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ワーグナーの時代における、ワーグナーという存在、 [before 2005]

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ワーグナーが描く世界は、超越的で、圧倒的...
神話的というか、いや神話そのものなのだけれど。それまでのオペラが、古代ギリシア、ローマの古典に則って展開されていたのに対して、ワーグナーはそういう伝統的なスケール感を完全にブチ破って、捨て去り、新たな神話を創造した希有なストーリーテラーでもあった。もちろん、『リング』も、『パルジファル』も、下敷きとなるストーリーは存在する。が、その下敷きとなったストーリーと、ワーグナーによる新たなストーリーを並べれば、ワーグナーの超越的で、圧倒的な神話性にこそ、真の神話を見出すことになるだろう。
なーんて書くと、19世紀の象徴主義のワグネリアンになったような気分?けど、音楽のみならず、ワーグナー自身が手掛けた台本の、それ以前にも、それ以後にも存在しないスケール感は、やっぱり凄い!一方で、ワーグナーが紡ぎ出したストーリーの興味深いところは、神話でありながら、極めて人間的でもあるところ。ある意味、ブっ飛んだ世界を描きながらも、常にどこかで、我々の世界と重ねることができるからおもしろい。例えば、『リング』!何となーく、あの世界が、今の世の中、そのもののようにも思えたり... 原子力は指輪?巨人族はオイル・マネーか?中国か?大統領はヴォータンか?ジークムントか?ギービヒ家はコーク兄弟?記憶を失くしたジークフリートはティー・パーティー?そして、没落を前にする神々は経済そのもの?そして、私たちは?
えーっと、話しがデカくなり過ぎたので、軌道修正。で、ベルリン・フィルによるモダンの充実した演奏の後で、ロジャー・ノリントンが率いた、ピリオド・オーケストラ、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏による、ワーグナーの管弦楽曲集(EMI/5 55479 2)を聴く。

今となっては、ピリオドでワーグナーと言っても、そう驚くこともない。けれど、これが20年近く前となると、衝撃だった(って、もうそんなにクラシックを聴いているの、自分?何か、その月日の経ち方が恐い... )。そんな、1995年のリリース、ノリントンが率いたロンドン・クラシカル・プレイヤーズによるワーグナーの管弦楽曲集。で、あの頃は、そのセンセーショナルさにばかり耳が行き、何となくノリで聴いていたのかも(ま、一応、若かったのだろう... てか、初心者... )。そして、今、改めて聴いてみるのだけれど、20年近くという年月を経て聴く、ピリオドのワーグナーは、当然、感じ方が違って、興味深いものがある。何しろ、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズは、エイジ・オブ・インライトゥンメント管に発展的に吸収(1997)され、ノリントンはシュトゥットガルト放送響の首席指揮者(1997-2011)に就任し、モダンとピリオドのハイブリットによる"ピュア・トーン"で、ゼロ年代を席巻したわけだ。そこには、すでにクラシックの歴史がある!で、そういう歴史を踏まえて、20年(弱)前に帰ると...
ピリオドなればこそのサウンドと、ノリントンが志向するノン・ヴィブラート。ノリントンがまだ若かった頃、そのオーセンティックなピリオドから繰り出されるワーグナーは、この作曲家の突出した音楽性を、もう一度、見つめ直す機会を与えてくれるのかもしれない。まず、1曲目の『リエンツィ』序曲。グランド・オペラの時代の、華麗にして俗っぽいようなあたりが浮かび上がり、それがまた魅力となって、19世紀のバブリーさが、ワーグナーの音楽の中で鮮やかに花開くかのよう。一方で、『トリスタン... 』の第1幕への前奏曲(track.2)の、冒頭のテーマを、ストイックにノン・ヴィブラートで奏でられてしまうと、19世紀の豊潤さは消え、その鋭さにゾクっとさせられる。またそこには、新ウィーン楽派の音楽を聴くような、独特な艶やかさを見出し、改めてワーグナーの先進性に感服させられる。先進性に関しては、『パルジファル』の第1幕への前奏曲(track.6)の独特のアンビエントさに、ケージを思わせる気分を感じ、やはりノン・ヴィブラートによる、すーっと奏でられる楽器の響きには、何か水墨画を思わせて、ワーグナーの神秘性には、東洋的なマジカルさが潜むのかもと、興味深く感じ、聴き入ってしまう。
聴き慣れたワーグナーが、「ピリオド」という事態に遭遇し、それまでに無かった反応を見せる?ピリオド・アプローチによるワーグナーとは、まさにワーグナーをワーグナーが生きた時代へと還す作業となるわけだが、ノリントンのオーセンティックな姿勢がもたらした結果は、必ずしも19世紀風のワーグナーに辿り着くばかりではなかったことがおもしろい。いや、これこそが、ワーグナーの突出した音楽性なのだろう。そうして、その後の音楽に強烈なインパクトを与えることになったわけだ。ノリントンがこのアルバムに描き出したワーグナー像というのは、そのまま、ワーグナーが生きた時代の、ワーグナーによる衝撃を再現しているのかもしれない。
そして、今はもう存在しないロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏。今から振り返ると、それは90年代のイギリスのピリオド・オーケストラの雰囲気... というのか、優等生的な卒の無い印象も受ける。しかし、明らかにモダンとは違う、ピリオドならではの少し枯れた、抑えられた響きのトーンが、かえってアンサンブルが整理されるようで、ワーグナーの音楽の隅々までがクリアに照らし出され、ワーグナーの醍醐味たるグラマラスさではなく、構造美を見せてくれて、見事!で、何と言ってもノン・ヴィブラート!あらゆる楽器が、すーっとスムーズに音を奏で、そのサウンドが一本の糸に撚られ生まれる独特の空気感は、ノリントンの志向が最も反映されたものだったかもしれない。そうして響き出すワーグナーからは、今を以ってして、ワーグナーの時代におけるワーグナーとは何であったか?を考える、課題を与えてくれるよう。

WAGNER:ORCHESTRAL WORKS
NORRINGTON

ワーグナー : オペラ 『リエンツィ』 序曲
ワーグナー : 楽劇 『トリスタンとイゾルデ』 より 第1幕の前奏曲 と 「愛の死」 *
ワーグナー : 楽劇 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 より 第1幕の前奏曲
ワーグナー : ジークフリート牧歌
ワーグナー : 舞台神聖祝典劇 『パルジファル』 より 第1幕の前奏曲
ワーグナー : オペラ 『ローエングリン』 より 第3幕の前奏曲

ロジャー・ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
ジェーン・イーグレン(ソプラノ) *

EMI/5 55479 2




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