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スコットランド、万歳! [selection]

スコットランドがU.K.に留まる事が決まりました。
悔しい思いをしている人、ほっと一安心の人、どちらとも言えず、あるいはどちらでもある、一筋縄では行かない人、いろいろあったのだろうなと... 世界的な視点に立てば、安堵の一言なのだけれど... どちらにしろ、世界中の注目をスコットランドに集めたことは、凄いことだと思う(NHKまでもが開票速報を放送したくらいで... 下世話な話し、広告費に換算すれば、独立後の国家予算の比じゃないかも... )。独立は夢に終わったとしても、スコットランドここにあり!を、しっかりと表明できたことは大きなプラスのはず。いや、改めて「スコットランド」に興味を掻き立てられ、勢い図書館でいろいろ本を借りてみたりして、にわかスコットランド・ファンに。で、世界中が魅了されて来たスコットランドの歴史と文化を再確認することに... そこには、クラシックという存在もあり...
ということで、クラシックの中の「スコットランド」を探して。スコットランドのフォークロワから、スコットランドの風景を描いた音楽に、スコットランドを舞台にしたオペラまで、様々に「スコットランド」を聴いてみるセレクション。多少、強引に、音楽によるスコットランド旅行という試み。

まずは、スコットランドのフォークロワから...
古楽の巨匠、サヴァールが、ヴァイオル(=ヴィオール)で、スコットランドのトラッドに挑んだアルバム、"THE CELTIC VIOL"(Alia Vox/AVSA 9865)。トラッドならではの気の置け無さと、スコットランドという土地が放つ独特なトーンを古楽からアプローチする妙。サヴァールならではの渋く枯れたテイストが、思いの外、スコットランドのトーンに合っていて、素朴でありながらも味わい深い音楽を繰り広げる。で、この"THE CELTIC VIOL"、アイルランドのトラッドも盛り込まれて、「ケルティック」としてまとめられているのが特徴。
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実は、スコットランドの"スコット"とは、アイルランドから移住して来た人々のことで。中世初期における文化センター、アイルランドからもたらされたキリスト教と諸々の文化が、もともといた人々("スコット"と同じケルト系のピクト人... )に浸透し、今に至るスコットランドを形成する... ならば、スコットランドのトラッドのルーツはアイルランドのトラッド?そういう近似性、イングランドを取り巻くケルト文化の広がり、さらにはヨーロッパ文化に底流するケルト文化の存在を古楽から見つめる"THE CELTIC VIOL"は、スコットランドのみならず、ヨーロッパの原風景であるのかもしれない。何より、サヴァールの音楽性と共鳴する、その独特な個性に強く惹かれてしまう。
さて、"スコット"の人々が現在のスコットランド西部に築いたダルリアダ王国と、スコットランドにもともと住んでいた人々、ピクト人の国、アルバ王国が統合されたのが9世紀。日本ではちょうど平安時代がスタートした頃で、興味深いのは、イングランドがまだ統一されていなかったこと。「スコットランド」という国名こそ使われていなかったものの、スコットランドという国の始まりは、イングランドに先んじていた史実。とはいうものの、『マクベス』に描かれるような王位を巡る戦国時代が続き、やがて、イングランドがノルマン人の征服(1066)により強力な国家に変貌を遂げると、その影響を強く受けるようになる。スコットランド王国の歴史は、イングランドの存在なくしては語れない。というより、イングランド王国が触媒となってスコットランド王国は国家の体を成して行ったとも言える。牽制し合い、時に戦い、時に婚姻を結び、時に影響下に置かれ、愛憎半ばする関係であっても、現在に至る"ユナイテッド・キングダム"が成立する以前から、2つの王国は間違いなく密接だった。
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そうした歴史を経て、1707年、2つの王国は、"ユナイテッド・キングダム"となる。おもしろいのは、これを機に、イングランドで「スコットランド」がブームとなったこと... そうしたあたりを伝えるのが、リコーダーの鬼才、ラウリンによる、"Airs And Graces"(BIS/BIS-SACD-1595)。18世紀前半、ロンドンの音楽シーンを賑わせた、スコットランドのトラッドと、イタリアからやって来たソナタで綴る1枚は、ローカルとインターナショナルが行き交う音楽の都、バロック期のロンドンの活気に充ちた空気感を追体験させてくれる。何より、気の置けないトラッドと、気取ったソナタの対比が絶妙。さらには、ロンドンで活躍していた作曲家によるスコティッシュな音楽!イタリアのソナタにスコットランドが落し込まれて、クラシックにおける「スコットランド風」の先駆に興味深いものを感じてしまう。
という「スコットランド風」は、古典主義の時代にも顔を覗かせて... 18世紀後半、ロンドンで人気を博したフックの5番のピアノ協奏曲の終楽章には、トラッド風のメロディーが軽やかに繰り出され、"ロンドンのバッハ"こと、ヨハン・クリスティアンのチェンバロ協奏曲(Op.13-4)の終楽章でもトラッドの引用があり、音楽におけるスコットランド人気を垣間見せてくれる。で、そういう人気を背景に、続々と出版されたのが、スコットランド民謡のアレンジ集。その中心にいたのが、スコットランド出身のスコットランド民謡研究家で、出版業を営んでいたジョージ・トムソン。18世紀末、プレイエルに始まり、コジェルフ、ハイドンと、ウィーンの巨匠たちに膨大なアレンジを依頼し、19世紀に入ってからは、ベートーヴェンにアレンジを依頼。そこには知られざるケミストリーが...
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ということで、ダヌマン(ソプラノ)、アグニュー(テノール)、ハーヴェイ(バリトン)の3人が、ジェローム・アンタイ(ピアノ)らによるピアノ・トリオを伴奏に、ベートーヴェンのアレンジを歌う、"Beethoven ilish & scottish songs"(ASTRÉE/E 8850)。いや、サヴァールによる"THE CELTIC VIOL"とのギャップが凄い... 素材こそ同じでも、ベートーヴェンによる伴奏で補強されると、こんなにもクラシックに成り得て、時にオペラティックな表情を見せられるかと、ハっとさせられる。それがまた、極めてロマンティックで... 古典派の最後の巨匠が、スコットランドのフォークロワに出会って、ドイツ・ロマン主義が生まれた?ふと、そんなイメージが頭を過る。
ところで、トムソンは、ベートーヴェンの後、ドイツ・ロマン主義の黎明を担ったウェーバー、フンメルにもアレンジを依頼している。ウィーンの古典派の巨匠から、ドイツ・ロマン主義の注目の作曲家へ... そうしたあたりに、時代の変遷も感じつつ、依頼先がドイツ―オーストリアの作曲家に集中していることが興味深い。トムソンは、あくまで、当代、随一の作曲家に依頼したまでなのだろうけれど、スコットランドとドイツ語文化圏に、何か共鳴するものがあるようにも感じる。ベートーヴェンによるアレンジを聴くと、ついそう考えてしまう。で、そうしたつながりを、よりくっきりと浮かび上がらせたのが、メンデルスゾーン!なのですが、少し長くなって来たので、ここで一区切り。ロマン主義とスコットランドを巡って、続く...




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