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ショスタコーヴィチ、我が仕事のクレド、交響曲 第4番 ハ短調。 [2005]

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結局、「社会主義リアリズム」って、何なのだろう?
リュビモフの"Messa Noire"を聴いて、ふと思う。考えたところで結論が出るイズムでないことはわかっているのだけれど... かつて、世界が東西に分断されていた頃、ショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、西側で、社会主義リアリズムのアイコンとして受け取られていた。が、ソヴィエトでは、極めて西側的で退廃した作品として厳しく糾弾されていた。息詰まる現実を冷徹に見据え、厳しいサウンドで捉えた『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、"社会主義"という冠を被せなくとも、20世紀におけるリアリズムの珠玉の名作だと思う。いや、そんなことは今さらの話しで、結局、芸術家の自由な創造を許さない政治による検閲としての「社会主義リアリズム」... 実態のない方便に過ぎなかった虚しい言葉であった「社会主義リアリズム」... けれど、もし、ソヴィエトが『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を認めていたならば?その後に、何か、大きなムーヴメントが生まれたのでは?第二次世界大戦が終わって、西側、作曲家たちが、音列音楽へと雪崩を打って「前衛」が到来した20世紀後半、その対極で、「社会主義リアリズム」は実体を持ち得て、実り豊かな展開があったかもしれない。
もちろん、そんな夢想は吹き飛ばすほど現実は厳しかった!で、その厳しさの中、生まれ、封印された作品、ショスタコーヴィチの4番の交響曲... 2005年にリリースされた、ショスタコーヴィチを得意とする2人のピアニスト、ハステム・ハイルディノフとコリン・ストーンが弾く、作曲者自身の編曲による2台ピアノ版(CHANDOS/CHAN 10296)を聴き直す。

1934年、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が、レニングラード(現、サンクト・ペテルブルク... )で初演され、大成功する。ショスタコーヴィチは、27歳にして、一躍、ソヴィエトで最も注目される作曲家となった。そして、この成功は瞬く間に西欧へと広がり、さらには大西洋を渡って、アメリカでも上演され賛否を巻き起こした。ちょうどその頃、作曲されたのが4番の交響曲(1935-36)... 作曲家として調子を上げていた頃の才気溢れる音楽にして、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』での大成功に至るまでの集大成、かつ、その直後の交響曲として、並々ならぬ思いが籠められていただろう、思考錯誤を重ねて生み出された力作にして労作。だったが、1936年、成功から一転、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が糾弾され、政治的に厳しい状況に置かれたと感じたショスタコーヴィチは、初演のリハーサルまで行われていた4番の交響曲を封印。初演(1961)は、四半世紀後となる。
という4番... 2台ピアノ版を聴く前に、オーケストラによる本来の演奏を久々に聴いてみた。で、やっぱり凄い!それは、ヤリ過ぎ?なくらいに、濃密な音楽が繰り広げられる。まるで、バロックの時代に始まったシンフォニア以来の交響曲の集大成と言わんばかりに、巨大で、尊大ですらあって、聴く者を圧倒して... その、あまりの存在感に、慄き、受け止め切れず、中てられる。クラクラして来る。けれど、そうなって見えて来る風景というのもある。ひたすらに圧倒されて到達する境地というのか、グワングワンと鳴り響く交響楽に脳をシェイクされて得られる悦楽?ショスタコーヴィチのどの交響曲よりも、この4番こそ、聴き応えがあるのかもしれない。そして、ショスタコーヴィチは、この作品を「我が仕事のクレド」と呼んだらしいが... クレド(信仰告白)!このラテン語を選んだ仰々しさたるや... 若き作曲家の「若さ」の発露、というか迸る青さ、若いからこそのカッコ悪さ... いや、それだけ思い入れがあったのだろう。そして、その思い入れがこれでもかと圧し掛かって来て、ただただ圧倒されるしかない。
そこから聴く、1936年に作曲者自身によって編曲された2台ピアノ版。響きのヴォリュームが絞られたことで、クリアに見えて来るものが間違いなくある。良くも悪くも盛り込み過ぎの音が、2台のピアノに収斂されたことで、作曲家が最も聴かせたかった流れがくっきりと浮かび上がり、こういう作品だったのかと、改めて新鮮に感じてしまうところも... まるで、交響楽で武装するのをやめて、より音楽的な姿を露わにしていて、おもしろい。いや、もはや別物とすら思えて来る、オリジナルと2台ピアノ版。どちらがどうのというレベルでなく、同じ作品でありながら、異なるベクトルで音にされたことで、それぞれにまったく違った魅力を発し得ることが凄い。交響曲のピアノ譜、完全版と簡易版という関係ではなく、新たな形を提示できるだけの中身の詰まった音楽へのショスタコーヴィチの自信!そして、2台ピアノ版の整理された響きからは、この誇大な交響曲の見事に紡がれた音楽の芯の部分がさらりと鳴り出し... それは、ある意味、4番という交響曲にとっての"クレド"なのかもしれない。
という、2台ピアノ版を弾く、ハイルディノフ、ストーンの2人。この2人のショスタコーヴィチという作曲家に対する真摯な眼差しを感じる、丁寧なタッチもまた印象的。ピアノという楽器の響きを大切に、的確に一音一音を捉えてゆく実直さは、かえってショスタコーヴィチの音楽に多彩な色を探り当てていて、ショスタコーヴィチの音楽そのものに、これまでにない魅力を引き出すよう。けして、オリジナルに張り合おうなどという無理はせず、ショスタコーヴィチの音楽としっかりと向き合い、よりこの作品の可能性、幅を掘り起こす、ハイルディノフ、ストーン... まったく新しい作品に出会うような刺激を与えてくれる。

PÄRT Creator Spiritus THEATRE OF VOICES / ARS NOVA COPENHAGEN / HILLIER

ショスタコーヴィチ : 交響曲 第4番 ハ短調 Op.43 〔2台ピアノ版〕

ハステム・ハイルディノフ(ピアノ)
コリン・ストーン(ピアノ)

CHANDOS/CHAN 10296

さて、「社会主義リアリズム」って、何だろう?という問いなのだけれど...
ショスタコーヴィチの4番の交響曲を、オリジナルと2台ピアノ版で聴いてみて、さらにその背景をおさらいしてしみて感じるのは、ショスタコーヴィチという存在そのものが「社会主義リアリズム」だったのかもしれない。こと。社会主義のリアルは、多くの芸術家を窮地に陥れ、場合によっては死にすら追いやったわけで... そうした中、必死にサヴァイヴしたショスタコーヴィチの綱渡りな人生そのものが、「社会主義リアリズム」に思えて来る。結局、作品よりも、社会主義のリアルな中、それでも新たな作品を創作し続けた芸術家たちの苦悩の軌跡そのものが「社会主義リアリズム」なのかもしれない。




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