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リュート・ソングス、フォーク・ソングス、 [before 2005]

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すでに1月も後半... 正月も随分と遠くに感じられて...
年末年始のハイテンションもすっかり醒め、世の中のリアルを目の当たりにさせられるようなところがあって、気分がどんよりして来るのだけれど。それにしても、日本も、世界も、何かこう刺々しく、あっちこっちで発せられるメッセージの、あっちとこっちで噛み合っていないあたりに、酷くストレスを感じる。何となくだけれど、現代人の視野は狭まっている?やたら足下ばかりを見つめる人、やたら遠くばかりを見たがる人... どうもバランス感覚が欠如していて... いや、自分自身こそ気を付けないと、と強く感じる今日この頃であります。
さて、1月は七草粥的アルバムを求めて、イギリス、ルネサンス期のリュート・コンソートに始まり、いろいろ聴いて来たのだけれど、その最後に、再び、イギリス、ルネサンス期へと帰る。アンドレアス・ショル(カウンターテナー)が、ダウランドとともに、イギリスのフォークロワを取り上げるアルバム、"English Folksongs & Lute Songs"(harmonia mundi FRANCE/HMC 901603)を聴く。

とにかく、癒されてしまう... ギスギスとした世を生きて溜まった心の澱を、全て洗い流してくれそうな素直な音楽に、ジーンと来てしまう。世の中の粗ばかりを見つめるのではなく、時には目を閉じて、美しいものにただ耳を傾けることも必要だなと、つくづく思う。そんな、まだまだ若手だった頃のショルが歌う、"English Folksongs & Lute Songs"。穏やかなマルティンのリュートの伴奏に乗って、カウンターテナーの無垢な歌声が、ルネサンス期のシンプルなメロディ・ラインを捉え、「クラシック」、「古楽」、あるいは「フォークロワ」、そういった枠組みを消し去って、"歌"というもののピュアな姿を浮かび上がらせる。そのピュアな姿に、とても新鮮な感覚を覚え、またピュアであることの雄弁さに驚かされもし、久々に聴いてみて、ちょっと衝撃を受けてしまう。
ダウランド(1563-1626)のリュート・ソングに始まり、イギリスのフォーク・ソング、作曲者不詳の歌と続いて、ダウランドと並び称されたリュート奏者、トマス・キャンピオン(1567-1620)のリュート・ソングが歌われ、再び、ダウランドに戻り、締め括りはフォーク・ソングという構成... で、リュート・ソングとフォーク・ソングの近さというか、親和性に驚かされてしまう。いや、ここが、フォーク・ソングと作曲家による歌曲の分岐点か?それでいて"歌"の原点を見る思いもする。その、音楽としてのクラリティの高さたるや!リュートのアルカイックな響きを従えて、限りなく伸びやかに、ひとつの声で詩を歌い切る。これ以上、削ぎ落せないストイックさを見せながらも、そこから広がる風景の豊かさは、凄い。また、フォーク・ソングがいい触媒となって、リュート・ソングに瑞々しさをもたらしているようにも感じられ、リュート・ソングとフォーク・ソングを並べるというショルの視点に感心させられる。そうして際立つ、魅力的な歌の数々!ひとつひとつの歌の魅力が、隔てなく、遜色なく、真っ直ぐに歌われるからこそ、古楽かフォークロワかなんて、もはや意味を成さず、ただひたすらに"歌"としての輝きが溢れている。
一方で、「イギリス」という個性が映えるのも興味深いところ。イギリスそのものが表れるフォーク・ソングと、現代に至るまでのイギリスの歌の伝統の源流とも言えるリュート・ソング。飾らずともキャッチーで、なおかつヴィヴィットな印象を与える音の運びは、どことなくビートルズ、さらにはアデルらに至るブリット・ポップと同じ匂いを感じるようで、おもしろい(スティングがダウランドのリュート・ソングを歌ったことを思い出す... )。ルネサンス期にまで遡るイギリスの"歌"の伝統、あるいはその底辺にあるだろうDNAを意識しつつ、かつてと今のイギリスの"歌"の距離というのは、思いの外、離れていないのかもしれない。そんなことをふと考えさせる"English Folksongs & Lute Songs"は、ルネサンス期のアルカイックさ、フォークロワのオーガニックさを圧倒的に感じながらも、どこかしら現代へとつながるセンスが滲むのか。イギリスの音楽が持つ個性に改めて魅了される。
という、リュート・ソング、フォーク・ソングを歌うショル!カウンターテナーなればこその高音を、クリアに、伸びやかに響かせて、徹底して素直な歌を聴かせる。だからこそ、楚々とした歌の数々が鮮やかに活きて... 特に、リュートの伴奏無しで歌う「ヘンリー王」(track.7)の鮮烈さ!シンプルなフレーズを繰り返すだけの際立って素朴なこの歌が、ショルの歌声で捉えると、牧歌的なイギリスの風景が眼前に広がるかのよう。そうしたイマジネーションを掻き立てる歌声の存在感はただならない。今でこそカウンターテナーというと、カストラートが大活躍した時代のアクロバティックなアリアのイメージがあるけれど、そうしたイメージが出来上がる前夜にブレイクしたショルならではの、技巧に頼るのではなく、高音そのものの美しさを聴かせる歌声というのは、カウンターテナー花盛りの今、また際立ったものに感じる。そして、マルティンのリュート!伴奏に徹しながらも、声の後ろで本当に美しい音色を響かせていて... リュート・ソング、フォーク・ソングの合間に絶妙に挿まれる独奏(track.4, 8, 18)では、典雅にして、キリっとした演奏を聴かせ、このアルバムにすばらしいアクセントを添える。
しかし、何と魅力的なのだろう!視点のおもしろさがもたらす興味深さの一方で、心に沁み渡るシンプルな"歌"の数々... そのやさしさに触れ、言葉を失う...

ENGLISH FOLKSONGS & LUTE SONGS / ANDREAS SCHOLL

ダウランド : 愛の神の眼を閉じたこの不思議を見よ
ダウランド : だれよりも私だけをあの世に送り返して
ダウランド : 愛と運命にそむかれた君たち
ダウランド : ルーセル嬢のパヴァン 〔リュート独奏〕
三羽のカラス
悲しみの水辺
作曲者不詳 : ヘンリー王
作曲者不詳 : ケンプのジグ 〔リュート独奏〕
キャンピオン : 私の可愛いレスビアよ
キャンピオン : 淑女たちには用はない
キャンピオン : 私の恋人は断言した
ダウランド : 私は見た、あの人が泣いているのを
ダウランド : あふれよわが涙
ダウランド : 悲しみよよどまれ、真の後悔の涙を添えよ
ダウランド : 愛の神よ、見つけたことがあれば話して
ダウランド : 彼女は私の過ちを許すだろうか
ダウランド : わが窓辺から去れ
ダウランド : わが窓辺から去れ 〔リュート独奏〕
恋人に林檎をあげよう
バーバラ・アレン
レンダル卿

アンドレアス・ショル(カウンターテナー)
アンドレアス・マルティン(リュート)

harmonia mundi/HMC 901603

1月、七草粥的アルバムを求めて...
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