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古典派の先駆、古典派の爛熟、弦楽四重奏で... [2006]

古典派のサウンドというのは、どこか春っぽい。
ということで、近頃、春めく陽気のBGMには、古典派が欠かせない今日この頃を過ごしております。で、そんな日々を過ごしていると、ハイドンとモーツァルトだけでは間に合わなくなってくる... そもそも、ハイドン、モーツァルトばかりが古典派ではない。一方で、ハイドン、モーツァルトが多作家だからか、どれも同じようなイメージを持たれがちな古典派でもあって... だからこそ、古典派が、ハイドンとモーツァルトに集約されてしまう悪循環。いつももどかしく思っているのだけれど、そのあたりに一矢報いてくれた、ピリオドの弦楽四重奏団による、2006年にリリースされたアルバム、2タイトル... リンコントロによる、マンハイム楽派の巨匠、ハンス・クサヴァー・リヒターの弦楽四重奏曲集(Alpha/Alpha 089)と、サラゴン四重奏団による、「スウェーデンのモーツァルト」、ヨーゼフ・マルティン・クラウスの弦楽四重奏曲集(Carus/83.194)を聴き直す。


古典派の先駆、リヒターの弦楽四重奏曲。

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まさに春!久々に聴いて、ただただそんなことを思ってしまう、リンコントロのリヒターの弦楽四重奏曲集。やわらかな古典派サウンドに、リンコントロの凛とした演奏!それはそれは心地よく、また浮き立つものがあって、改めて魅了される!のだけれど、このアルバム、単に美しい古典派を味わうばかりではなくて... リヒターの"春"の後で、驚くべき厳しい表情を見せるモーツァルトを聴くことに...
リヒターの3つの弦楽四重奏曲に、モーツァルトがバッハの『フーガの技法』から弦楽四重奏用にアレンジしたフーガを挿み、最後は、モーツァルト自身によるカノンを奏でる。という、極めて凝った1枚。モーツァルトの父親よりも年上であるはずのリヒターに、完全な古典派サウンドを見出す一方で、モーツァルトであるはずなのに、頑迷なバロック... というより、さらに古風な印象すら与えかねない音楽が響き出すパラドックス!もちろんそれは本来のモーツァルトではない(モーツァルトがバッハをなぞったもの... )わけだけれど、リヒターの後でかなりのインパクトがある。何より、大きく18世紀像を揺さぶってくるその構成。時代感覚が狂わされ、眩暈を起こしそう?いや、それこそが狙い?リンコントロが仕掛けるマジックで、リヒターの驚くべき先進性が浮かび上がる!
ここで取り上げるリヒターの3つの弦楽四重奏曲は、1760年代の作品とのこと... それは、「弦楽四重奏曲の父」、ハイドンがまだエステルハージ侯爵家に仕え始めて間もない頃であり、弦楽四重奏曲の代表作を生み出すのはまだ先のこと... まさに弦楽四重奏の黎明期。のはずだが、リヒター(1709-89)はすでにこの最新のスタイルをしっかりと消化しており。何より、バロックから古典派へとうつろう時代にあって、過渡期的なところがまったくない。リヒターが古典派を牽引したマンハイム楽派の巨匠であることは認識しているが、古典派が大きく花開く以前に、こうも「古典派」をさらりと響かせてしまうとは... 反面、モーツァルトである。意外なほど真っ正直にバッハと向き合うその姿に驚かされつつも、晩年の交響曲、例えば「ジュピター」の終楽章のフーガの、妙に古風なあたりを思い起こしたりして。モーツァルトは意外と保守的だったのか?何てことも考えてみる...
しかし、こういう切り口で古典派を聴かせるリンコントロに感服させられる。対位法を「対話」に昇華させた古典派の先駆者、リヒターと、古典派から先祖返りして、対位法へと向かう若い作曲家、モーツァルト。まるで騙し絵のように18世紀を捉えていて、おもしろい!それでいて、そのおもしろさに揺るぎない説得力を持たせる演奏!腕利き揃いのリンコントロだけに、力強い一音一音が印象的で。その活き活きとした音楽は、生命感に溢れ、リヒターも、モーツァルトによるバッハも、彼らだからこそ、映える!

RICHTER Quatuors opus 5
Rincontro


リヒター : 弦楽四重奏曲 ハ長調 Op.5-1
モーツァルト : 2挺のヴァイオリン、ヴィオラとバスのためのフーガ ニ短調 K.405-4
リヒター : 弦楽四重奏曲 変ロ長調 Op.5-2
モーツァルト : 2挺のヴァイオリン、ヴィオラとバスのためのフーガ 変ホ長調 K.405-3
リヒター : 弦楽四重奏曲 イ長調 Op.5-3
モーツァルト : 二度のカノン ハ長調 K.562c=K.anh.191

リンコントロ
パブロ・バレッティ(ヴァイオリン)
アマンディーヌ・ベイエ(ヴァイオリン)
パトリシア・ガニョン(ヴィオラ)
ペトル・スカルカ(チェロ)

Alpha/Alpha 089




古典派の爛熟、クラウスの弦楽四重奏曲。

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2006年は、モーツァルト(1756-91)の生誕250年だったわけだが、同じ年に生まれたクラウス(1756-92)もまた生誕250年だった。もちろん、ほとんど注目されることはなかったのだけれど... それでも、メモリアルだったからか、アルバムがいくつかリリースされ、モーツァルトばかりでない古典派の諸相を楽しませてくれた。そうした1枚、サラゴン四重奏団によるクラウスの弦楽四重奏曲集。今、改めて聴いても、そのモーツァルトに負けない... というより凌駕する充実感に聴き入ってしまう。そして、古典派の黎明期を切り拓いたリヒターの後では、爛熟期に入った古典派をたっぷりと味わうようであり。そうした中に、次なる時代の萌芽を見つけるようなところもあり、さらに味を深めた弦楽四重奏の魅力に酔わされるのだが...
クラウスが生み出した作品というのは、なかなか興味深い。もちろん、その全てを聴けたわけではないけれど... ハイドンやモーツァルトのような多作家ではなかったクラウス... だからこそ、1曲、1曲に込められた充実感は、18世紀音楽のスケール感を凌駕するよう。ハイドンやモーツァルトといった、湧き上がるインスピレーション、ひらめきを自由に羽ばたかせて繰り出す音楽とは一味違う、よく練られた音楽というのか... クラウスのしっかりとした音楽作りは、その後のベートーヴェンといった、19世紀の骨太の音楽を思い浮かべるところがある。もちろん、ハイドンやモーツァルトの同時代性から、大きく逸脱することはないのだけれど、クラウスの音楽に流れている血というのは、すでにロマン主義を予兆させているように感じる。例えば、2曲目、ハ短調の弦楽四重奏曲(track.5, 6)の仄暗さ、歌謡性は、シューベルトを思わせて。ベートーヴェンを飛び越し、思わぬ先進性を垣間見せるクラウス。古典派とは違う場所にある音楽を聴かせ、どこか艶めかしく、ゾクっとさせられる。もちろん、古典派だからこその軽やかさ、瑞々しさもある。が、ところどころロマンティックな香りが漂い始めて... ハイドンやモーツァルトでは味わうことのできない魅力が、クラウスの音楽から発せられている。
そんなクラウスを奏でるサラゴン四重奏団... ピリオドならではの明瞭な響きは、瑞々しいサウンドを生み、クラウスの古典派サウンドに、より流麗な美しさを与えている。一方で、そこはかとなしに抑えたヴィブラートを用い、クラウスの音楽をより豊潤に響かせて。そのあたりが、クラウスのロマンティックさを引き出しもするのか。程好く雄弁に音楽を運んでゆくのが印象的。そうして生まれる聴き応えは、思いの外、大きくて... 今、改めて聴き直してみれば、イメージを新たにさせられる。

Joseph Martin Kraus: Streichquartette / String Quartets
Salagon Quartet


クラウス : 弦楽四重奏曲 ト長調 VB 2-187 Op.1-6
クラウス : 弦楽四重奏曲 ハ短調 VB 2-179
クラウス : 弦楽四重奏曲 ホ長調 VB 2-180
クラウス : 弦楽四重奏曲 ト短調 VB 2-183 Op.1-3
クラウス : 弦楽四重奏曲 ロ長調 VB 2-181 Op.1-2

サラゴン四重奏団
クリスティーネ・ブッシュ(ヴァイオリン)
カトリン・トレーガー(ヴァイオリン)
クラウディア・ホファート(ヴィオラ)
ゲジーネ・ケラス(チェロ)

Carus/83.194




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