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ニッポン・ゲンダイオンガクの、奥の細道。 [2011]

ドナルド・キーンから、レディー・ガガまで... なぜ日本はこんなにも愛されるのだろう?
日本に生まれ、日本を生きていると、いつも不思議に感じる。日本は、そんなにいい国なのだろうか?遠慮がちな日本人だから(と、海外では勘違いされるが... )そう思うのではなく、21世紀、リアルな日本を見渡せば、ますます以ってそう感じて来た。一方で、未曾有の危機に直面し、何気ない人と人との間に再発見される気遣いや、おぼろげだが、そうした人々を取り巻くどこかやわらかな空気感。それら全てを包む自然。もちろん、時に恐ろしい形相で我々に襲い掛かることもあるけれど。大津波に呑まれても、咲く桜を見て、ふと心に灯る感情。そこに、風土?のようなものを探ろうとするのか... 改めて、日本が営々と紡いで来た、日本を形作るDNAのようなものを読み解いてみたい思いに駆られる今日この頃。「日本」とは何だろう?
という問いからは、多少、飛躍的ではあるのだけれど。クラシックというフィールドで響く、日本について... 再び動き出したNAXOSの日本作曲家選輯のシリーズから、松村禎三の作品集(NAXOS/8.570337J)と、シグネ・バッケが弾く、田中カレンのピアノ作品集(2L/2L 74)。戦後、日本の模索と奮闘と、屈託なく音楽と向き合う今の日本を捉えた2タイトルを聴く。


戦後、「前衛」の、孤高の歩み... 松村禎三の交響曲。

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「日本」とは何だろう?それを説明できる日本人は、どれくらいいるのだろう?
グローバル化著しい中で、自分たちが何者であるかを説明できない日本人は、とても愚かである。というようなことが、もっともらしく叫ばれる場面が多々あるように思うのだけれど。その実、説明し切れない「日本」に生まれたからこそ、なのでは?そういう「日本」にあって、わかった気でいることの方が危うく、またある種のイメージを当てはめたがるのは、「日本」が何であるかを知っておきたい外国人の真似ごとのように感じてしまう。一方で、「日本」とは何だろう?と、本気で向き合うならば、出口の無い迷宮に足を踏み入れるようなもので、覚悟が必要なのかもしれない。ましてや、クラシックというフィールドで、「日本」を模索するとなると、どうなってしまうのだろうか?
戦後、「前衛」という言葉で括られる音楽(のみならずか... )には、漠然と気難しさを感じ、どこかで避けて来た。が、今、改めて、意識を以ってそれらを振り返ってみると、先人たちの模索、そして奮闘に、感動すら覚えることがある。みな大真面目に、西洋というシステム上(例えば、オーケストラだったり、五線譜だったり... )で、如何に「日本」を出現させようかと、頭を捻っていた。滑稽なナショナリズムの後で、コテンパンに叩きのめされた西洋へのコンプレックスを抱え、日本を模索し奮闘する、その異様なパワー... ある意味、白けてしまった21世紀の日本(今またそうした空気感は変化しているわけだが... )から、その音楽に触れれば、中てられつつも、リスペクトせずにいられない気持になる。松村禎三(1929-2007)の音楽を聴いて、ますますそんな思いに。
1番の交響曲(track.1-3)の、「交響曲」という極めて西洋的な形を名乗りながら、非西洋を徹底して追求する音楽。メシアンのトゥランガリーラ交響曲(フランス人による脱西洋音楽?)に通じるようにも感じるが、西洋人が辿り着く西洋の彼岸とは比べようが無いディープさが圧巻。独自の音楽を築こうという強い意志が、ただならず伝わって来るようで。また、どう築こうかと徹底して試行錯誤する姿が透けて見えるようでもあり、その生半可でない熱い姿がたまらない。戦後、「前衛」の時代、当時の最新鋭は総音列音楽だったり、偶然性だったり、さらには制御された偶然性だったかもしれない。が、そういう欧米の最新鋭には目もくれず、孤高を歩む松村作品。一方、どこかで最新鋭に遅れを取るようなもどかしさもあるのか(そのあたりが、最新鋭の前の時代のトゥランガリーラ交響曲に通じるのか... )。作曲家の、その時点(東京オリンピックと大阪万博に挟まれた、1965年の初演... )での、出来得る限りを尽くしての、西洋に対する独自であることの表明としての交響曲は、今こそ輝くようにも感じる。いや、それは輝きなのだろうか?不器用さも含めての、剥き出し感が、21世紀の日本に対し、感動的だ。
続く、2番の交響曲(track.4-6)は、20世紀末... 最後の「ゲッセマネの夜に」(track.7)は、作曲家の最晩年、21世紀に入ってからの作品となる。が、その独自の歩みは、洗練されても孤高であって。もはや「前衛」という言葉が力を失っていた時代に、芸術と鋭く対峙する「前衛」の姿勢を緩めることなく、緊張感を以って音楽を生み出していることに身が引き締まる思い。芸術に、カッコいい、クールだと、そういう日常的な感覚が入り込んでしまっていいのだろうか?と、骨太な音楽が、ズーンと重く響く。
もちろん演奏も、そういうあたりを十二分に引き立ていて... 日本作曲家選輯のシリーズでお馴染み、湯浅卓雄の指揮、アイルランド国立交響楽団の丁寧なアプローチは、きっちりと作品を捉えて、松村作品の実直さへのリスペクトを感じられ、印象的。

JAPANESE CLASSICS TEIZO MATSUMURA: SYMPHONIES NOS. 1 & 2

松村 禎三 : 交響曲 第1番
松村 禎三 : 交響曲 第2番 *
松村 禎三 : ゲッセマネの夜

湯浅卓雄/アイルランド国立交響楽団
神谷郁代(ピアノ) *

NAXOS/8.570337J




"ゲンダイオンガク"のイメージを脱して... 田中カレンのクリスタリーヌ。

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田中カレン(b.1961)の音楽に初めて触れたのは、2002年、サントリーホール国際作曲委嘱シリーズに登場したサロネンのコンサート。サロネン作品とともに、サロネンが推薦する次世代の作曲家として田中カレンが紹介されたのだが... そこで世界初演されたローズ・アブソリュートの瑞々しさは、未だに強いインパクトとしてある。が、インパクトのある作品か?というと、そうではない... から、おもしろい。まるで化粧品メーカーのCMに流れてきそうな、美しいBGMかと、思いきや、やがて、音楽は形を失い、響きとなって、空気となってホールを漂い、その得も言えぬ心地良さに、"ゲンダイオンガク"とは隔世の感覚を味わい、これこそが21世紀、ジャスト、現代音楽だ!と、強い衝撃を受けた。ちなみに、ローズ・アブソリュートは香水で、田中が体験したそのバラの香りを音楽にしたとのことだったが、まさに!ローズ・アブソリュートの香りは体験しなくとも、その馨しさに浸らせてくれる音楽だった...
以後、カレン・ファン!なのだけれど、その音楽に触れる機会はなかなか無かった。CDも、仲道郁代が弾く、こどもたちのためのピアノ作品集(Ariola Japan/BVCC 1094)などがリリースされてはいるのだけれど、欧米での華やかな委嘱の話しや、ローズ・アブソリュートの体験があるだけに、オーケストラ作品など、思いっきり田中作品を味わってみたい欲求に駆られ続けて... そして、とうとうリリースされた、ノルウェーのピアニスト、シグネ・バッケによる田中カレンのピアノ作品集"Crystalline"。こういうの、待ってました!
さて、その1曲目、アルバムのタイトルにもなっているクリスタリーヌ(1988)。ローズ・アブソリュート(2002)で知る田中作品よりも前の作品ということで、カレン・ワールドは完成されていない、トリスタン・ミュライユに師事し、IRCAMを経験した... というあたりを確認する、"ゲンダイオンガク"な1曲。その、まさにクリスタルな、硬質な響きが印象的(ミュライユ流スペクトルというよりは、ヴェーベルン?セリエルな雰囲気... )なのだけれど、それがクリスタルであるあたりに、カレン・ワールドの予兆は見て取れるのか... クリアな硬質さが、心地良くもあるようで、端々にウィットのような感覚が見て取れる。そして、2曲目、ウォーター・ダンス(track.2-4)で、カレン・ワールドが訪れる。オッテのミニマリスムのような、やわらかな響きと、きらきらとした輝きが広がる音楽。その爽やかな佇まいは、完全に"ゲンダイオンガク"のイメージを脱していて、気持ちがいいくらい!一方で、安易なBGMに堕ちてしまわない、作曲家の確かな感覚が存在していて、その美しさは、けしてチープにはならない。
しかし、松村作品からすると恐るべき飛躍の先を見せる田中作品!もはや、西洋はコンプレックスでも何でもなく、ただ自身の感性を信じ、あるがままのナチュラルな音楽を綴るその姿勢には、同じ時代を生きる者として、ただならず共感を寄せてしまう。また、テクノ・エチュード(track.7-9)では、「テクノ」なのか?美しさ、しなやかさばかりでない、ハードで、多少、ロック?で、ポップなあたりを屈託無く響かせて、楽しませてくれるから、彼女の音楽もまた現代っ子の音楽だ。そして、この囚われない自由さに、日本のもうひとつの姿を見出すような... やっぱり、カレン・ワールドは素敵だ。だからこそ、もっともっと田中作品を聴きたい!毛色が違うことはわかっているけれど、日本作曲家選輯などで取り上げてくれたら... と、つい思ってしまう。
そして、シグネ・バッケのピアノもすばらしく。カレン・ワールドをクリアに捉えて、北欧ならでは... というのは、多少、安易かもしれないけれど、ちょっと冷えたタッチが、清涼感のような感覚をディスクに盛って、夏本番を前に、音から涼しくしてくれるよう。また、硬質なクリスタリーヌで全体を挟み、ちょうど真ん中にはテクノ・エチュードを持って来る構成も、光る!まったく以って、クールな1枚。

SIGNE BAKKE CRYSTALLINE

田中 カレン : クリスタリーヌ
田中 カレン : ウォーター・ダンス
田中 カレン : オーロラ
田中 カレン : ラヴェンダー・フィールド
田中 カレン : テクノ・エチュード
田中 カレン : こどものためのピアノ曲集 『光のこどもたち』 から
田中 カレン : クリスタリーヌ II

シグネ・バッケ(ピアノ)

2L/2L 74


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
現代音楽というのもまた、作曲家が生み落した瞬間から、旅人となるのかもしれない。時はうつろってこそのもので、いつまでも「現代音楽」なんていう括りに、放置しておくことなどできない。
「昭和」が新鮮なものとして、21世紀の若い世代に映れば、「前衛」という言葉に、ノスタルジーを感じずにはいられない。そうして、日本の"ゲンダイオンガク"の歩みというのも、21世紀の今、改めて振り返って、大いに感慨深く感じる。いや、愛おしくすら感じるのかも... クラシックというフィールドで、如何にして日本を響かせるか?その先に、そういう使命感から解き放たれて響く日本もあったりで、おもしろい。




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