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ペルシア、幻想... [2012]

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さて、今年はドビュッシーの生誕150年のメモリアル!ということで、そんなドビュッシーの周辺にいたフランス近代音楽の異才たちにもスポットが当たればいいな... と、淡く期待しているのだけれど。そういうことなのか、どうなのか、ドビュッシーのバレエ『カンマ』をオーケストレーションした、フランス近代音楽の影(?)の立役者、シャルル・ケクラン(1867-1950)が、今、密やかに盛り上がっている?ていうか、盛り上がってると思いたい... 何気に、ケクランのアルバムのリリースがひとつ、ふたつ... その『カンマ』を含む、ケクランによるオーケストレーション集(hänssler/93.286)、ホリガーによるケクランのシリーズ、久々のリリースを楽しみにしていたりするのだけれど... その前に、NAXOSの近現代担当、ラルフ・ファン・ラートが弾く、ピアノ版、ケクランの『ペルシアの時』(NAXOS/8.572473)を聴く。

日本にもやって来たことのあるフランスの作家、ピエール・ロティ(1850-1923)の、イランの旅を綴った『イスファハンへ』(1906)にインスパイアされた組曲が『ペルシアの時』(1916)。下手にオリエンタルに陥ることなく、わずかにエキゾティックな香りが漂う程度のペルシアのイメージは、ケクラン自身が旅してのイメージではなく、ロティの本から夢想するファンタジックなイメージで。その淡く広がるイメージは、程好く具体性が抜けて、アンビエント。ドビュッシーやラヴェルの場合ならば、オリエンタリスムは最高のスパイスであって、非ヨーロッパの気分で聴く者を酔わすようなところがあるわけだけれど、ケクランは、そんなスパイスで味付けはしない... スパイスとなる分かり易いイメージから解き放った異国のサウンドで、聴く者を酔わせる。
ケクランのこのセンス、やっぱり希有!ヨーロッパでも、フランスでもない、どこか異国... だけれど、どこかはわからないそのミステリアスさ。深く魅了されてしまう。で、そんな異国感が、不思議とフュージョンやニューエイジあたりの感覚と共鳴するようで。1世紀近くを経た音楽であるわけだけれど、なぜか古さを感じない。ドビュッシー、ラヴェルの魅力的なモダニスムが、21世紀にはノスタルジックに響く一方で、ケクランにはノスタルジーが漂わない興味深さ。ドビュッシー、ラヴェルのすぐ近くにいながら、独自の道を歩んだケクランの音楽は、何気により現代の感覚にフィットするようで、1世紀近くを経て、今こそ輝くよう。何より、ヴィヴィット!
という、『ペルシアの時』を弾くファン・ラート... ペルト(NAXOS/8.572525)、ブライヤーズ(NAXOS/8.572570)、オッテ(NAXOS/8.572444)など、現代音楽にして難解ではない独特な位置を占める作曲家、作品を立て続けに取り上げて、おもしろい存在感を示しているのだけれど... そんなファン・ラートによるケクランというのは、最高の組合せなのかもしれない。ペルト、ブライヤーズ、オッテ、それぞれにシンプルな音楽を、絶妙の間で以って、より味のある音楽像を探ったファン・ラート。そのシンプルでアンビエントな美しさを十分に充たしながら、詩情をそっと添えるタッチに、彼の音楽性の高さを感じ、派手な超絶技巧や、近現代音楽のスペシャリストとしての明晰さよりも、印象深いのだが。そうしたあたりが、ケクランのアンビエントさ、モダニスムという枠に囚われない佇まい、「フュージョン」や「ニューエイジ」と説明した方がしっくりきてしまうサウンドと共鳴し、より魅惑的な『ペルシアの時』を紡ぎ出す。クラシックでありながら、ジャンルの重力から解き放ち、16曲からなる組曲の、その1曲、1曲の持つピュアな輝きを丁寧に拾い集めつつ。また、クラシックというジャンルなればこその、蓄積と深みで、1曲、1曲が持つ薫りを引き立たせるかのよう。けして、華やかな作品ではない。けれど、落ち着きの中に、鮮やかに、異国、ペルシアを描き、幻想的な情景を綴る。

KOECHLIN: Les heures persanes

ケクラン : ペルシアの時 Op.65

ラルフ・ファン・ラート(ピアノ)

NAXOS/8.572473




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