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タンホイザー、パルジファル、トリスタン... [before 2005]

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9月後半がヴェルディだったので、10月前半はワーグナー。
と、まあ、安易ではありますが、ワーグナーの生誕200年のメモリアル、やっぱりワーグナーも聴いてみたくなる。それにしても、ワーグナーとヴェルディ、19世紀のオペラを牽引した二大巨頭が、1813年、同じ年に生まれたというのは、ある意味、奇跡のように思えて来る。5月22日、ドイツ、ライン連邦、ザクセン王国、ライプツィヒで生まれたワーグナー。10月10日、ナポレオンのフランス帝国に併合されていた、イタリア、ロンコレ村で生まれたヴェルディ。北と南、絶妙な距離を以って、その音楽は両極にあって、それぞれオペラ史に強烈なインパクトを与えたわけだ。いつの時代、どんなジャンルにも、ライヴァル関係は存在する。が、ワーグナーとヴェルディに関しては、何だか出来過ぎているようにすら思えて来る。いや、だから歴史はおもしろいのか。
で、今回から、ワーグナーをいくつか聴いくことに... その最初の1枚、クラヴディオ・アバドの指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、『パルジファル』の第3幕からの組曲を核に編まれた、ワーグナーの管弦楽曲集(Deutsche Grammophon/474 377-2)を聴く。

本当に久々に聴く、アバドの指揮、ベルリン・フィルによるワーグナーの管弦楽作品集。ちょうど10年前のリリースで、そういう年月もあってか、すっかりその存在を忘れていた。となると、どんな内容だったか、まったく印象に残っていない。けど、それがかえって良かったのかもしれない。真っ白な状態で聴く、アバド、ベルリン・フィルのワーグナー... それは、思い掛けなく鮮烈で、また深く、ただただ聴き入ってしまう。何より、ベルリン・フィルの充実を極めたサウンド!嗚呼、ベルリン・フィルは、やっぱり凄い... 全ての楽器が、最大の輝きを以って響き出し、ひとつの大きな塊へと編み上げられてゆく... 始まりの、『タンホイザー』の序曲から、その美しくしっかりとした聴き応えに、思わずため息が出る。理想的なクラシックの姿というか、オーケストラ芸術の醍醐味というか、何の説明も必要とせず、そのサウンドだけで全てを物語り、有無も言わさず、聴く者を感動へ突き落す。やがて迎える、最後の盛り上がり、巡礼の合唱のメロディが帰って来ての、そのカタルシスたるや!
そして、このアルバムの核となる『パルジファル』からの音楽が続く... 第1幕への前奏曲(track.2)の、このオペラを象徴する厳かさに包まれた後で、第3幕からの組曲(track.3-6)へつなげられ。グルネマンツがパルジファルに洗礼(track.3)を施し、聖金曜日の奇跡(track.4)の甘やかな音楽が始まる。『パルジファル』は、どうも長大で、厳粛過ぎて、取っ付き難い印象を持っていたのだけれど、こうして、組曲として、改めて触れてみると、そのロマンティックな美しさに、大いに魅了されてしまう。一方で、鳴り響く鐘と騎士たちの入場(track.5)の、ゴングが生み出すミステリアスさ... ワーグナーに東方的な色合いを感じ、また、そうしたあたりにドビュッシーを思わせる瞬間もあって、それも、脱ワーグナーを試みたドビッュシーの、象徴主義へと至る姿を見出すようで... ワーグナーという存在は、象徴派の芸術家にとってアイドルであり、『パルジファル』の物語は、その神秘主義的な性格が、まさに象徴主義そのものではあるのだけれど、その音楽もまた、ロマン主義から象徴主義へ、新たな展開を予感させていたように感じる。この最後となった作品で、やがて20世紀へと至る、ロマン主義に捉われない新たな時代を先取りしていたのかもしれない。また、ドビュッシーら、プレ・モダンとしての象徴主義の音楽を担った次世代が、如何にワーグナーをその創造の源泉としていたかを思い知らされもする。で、そういう視点を持つと、その後の音楽史の風景に、いろいろな思いが過る。ワーグナー崇拝と脱ワーグナーの構図、実は、アベコベなのかも?
さて、最後に、『トリスタンとイゾルデ』からの前奏曲(track.7)と「愛の死」(track.8)が取り上げられるのだけれど。神秘的で厳粛な『パルジファル』の後で聴く『トリスタン... 』は、ゾクっとするくらい悩ましく、生々しくて、びっくりした。で、このアルバムの魅力はここにあるのだなと、単なるワーグナーの管弦楽曲集に終わらせないアバドのすばらしいセンスに感服させられる(ちょっと調べたら、国内盤には、さらに「ワルキューレの騎行」がボーナス・トラックとして加えられていたらしいのだけれど、それってブチ壊しだよ... )。『タンホイザー』が、俗から聖へと導かれ、『パルジファル』で、聖の昇華が歌われ... その後で、まるで夢から醒めたように、逃れようのない俗が押し寄せる『トリスタン... 』。この流れ自体が、まるでひとつの楽劇を見るかのよう。それぞれ、ひとつひとつの楽劇として体験するよりも、より濃密なドラマを味わえたような、そんな読後感を味わうのかもしれない。
というドラマを存分に聴かせてくれた、アバドとベルリン・フィル。アバドの時代のベルリン・フィルというと、恐ろしいほどの緻密さと、緻密さを活かし切りながらきっちり鳴らすことのできる異様さというのか、ある種、モンスターな高性能さに魅了されたものだけれど... アバドの時代も終わりの頃となる、ここでのワーグナーは、高性能なばかりではない、オーケストラとしてのどっしりとした存在感、そうして生まれる深みにも魅了される。また、そういうサウンドが、ワーグナーの音楽の象徴主義的な可能性をも引き出し、興味深い。そこに加わる、アバドのお気に入り、世界屈指のスウェーデン放送合唱団!『パルジファル』の第3幕(track.5, 6)での、透明感に溢れるそのハーモニーは、天上を思わせる雰囲気を漂わせ、濃密なベルリン・フィルのサウンドを中和するようでもあり、印象的。そうして、全てが相俟って出現するワーグナーの圧倒的な音楽世界。陶酔的で、危うげであるその音楽世界に、アバドはヒューマニスティックな感動をしっかりともたらしてくれる。そうして得られる、深く大きな感動は、普段、聴く、ワーグナーとは、一味違うものなのかもしれない。

WAGNER: PARSIFAL ・ TANNHAUSER ・ TRISTAN UND ISOLDE
BERLINER PHILHARMONIKER ・ ABBADO

ワーグナー : オペラ 『タンホイザー』 より 序曲
ワーグナー : 舞台神聖祭典劇 『パルシファル』 より 第1幕への前奏曲
ワーグナー : 舞台神聖祭典劇 『パルシファル』 より 第3幕からの組曲 *
ワーグナー : 楽劇 『トリスタンとイゾルデ』 より 第1幕への前奏曲 と 「愛の死」

クラウディオ・アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
スウェーデン放送合唱団 *

Deutsche Grammophon/474 377-2




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