の豊かな音楽風景!エーベルルという存在がクローズ・アップされることで、クラシックは深みを増すのかも。

EBERL Symphonies CONCERTO KÖLN

エーベルル : 交響曲 ハ長調 w.o.n.7
エーベルル : 交響曲 変ホ長調 Op.33
エーベルル : 交響曲 ニ短調 Op.34

コンチェルト・ケルン

TELDEC/3984-22167-2




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