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20世紀初頭を見渡して、クロニクル... シェーンベルク、『グレの歌』。 [before 2005]

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前期ロマン主義から、後期ロマン主義へ...
ロマン主義は、ワーグナーの出現により、大きな飛躍を遂げるわけだけれど、その後、ワーグナーという巨大な鍋から抜け出せず、グツグツと煮詰まって行った。というような、漠然としたイメージがある。そういうイメージを抱えて、前期ロマン主義を見渡してから、後期ロマン主義、最後のアイドル、リヒャルト・シュトラウスの音楽と改めて向き合うと、後期ロマン主義のイメージはまた違ったものに感じられるのか... けして、煮詰まったわけではない?それよりも、古典主義という過去から完全に解放されて、より自由な音楽が展開される?一方で、古典主義という重力が弱くなり、やがて無重力状態となった後期ロマン主義の、自由でありながら身動きが取りづらい様子が、なかなか興味深く。無重力状態に流れて来る、新たな流行を手繰り寄せて、バランスを取ろうとするようなところもあって、「ロマン主義」にして、ロマン主義に留まらない色合いも見せるのが後期ロマン主義の魅力?
そんな、後期ロマン主義を象徴するような大作、シェーンベルクのロマン主義による最後の作品... クラウディオ・アバドの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、シェーンベルクの『グレの歌』(Deutsche Grammophon/439 944-2)を聴く。

1900年、シェーンベルク、26歳の時、ウィーン楽友協会主催のコンクールに応募しようと作曲し始めた『グレの歌』。が、オーケストレーションに手間取り... 15歳の時、父を亡くしていたシェーンベルクは、銀行勤めをしながら家族を支え、地道に音楽を学び(後に義理の兄となるツェムリンスキーに師事... )、その後、合唱指揮者、オペレッタのオーケストレーションの仕事、1901年にはベルリンに移り、キャバレーの音楽監督(キャバレー・ソングを作曲!が、店自体が立ち行かなくなり、翌年、ウィーンへ舞い戻る... )などもこなし、生計を立てていたのだが、そうした仕事に追われ、大作、『グレの歌』に割ける時間はほとんど無かった。そうした中、作曲途中のスコアがリヒャルト・シュトラウスの目に留まり、思い掛けなく、様々な支援を受けることに... そうして、1911年、『グレの歌』は、11年を経て完成に至り、その2年後、1913年、ウィーンで初演され、大成功する。
で、その中身なのだけれど... 保守的なウィーンで大成功?というだけに、極めてロマンティック!デンマークの詩人、ヤコブセンの未完の小説、『サボテンの花咲く』に収められている『グレの歌』を題材に、デンマークのヴァルデマール王と、その愛人、トーヴェの悲恋と救済を描く、シェーンベルク版、『さまよえるオランダ人』とも言えそうな物語。で、そのロマンティックでミステリアスな物語を、後期ロマン主義の音楽で多彩に描き上げるシェーンベルク!第1部、前奏は、ドビュッシーのような瑞々しさを湛え、美しく始まり、やがてヴァルデマール王が静かに歌い出す(disc.1, track.2)あたりは、シマノフスキを思わせて、神秘的。かと思うと、そこからじわりじわりとロマンティックな色合いを強め、夢見るようなメロディーは、どこかウィーンのオペレッタを思わすところも... この甘やかさ、ウィーン気質?そして、これこそが『グレの歌』の魅力!シェーンベルクの強烈な性格は抑えられつつ、20世紀初頭の同時代性と、古き良きウィーンが、思い掛けなく自然に交わり、ロマンティックを歌い上げるところ。
ワーグナー以来の壮大な世界観と、雄弁なメロディー、壮麗なオーケストレーションをベースにしながら、印象主義、神秘主義、象徴主義、表現主義と、新たな潮流をいろいろ引き込んで、「ウィーン」の薫りも漂わせる『グレの歌』は、極めてロマンティックでありながら、さり気なく20世紀初頭の音楽のカタログでもあって、まったくおもしろい。そして、この一筋縄では行かないあたりが、後期ロマン主義の性格を物語るようで興味深い。それでいて、『グレの歌』を完成させた頃には、すでに無調へと踏み込んでいたシェーンベルク... ある意味、『グレの歌』は、過去の作品となっていたわけで... そういうスタンスがあって、どこか冷静に作曲という行為を遂行できているのか?シェーンベルク作品に立ち込める、新しい時代を切り拓こうという熱血が薄れることで、絶妙な洗練をもたらしているあたりが、『グレの歌』をより魅力的にしているように感じる。もちろん、新しい時代を切り拓こうとするシェーンベルクも現れる。第3部、フィナーレ前の、シュプレッヒシュティンメ(語りのような... ラップみたいな... )で歌われる「ゲンゼフッス氏、ゲンゼクラウト夫人」(disc.2, track.10)は、それまでのロマンティックさを断ち切って、モダンのスパイスを効かせ、絶妙!そこから、一気にロマンティックに盛り上がるフィナーレ(disc.2, track.11)の圧巻!大コーラスを用いて、マーラーの「復活」の最後とか、そういうノリで... 何たるカタルシス!こりゃ大成功するよ... そうしたあたりに、シェーンベルクにして、あざとさを感じ... いや、そんなシェーンベルクが微笑ましい!
という『グレの歌』を、ロマンティックな気分に流されず、鮮やかに解析し、シェーンベルクというひとりの作曲家を越えて、20世紀初頭の、音楽史が大きく動き出す頃の鳥瞰図のように見せてしまうアバドの指揮ぶりがすばらしい!このマエストロならではの視点が、『グレの歌』、完成に至るまでの、シェーンベルク、11年の歩みをつぶさに捉えるようで、後期ロマン主義の広がりを丁寧に聴かせてくれる。それは、下手に雰囲気たっぷりに演奏するよりも、よりスケールの大きな音楽世界を創出し得ていることに、感服させられる。そんなアバドの下、ウィーン・フィルも思いの外、明晰な演奏を繰り広げていて... ウィーン・フィルならではの繊細さと、意外と色彩豊かなあたりが、シェーンベルクのロマン主義を万華鏡のように響かせて、長丁場も飽きさせない。
そして、第3部、荒ぶり、おどろおどろしく、表情豊かに歌う、ウィーン国立歌劇場の合唱団、アルノルト・シェーンベルク合唱団、ブラティスラヴァ・スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団によるコーラスが、見事!実力派が揃えられたソリストたちも、それぞれにすばらしい歌を聴かせてくれていて... そうした中、特に印象に残るのが、語り手のズーコヴァ。語り手は男性が務めるのが一般的だけれど、アバドは女性を起用。亡者が跋扈する夜が終わり、朝の訪れを告げる詩を、軽やかに、爽やかにシュプレッヒシュティンメで歌い上げるズーコヴァのどこか少年のような無垢な表情が、朝をより際立たせていて。そこから太陽が昇る鮮烈なフィナーレへと導かれると、ただただ圧倒されるばかり。感動も一入。

SCHOENBERG: GURRELIEDER
ABBADO/WIENER PHILHARMONIKER


シェーンベルク : 『グレの歌』

ヴァルデマール : ジークフリート・イェルザレム(テノール)
トーヴェ : シャロン・スウィート(ソプラノ)
山鳩 : マリャーナ・リポフシェク(メッゾ・ソプラノ)
農夫 : ハルトムート・ヴェルカー(バリトン)
道化師クラウス : フィリップ・ラングリッジ(テノール)
語り手 : バルバラ・ズーコヴァ
ウィーン国立歌劇場合唱団、アルノルト・シェーンベルク合唱団、ブラティスラヴァ・スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
クラウディオ・アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

Deutsche Grammophon/439 944-2




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