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クラシックの、最も瑞々しい頃... [selection]

いやぁー、梅雨、本格化ですね。湿度にヤラレてます。
気温はそれほどでもないのに、熱中症... そんなニュースに驚いたのだけれど、原因は湿度。侮れないな、湿度... だからなのか、湿度に塗れる日々、こう、気分的にスイッチ入りません。首、肩、重いし。乾燥しているよりは潤っていて欲しいところだけれど、潤いが過ぎた日常というのは、それだけでストレスになるのだなと。いや、これこそ梅雨!そんな梅雨を、瑞々しいロマン主義で受け流す、6月。だったか?いや、ロマン主義の流れを追う、6月。ロマン主義下りと称して、19世紀、ドイツ―オーストリアの音楽をいろいろ鑑賞中。が、ウェーバーの『オベロン』(1824)と、リストの後期作品集(リストの死を前にした1880年代を中心に... )の、半世紀を越える開きというのは、ちょっと飛び過ぎだなと... というより、その半世紀こそ、ロマン主義が最も潤いに充ちた頃。ロマン主義が成熟した、まさに、クラシックの輝ける時代!そのあたりが抜けてしまっているのはもったいない。
そこで、その半世紀を埋めるセレクション、6タイトル...

クラシックの、まさにその核とも言える、ドイツ―オーストリアの音楽が、最も輝きに充ちた頃... ロマン主義の時代。そのロマン主義が、ヨーロッパ中に溢れ、ヨーロッパを呑み込み、様々に影響を与えた19世紀半ば... 何となく、避けていたかもしれない。クラシックの「定番」ではあるのだけれど、その「定番」が、クラシック全体を覆ってしまう傾向に、ちょっと納得が行かなかった。だからこそ、より幅の広い視点を心掛けて... が、近頃、ふとクラシックの状況を見渡してみると、「定番」の存在は、大分、薄れているような気がする。というより、21世紀の音楽の潮流なのか、クラシックも細分化が進みつつある?そして、そのそれぞれで、よりマニアック化が進行中?となると、「定番」は消失するのか?つまり"核"の喪失となるのか、クラシック?
そうした中で、改めて、ドイツ―オーストリアのロマン主義と向き合うことは、とても新鮮で。新たな発見もありつつ、やっぱり核としての魅力をまざまざと見せつけられる思いも。で、6月、ロマン主義下り(ライン下りみたいな... ドナウも含めて... )の、ウェーバーの『オベロン』と、リストの後期作品集を埋めるセレクション。ロマン主義下り... というのは、ズバリ、時代を下っているので、そういう順で6タイトル。やっぱり、この季節なればこそ、瑞々しいサウンドを選んでみた。いや、ロマン主義は瑞々しい!

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で、本当に瑞々しい、ロマン主義... まずは、『オベロン』と同じ、1824年の作品、シューベルトの弦楽四重奏曲、「死と乙女」。若き、イェルサレム四重奏団の演奏で。弦楽の滴るような響きと、ドラマティックに疾走してゆく音楽が、たまらない... いや、これぞロマン主義!という充実感に、たっぷりと酔わされてしまう。何と言ってもイェルサレム四重奏団の演奏!クリアかつ豊潤なサウンドで繰り広げられるシューベルトは、若さを越えた雄弁さを湛えつつ、シューベルトの若さに焦点を合わせ、圧巻の瑞々しさを見せる。
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ロマン主義は、「若さ」に象徴されるイズムのように感じられる... で、若きシューマンの、クララへの愛を綴った1枚、1830年代のシューマンのピアノ作品を集めたル・サージュのアルバム、"An Clara"。青春の気持ちの昂りと、夢見がちなスウィートさ。けしてスマートには事が運べない不器用さが、音楽に昇華された時の切なくも美しい表情に、グっと来てしまう。やがて全集を完遂するル・サージュ、その1枚目で、すでにシューマンの人生を俯瞰しているのか、そういう視点が、シューマンの素の姿により迫って、印象的。
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ワーグナーの駆け出しの頃、1841年、パリで準備されていた『さまよえるオランダ人』の初稿。これをピリオドから挑む、ヴァイル指揮、カペラ・コロニエンシス。普段の版とは一味違う、初稿ならではの、もぎたて感と言うのか、思い掛けなくフレッシュなサウンド!そうして得られる、躍動感!何か弾むような、フライング・ダッチマンの、その"フライング"できそうな軽さから生まれる、より大きな動きに、ロマン主義を再発見する思いも。若きワーグナーなればこその鮮烈さに、ただならず魅了されてしまう。
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ここで、定番中の定番を... 1844年の作品、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ウラディーミル・ユロフスキの指揮、エイジ・オブ・インライトゥンメント管の伴奏で、イブラギモヴァがピリオドのヴァイオリンに持ち替えて定番に挑むアルバム。ピリオドも、今や特殊なものではなくなり、モダンとピリオドを行き来する存在は増えている。だからこそ生まれる新たな感覚。イブラギモヴァのピリオドは、しっかりと鳴り、滴るようにロマン主義を紡ぎ出すのが印象的。その瑞々しさは、メンデルスゾーンの魅力をこれまでにないスケール感で掘り起こす!
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ロマン主義の起点はどこにあるだろう?18世紀後半、文学における疾風怒濤、ゲーテあたりだろうか?とするならば、ゲーテらの詩に音楽を付けたドイツ・リートは、ロマン主義の真髄と言えるのかもしれない。そうした文学からの影響を丁寧に追った、ヴォーカル・アンサンブル、アマコードが歌う"RASTLOSE LIEBE"は、ドイツ・リートの辛気臭さを寄せ付けず、ロマン主義が迸らせる若々しいポエジーを鮮烈に聴かせてくれる。ア・カペラ、というのも大きい。素の魅力を結集して生まれる、表情の豊かさ!
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最後は、1863年から翌年に掛けて、リストが編曲したピアノによるベートーヴェンの交響曲か、2番と6番、「田園」。マルティノフがピリオドのピアノで弾く演奏。リストの時代のサウンドで捉えたベートーヴェン... という興味深さも、もちろんあるのだけれど、何と言っても、マルティノフが放つ瑞々しいタッチ!これがタダモノではない... オーケストラからピアノになるのだから、音は減り、イマジネーションも萎むかと思いきや、草の茂る大地から発せられる蒸気を感じてしまうような瑞々しさは、もう、圧巻。

という6タイトル。ロマン主義が管を巻く前の、最も瑞々しい瞬間を捉える6タイトルかなと... そんなロマン主義に改めて触れてみると、なぜにそれらが「定番」であるのか、"核"であるのかが、理解できる。やっぱり魅力的。普段、あまり聴かないからこそ、余計に感じるのかもしれないが。いや、しっかりと音楽が構築されながらも、より豊かな情感を失わないドイツ―オーストリアのロマン主義。その聴き応えは、「定番」や"核"といった、前置きなどまったく必要とせずに、ありのままにすばらしいのだなと、感じ入る...
そもそも、「定番」や"核"など、必要ないのかもしれない。場合によっては、クラシックという枠組みに固執することが、今や、時代遅れなのかもしれない。やがて、ジャンルなんていう壁は消え去り、ただ単に、自分の好きな音楽のみが残る。そういう、ある種のグローバリズム的なフラット化が、クラシックという、特殊なポジションにある音楽にも及ぶのかもしれない。しかし、それは、かなり心許無い。というより寂しいし、ぼんやりと不安すらある。「定番」という看板が無くなって、"核"を失って、壁が消えてしまったら... クラシックの未来はどんなものになるのだろう?未だ見ぬ次元へと移行するのか?




タグ:19世紀
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