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ヤーコプスとモーツァルト。 [2010]

ぼんやり過ごす正月... ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを見る。
それにしても、ウェルザー・メスト(b.1960)が指揮台に立つとは、世代交代を印象付ける2011年。21世紀も最初の10年が終わり、良きにつけ悪しきにつけ、クラシックの世界にも、時代の波が打ち寄せていることをひしひしと感じる今日この頃。保守の牙城たるウィーンも変わってゆくのか?
さて、ニューイヤー・コンサートはともかく、新年に聴く音楽は何がいいだろうか?と、ふと考えてみる。この、ぼんやりと過ごす正月にぴったりの音楽... 多少、安易だが、モーツァルトあたりに手が伸びる。その明るく屈託ない音楽、新年向き... そこで、ルネ・ヤーコプスによるモーツァルトのアルバムを2タイトル。まず、常に新鮮な体験をもたらしてくれる、ヤーコプスによるモーツァルトのオペラのシリーズ、最新盤、『魔笛』(harmonia mundi/HMC 902068)と。オペラのみならず、交響曲でも快演を聴かせてくれているヤーコプス、39番、40番の交響曲(harmonia mundi/HMC 901959)を聴く。


ヤーコプスによる歌芝居、魔笛。

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それまでになく、モーツァルトのオペラを息づかせて、驚かされ、魅了されてきたヤーコプス。歌手出身のマエストロだからこそ生み出される、体温を持ったドラマというのは、ちょっと他では味わえない... そんな、モーツァルトのオペラのシリーズ、6作目となる『魔笛』。また次なる次元へとジャンプしたか?驚きの『魔笛』が繰り広げられる。
ジングシュピール『魔笛』は、歌(ジング)芝居(シュピール)。台詞と歌が交替しつつドラマが紡がれる。が、録音となれば、当然、歌がメインになるわけで、台詞は必要最小限であっても構わない。それどころか、極力カットするくらいでちょうどいいかもしれない。しかし、ヤーコプスは、そういうことは一切しない。2枚組で構成されるのが一般的な『魔笛』の全曲盤だが、きっちり台詞を盛り込んで、3枚組で聴かせるから、驚かされる。となると、冗長になるのでは?と思うのだが、その台詞部分こそ雄弁だったりして...
ヤーコプスの高い要求に応える、役者揃いの歌手たち。彼らによるアンサンブルが、まるで音楽のように台詞からもドラマを生み出して、圧巻!『魔笛』の台詞部分を、これほど聴き入ってしまうとは、考えもしなかった。さらに、オーケストラやら、通奏低音のフォルテピアノやらを巧みに使って、ところどころ効果音すら作り出して、色を添え。モーツァルトによる音楽のみならず、ヤーコプスの隅々まで至るこだわりの凄さに感服させられる。
もちろん、歌もすばらしい。器用に芝居がこなせる歌手たちだけに、歌、ひとつひとつ、極めて表情豊かに捉えられていて、見事。すると、台詞の中で変に歌が浮き上がることが無く、歌が完全に芝居に融け込んでいる、自然な流れが印象的。で、そんな、芝居上手な歌手たちだけに、重唱などでのやりとりは、芝居の上手さが特に活きて、魅了されるばかり。そして、ベルリン古楽アカデミーの見事な演奏... 序曲からしてキレと勢いとで、一気に特異なるヤーコプス・ワールドへと聴く者をさらってゆく。そんな勢いのまま、グイグイとドラマを進めつつ、細部に至っては、個々のプレーヤーの器用なところを余すことなく披露し、歌手たちの後ろで、何気ない一瞬をも息づかせてしまう。また、台詞部分が際立つ『魔笛』だけに、オーケストラが鳴りだし時の鮮烈さにはノックアウト。歌は芝居に融けても、オーケストラのオンとオフは、ドラマに、絶妙なコントラストを付けて、おもしろい。
という、ヤーコプスによる『魔笛』。それは、まさに歌芝居!宮廷劇場でのセリアでも、ブッファでもない、芝居小屋での歌芝居...客席の空気を読みつつ、要所要所を即興で彩り、丁々発止のドラマを繰り広げてくるようなライヴ感が、これまでにない生命力を『魔笛』に吹き込む。その生命力がただならない。3枚組を聴き終えれば、まるで、芝居を「観た」感覚になってしまうほど。そして、この感覚こそ、1791年、『魔笛』初演のその時へと帰る感覚なのだろうな... と、思いを巡らせてみる。

DIE ZAUBERFLÖTE
René Jacobs


モーツァルト : オペラ 『魔笛』 K.620

タミーノ : ダニエル・ベーレ(テノール)
パミーナ : マリス・ペーターゼン(ソプラノ)
パパゲーノ : ダニエル・シュムッツハルト(バリトン)
パパゲーナ : イム・スンヘ(ソプラノ)
夜の女王 : アンナ=クリスティーナ・カーッポラ(ソプラノ)
ザラストロ : マルコス・フィンク(バス・バリトン)
モノスタトス : クルト・アツェスベルガー(テノール)
第1の侍女 : インガ・カルナ(ソプラノ)
第2の侍女 : アンナ・グレヴェリウス(メッゾ・ソプラノ)
第3の侍女 : イザベル・ドリュエ(メッゾ・ソプラノ)
弁者 : コンスタンティン・ヴォルフ(バス・バリトン)、他...

RIAS室内合唱団
ルネ・ヤーコプス/ベルリン古楽アカデミー

harmonia mundi/HMC 902068




ヤーコプスによる交響曲... は、一歩下がって、

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ピリオドを代表するマエストロのひとり、ヤーコプス。歌手出身というだけあって、その音楽性は、歌モノでこそ活きてくる... はずだったが、とうとう交響曲にも乗り出して、オペラの時のように驚かせてくれて、ヤーコプス・ワールドは交響曲でも健在。そんな1枚、フライブルク・バロック管弦楽団とのモーツァルトの「プラハ」と「ジュピター」(harmonia mundi FRANCE/HMC 901958)の快演(時に怪演... )は、鮮明に記憶に残る。それから3年、今度は39番と40番の交響曲を取り上げるとなれば、やはり聴き逃すことはできない。
特異なヤーコプス・ワールドから、モーツァルト晩年の名曲を捉えれば、どんな風におもしろく響くのだろう?「プラハ」、「ジュピター」を思い返せば、何をやらかしてくれる?という期待の方が大きかった。が、至って端正な演奏で、ある意味、驚かせてくれる。そうすることで活きてくるのが、フライブルク・バロック管の確かなアンサンブル、個々の技量、そして粋なあたり。指揮者無しでの演奏も多い彼らだが、指揮者にきちっと整理してもらって響かせるハーモニーは、よりクリアで魅力的に感じ。無理なく、全ての音符を拾い上げ、これまで目立たなかった部分もさり気なく浮かび上がらせて、織り成して、見事。
しかし、ケレンで煙に巻くようなところもあるヤーコプス・ワールドが出現しないあたり、肩透かしの観、無きにしも非ず。なのだが、ヤーコプスが一歩下がって奏でられるモーツァルトというのは、間違いなく素敵であり。例えば39番の終楽章(track.4)のさり気なく曲を終えるあたりや、40番、1楽章(track.5)の名旋律のさらりとした感覚などは、その淡白さがかえって余韻を残すようなところがあって、モーツァルトそのものが引き立つ。あるいは、モーツァルト晩年の傑作群を前に、ヤーコプスの入り込む余地は無かったか?
ヤーコプス+フライブルク・バロック管によるモーツァルトの39番、40番の交響曲に触れると、今さらながらにモーツァルトという作曲家を再確認させられる。いや、隙が無い... 演奏者の音楽性に助けられる必要などまったくない完成ぶりというか、完璧なフォルムに、変に魅了されてしまう。このアルバムに収められたモーツァルトには、音楽を越えた音によるオブジェクトのような姿すら見て取れるようで、静かなインパクトを生み出している。が、そういうストイックさの一方で、ヤーコプスもどこかで色気を見せて、取りつく島はないか?と、ちらりちらり仕掛けるようなところもあって、その兼ね合いがおもしろかったり。

MOZART SYMPHONIES 39 & 40 R. JACOBS

モーツァルト : 交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
モーツァルト : 交響曲 第40番 ト短調 K.550

ルネ・ヤーコプス/フライブルク・バロック管弦楽団

harmonia mundi/HMC 901959




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