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"une symphonie imaginaire" [2005]

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12月は、フランス... それも、メインストリームを外してのフランス...
ここまで3タイトルだけれど聴いてきて、メインストリームを外しても、フランスはフランス。と、つくづく思えるところがおもしろい。そして、ドイツ―オーストリアが優勢のクラシックにあって、「フランス」の個性は強いなと。で、このフランス性って何だろう?と興味深く感じる。1920年代のキャバレーに、1860年代のちょっと怪しげな小劇場から、ゼロ年代の現代っ子(?)の作品にすら通低する「フランス」。お洒落だけど、ちょっとユルめの、不思議な弾力感。重厚なドイツはもちろん、歌い上げるイタリアとも違う、ある方向へと突き進むことのない、微妙な煮え切らなさが、独特の気分となっている?メインストリームを外してこそ浮かび上がる「フランス」もあるのかも。
さて、このあたりでメインストリームに戻り、さらに遡る... フランスがフランスであることをより強く主張した時代、バロック期から... 2005年にリリースされた、マルク・ミンコフスキ率いるレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルによる、ラモーのオペラからの管弦楽曲を大胆にまとめ、ひとつの作品として再編集した力作、"une symphonie imaginaire"(ARCHIV/474 5142)を聴き直す。

久々に聴くと、何だか目が覚める!この独特のヴィヴィット感...
オペラのバレエ・シーンのための管弦楽作品などを一括りにして、組曲として取り上げることの多いラモーだけれど、それらは、基本的に一作品、一組曲。様々なオペラからの作品をシャッフルしてひとつに再編集するなんてことはなかった。けれど、ミンコフスキはそれをやってしまう... ある意味、禁じ手?けれど、見事にやり切って、まったく新たな作品を生み出してしまうから、凄い... それがまた、ラモーのイメージ、あるいはフランス・バロックのスケール感を越えて鳴り響き、今、改めて聴いても、その聴き応えには、不思議な心地にさせられる。
"une symphonie imaginaire"、直訳すれば「空想の交響曲」となるのだろうか、もしラモーが交響曲を書いていたならば?という空想で遊ぶミンコフスキ。で、まさに交響曲!思い掛けなくシンフォニックに鳴らされるラモーの管弦楽作品の数々はどれも新鮮で、オペラの中で聴くよりも、ひとつのオペラのひとつの組曲として聴くよりも、恐ろしく刺激的だ。それでいて、次々にイマジネーションが喚起される!キャラクタリスティックなバレエ・シーンが多いだけに、表情豊かな音楽が連なり、空想の交響曲でありつつ、それは、"une symphonie imagination"、想像性そのものの交響曲にも思えてくる。ラモーの多彩なオペラの様々な情景がシンフォニックに響き合い、純音楽としての交響曲にはない、様々な感情が交響的に編まれ、より壮大なドラマを感じられる。『ザイス』の原初の混沌を描く序曲(track.1)の、象徴的な幕開けに始まり、『優雅なインドの国々』の第4アントレ、「未開人」からの、雄弁で感動的なシャコンヌ(track.17)によるフィナーレまで、オペラで描かれた悲喜こもごもがギュッと凝縮され、オペラとはいえ、そこに描かれた様々な人生が、まるで走馬灯のようになって浮かび上がり、何か人間賛歌のようにも思えて、深い。聴き終えてのこの感動は、何なのだろう?単なるオペラからの組曲では済まない、充足感。これもまたミンコフスキ・マジック?編集の妙?何より、ラモーの音楽そのものを改めて見直させる説得力!
レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルを徹底してドライヴし切って、1曲1曲のちょっとした表情も逃さず、それこそを大きな音楽へとつなげて、より壮大なラモーの世界を描き出すミンコフスキ。オペラ本編に対し、ディヴェルティスマン=余興的なバレエ・シーンを、ここまで立派に仕立てて... いや、余興としての役割から解放することで、本来の輝きを与えるミンコフスキの姿勢がおもしろい。全力投球で余興に向き合って、これまで知り得なかった次元へと踏み込んでゆくミンコフスキの音楽性に、改めて脱帽するしかない。それを支えるレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの確信に充ちた一音一音のパワフルさ!そうした音が束となって、ストイックなピリオドのイメージを覆すジューシーなサウンド、そこから発せられるヴィヴィットさ!明暗、強弱、ラモーの綴った全ての音符に、揺るぎない存在感を与え、一瞬一瞬を息衝かせるレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルに、とにかく圧倒される。
そうして、思いの外、濃密なラモーを体験することに。そんなラモーに、呑み込まれるような感覚があって。で、呑み込まれて、酔わされるようなところもあって。酔って見つめるラモーは、いつもより大きく見える?リュリ以来のフランス・バロックの古臭さを愛嬌に感じつつ、すでにバロックを脱した自由さにも触れ、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ的な多感主義の様相も漂わせていて... いや、このイマジネーションの豊かさは、遠くにベルリオーズの幻想交響曲すら見えていて... そんな想像を掻き立てられる"une symphonie imaginaire"は、まさに空想の交響曲だった。一方で、この交響曲からは、じわーっと不思議な温もりが溢れてくる。そこには、ユマニテの国、フランスを感じ。1860年代のちょっと怪しげな小劇場に、1920年代のキャバレーゼロ年代の現代っ子(?)と、脈々と受け継がれる人間臭さを見出すのか... おもしろい...

RAMEAU: UNE SYMPHONIE IMAGINAIRE
LES MUSICIENS DU LOUVRE ・ MINKOWSKI


ラモー : "une symphonie imaginaire"

マルク・ミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

ARCHIV/474 5142

12月、フランスを巡り...
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