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"源"が放つユニヴァーサルさ... グレゴリオ聖歌... [before 2005]

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ルネサンス、そしてゴシックへと遡って、グレゴリオ聖歌へ...
それは、クラシックの始まり。そして、西洋音楽をベースとする我々の音楽の源。なんて、考える?日常、好むと好まざると、ありとあらゆる音楽に包まれて生きている我々にとって、その源がどこにあるかなど、考えることはほとんどない。でもって、それがグレゴリオ聖歌だなんて、まったく想像がつかない。クラシックを、あっちへこっちへと、忙しなくいろいろ聴き散らかしてたって、正直、ピンと来ない。いや、それほどに遠くにあるのだと思う、グレゴリオ聖歌。つまり、音楽の歴史というのは、それだけ長い歩みを経て、今に至っているわけだ。
そして、その長い歩みを遡って、"源"へと向かうのだけれど。録音も、グっと遡って1989年。なるべく新しいアルバムで、クラシックの今を切り取るはずが、近頃は、かなりブレ気味でして... というあたりはさて置き、10年前に再リリースされた、ドミニク・ヴェラール率いる、古楽の老舗、アンサンブル・ジル・バンショワによるグレゴリオ聖歌(cantus/C 9617)を聴き直す。

もの凄くグレゴリオ聖歌が流行ったことがあったけれど、あれっていつ頃だったか?90年代?世界中でブームになって、びっくりすることに、日本でまでブームになって... もちろん、世界中がカトリックに帰依したわけでなく(って、今や、カトリック教会でもラテン語によるグレゴリオ聖歌は歌われないか... )、「癒し」としてのグレゴリオ聖歌が注目されてのことだったわけだけれど... 音楽に癒しを求めるブームの先駆けとなって、その後、やたら癒されることが音楽の、特にクラシックの至上命題となって、何か、その安易さに、辟易させられたことを覚えている。けれど、今、振り返ってみると、世の中は、その時点で、すでに疲労困憊だったのかもしれい。「近代」という言葉に彩られる20世紀は、どこかで極めて非人間的な世紀だったように感じる。そうした時代をサバイヴして来ての、世界中の人々は、無意識に"源"へと辿り着き、そこに癒しを求めたようにも、思えなくもない。
そして、あれから20年弱、今、改めて聴くグレゴリオ聖歌は... あえて、ルネサンスから遡って来たからだろうか、その単旋律の雄弁さと、素朴さが、より際立って響いて来るよう。まさに"源"だなと、思い知らされるようなストイックさを感じる。そもそも、グレゴリオ聖歌は、音楽なのだろうか?最初期のグレゴリオ聖歌が綴られた中世の写本などを目にすると、とても楽譜とは思えない姿に、愕然とする。それは、歌われるラテン語の文言の上に、まるでオタマジャクシが列になって泳いでいるようなイメージで... 我々が知る楽譜からすると、とんでもなくアバウト。本当にこれで歌えるのか?というシロモノ。いや、楽譜という概念で見るから、変なことになるわけで、それは、唱える文言を、どういう抑揚で唱えるかのメモ書きのようなものだったのだろう。だからこそ、"源"のように感じる。言葉が抑揚を強めて、歌となろうとする瞬間。音楽という強い性格を持つ直前の姿。やがて、我々の知る楽譜に近くなったネウマ譜で記されるようになって、グレゴリオ聖歌がどういう音楽であったかを今に知ることができるわけだが。この、音楽なのか、音楽未満なのか、ギリギリのところにある"源"という状態が、興味深く感じられた。
その"源"であるあたりを、力むことなく、楚々と際立たせる、ヴェラール+アンサンブル・ジル・バンショワ。古楽のヴォーカル・アンサンブルだけに、修道院のコーラスの、モダンにソフィスティケイトされた雰囲気(というのは、ちょっと言い過ぎかも... だけれど... )とは、どこか空気感が違う。単旋律の一本の筋を、素朴に、訥々と歌いつないで、何も飾らない素の中世を響かせるのか。すると、歌うというより、唱えるという、本来のグレゴリオ聖歌の性格が浮かび上がり、それがまた、お寺で聴く、お経と同じ匂いがしてくるから、おもしろい。"源"を突き詰めてゆくと、結局、宗教や文化の違いを度外視した、「祈り」そのものに辿り着くのかもしれない。なればこそ、日本人にとって、グレゴリオ聖歌がどんなに遠くとも、ブームを巻き起こし、癒されたのだろう。その当時は、グレゴリオ聖歌を癒しに聴くなんて、安っぽく思えたけれど、こうして聴き直してみると、腑に落ちるものがある。何より、アンサンブル・ジル・バンショワの、良い意味で脂の落ち切ったアンサンブルが、しっかりと単旋律を捉えて生まれる、不思議な揺るぎなさに、心打たれる。それは、感動というような、情動的なものではなくて、深く、静かに、気持ちを整えるような... やっぱり"源"なればこその感覚なのか... それでいて、音楽としては、これほどシンプルなでありながら、よりユニヴァーサルな感覚を見出せるのが、何だか素敵だ。

Canto Gregoriano Gregorian Chant

第1旋法 主はお作りになった/憐れみたまえ、神よ/天より遣わされた
第2旋法 主はわが光/民よ、主を祝え/神に歓呼せよ、全地よ/力を示せば
第3旋法 わが心は汝に語った/王の息子らは/わが心はあふれる/正しく治め
第4旋法 憐れみを覚えおきたまえ/アレルヤ/新たにしたまえ、主よ/国々を統べる者は
第5旋法 われを取り巻く/善きことなり/告げることは
第6旋法 集会の最中に/主よ、助けたまえ/退けたまえ
第7旋法 ガリラヤ人らは/アレルヤ/われらの過ぎ越しのいけにえは/祝宴を
第8旋法 主よ、ただちに/天を注視せよ

ドミニク・ヴェラール/アンサンブル・ジル・バンショワ

cantus/C 9617

3月、源流を目指して...
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