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われらがイエスの四肢... その愛の濃密... [2006]

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何だかんだで、クラシックとキリスト教というのは、切っても切れない...
そもそもクラシック=西洋音楽史の源流は、グレゴリオ聖歌に求められるわけであって。さらには、中世からバロックの頃までの長い間、教会こそが音楽を育んだ紛れも無い歴史がある。ヨーロッパから遠く極東の島国、非キリスト教徒がほとんどを占める現代日本にあってすら、その音楽は、遡ればやがてキリスト教に辿り着く。西洋の音楽システム(記譜、楽器)を導入し、その上で音楽を奏で、歌っている以上、我々の音楽の起源は間違いなく中世の大聖堂や修道院なのだ。なんてことを、ちょっと考えさせられる今日この頃。実は、キリスト教関連の作品をいろいろ聴き出してしまって。『メサイア』、『エリヤ』に続いての、ブクステフーデのイエスを巡る作品。
2006年にリリースされた、ヨス・ファン・フェルトホーフェン率いる、オランダの気鋭のピリオド・アンサンブル、ネザーランズ・バッハ・ソサエティによる、ブクステフーデの7つの連作カンタータ『われらがイエスの四肢』(CHANNEL CLASSICS/CCS SA 24006)を聴き直す。

バロック期の前半、北ヨーロッパで活躍したブクステフーデ(ca.1637-1707)。長年、教会のオルガニストを務めただけに、その作品には教会音楽が多い。それも、イタリアのようなカトリックの華麗な教会音楽とは違う、北ドイツのプロテスタントならではのストイックな教会音楽で... そんなブクステフーデの代表作のひとつ、7つの連作カンタータ『われらがイエスの四肢』を聴くのだけれど、やっぱりストイック。素朴かつ、厳しい佇まいに、近寄り難さを感じて、あまり聴けないでいたフェルトホーフェン+ネザーランズ・バッハ・ソサエティによるアルバム。やっぱりストイックであるより、より華麗な方へと耳が向きがちだったかなと。いや、今もそういう傾向は強いのだけれど。改めて聴き直してみると、6年前とは違う感覚を見出せるような... 北ヨーロッパ/プロテスタント=ストイックという表面的なイメージの裏にある、独特なセクシャルな感覚に触れる?
とにかく、タイトルが凄い... 『われらがイエスの四肢』、である。それでいて、ずばり、"四肢"の全てを歌い尽くす。足について、膝について、手、脇腹、胸、心、顔と、十字架に磔にされイエスについて、7つの部位を7つのカンタータで歌い綴る。それは、ある種のフェティシズムを感じなくもなく。それだけ、イエスへの愛が籠められているのだろうけれど、その思いの強さに、何かただならない恋慕にも似た感情を思わせる。そもそも、キリスト教の典礼にはセクシャルな要素が隠されている... なんて話しをどこかで聞いた気がするのだけれど。キリスト教に限らず、宗教には、往々にしてセクシャルな気分が立ち込めているのかもしれない。キリスト教における「禁欲」すら、欲望を否定する分、強力にセクシャルな感情を見出すようにも思うし。視点をちょっと変えると、実はドキっとさせられるような要素がいろいろある?それはまた、隠喩としてのセクシャルである分、より濃密なものとなっていて... って、このあたりで話しをブクステフーデに戻しまして... 『われらがイエスの四肢』、それはとてもストイックな、素朴な音楽で綴られるのだけれど、そうした抑制的なあたりが、かえって肉感的というか、熱っぽい視点でイエスの四肢を捉えているようで、ドキっとさせられる?磔にされ苦悶に充ちたイエスの身体を、音楽でなぞる特異なフェティシズム?そういう部分に気が付いてしまうと、何だか急にもの凄くドラマティックな音楽に聴こえ出す!
やっぱり、フェルトホーフェン+ネザーランズ・バッハ・ソサエティというのは、独特の音楽性を持っている。彼らなればこその温度感というのか、息遣いを感じてしまうような距離感というか、単なるスコアの再現に留まらない、音楽に生命感を吹き込む魔法。けして派手ではない、北ドイツのバロックの、そのストイックな音楽に込められた豊潤な響き、歌声... 最初のカンタータから、何とも言えない艶やかさを放ち、魅了されずにいられない。器楽アンサンブル、ソリストたち、ひとりひとりの音楽への意識の濃さだろうか?ブクステフーデばかりでなく、バッハにしても、他にしても、これまでのフェルトホーフェン+ネザーランズ・バッハ・ソサエティが紡ぎ出す音楽というのは、他にはない密度を感じずにはいられない。『われらがイエスの四肢』では、そのストイックさが、彼らの特性を際立たせていて、より豊かな一音、一音を生み出している。すると、受難の畏れ多い緊張感は解け、等身大の悲しみが溢れ出し、今際の愛する人を送り出すような、想像していなかったセンチメンタルが滲む。こんな音楽だった?こんなにもドラマティックだった?と、これまでの安易なイメージはあっさりと消え、今さらながらにそのすばらしさに驚かされ、人間味に溢れた『われらがイエスの四肢』に、宗教の枠を越えて、不思議な共感を覚えてしまう。と同時に、宗教の持つパワーにも感慨を覚える。こういう音楽を生み出すのだもの... 初詣は欠かせなくとも、宗教色そのものは恐ろしく薄い現代日本からすれば、それは本当に凄い...

D. BUXTEHUDE Membra Jesu nostri

ブクステフーデ : 7つの連作カンタータ 『われらがイエスの四肢』 BuxWV 75
ブクステフーデ : カンタータ 「平安と喜びに満ち逝かん」 BuxWV 76

アンネ・グリム(ソプラノ)
ヨハネッテ・ゾマー(ソプラノ)
ペーテル・デ・フロート(カウンターテナー)
アンドリュー・トータス(テノール)
バス・ラムセラール(バス)
ヨス・ファン・フェルトホーフェン/ネザーランズ・バッハ・ソサエティ

CHANNEL CLASSICS/CCS SA 24006




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