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終末論。 [miscellany]

この前もらったのに、帰りの電車が手持無沙汰なので、また"intoxicate"(タワーレコードのフリー・マガジン... )をもらってしまう。で、また読む... そうした中で、何気に興味を持ったのが、ジョン・アダムズのインタビュー、その最後に語られていた新作の話し。何でも、ドゥダメルの指揮で、2012年に初演されるオラトリオを予定しているのだとか。台本は、いつもながらピーター・セラーズで、『エル・ニーニョ』(キリストの降誕を現代社会と重ねて描く... )のような内容とのこと... となると、もしや「2012年」的な話題を扱うのか?!
2012年って、どーなるんだろーねー。って、どーにもならんのだろうけれど、ふと世界を見渡すと、もうどーにもならんような状態がそこかしこに見て取れて、すでに破綻の兆しが... という、ゼロ年代を経ての、21世紀、今日この頃に、多少、トンデモな色合いも乗せつつ、機会音楽?としての「2012年」なオラトリオが誕生したら、かなりおもしろそう。なんて、つい妄想... いや、ジョン・アダムズ+ピーター・セラーズは、どんな作品に仕上げてくるのだろうか?ま、大なり小なり政治的?で、今から、興味津々。

それにしても、安直な終末論でお祭り騒ぎをする気はないけれど、日々のニュースを見るにつけ、2012年で終わるというのも、まんざらではないな... なんて思えてしまうから悲しい。今という時代を少し引いて見つめれば、みんな見事にやりたい放題、まるで烏合の衆による交響楽。それも、エンドレスなコーダみたいな感じ?異様な躁状態の連続... そうした中で、ターゲットが絞られると、途端に声をそろえて、ワっ!と騒いで、憂さを晴らす。が、本当の問題からは、きっちり目を逸らす... ニュースを見るたびに、なんじゃあこの世の中は?と、ゲンナリさせられるばかり。というより、ニュースを見る気が失せる。
なんて、思っていたら、新聞の書評に、『常識人の作法』という、社会学者の先生が、現代社会をブった切る本を見つける。演出過剰社会で踊らされる人々... の見出しに、思いっきり惹き付けられた(そういや、自分も、どっかで踊ってらぁ... )。で、世界はヤラセで成り立っている。とのこと... 書評を読んだだけだけれど、妙に納得させられてしまう。で、ふと思い出される演出過剰。ここ数日、辟易させられたのが、バレーボールとか、フィギュア・スケートとか... なんか、もう、これはスポーツかい?!ってノリっていうか、メディアの過剰サービスに、グヘェッとなる。粛々とストイックに戦うはずのスポーツ、ある意味、演出が入り込む隙が無いようでいて、この様。けど、それが成り立つということは、そういう濃い味付けに慣れてしまった現代人の姿があるわけで。もはや、高血圧に、高血糖... まさしくメタボリックな状態にはまり込んでしまっているわけだ。それにしても、現代社会は、どこでボタンを掛け違えたのだろうか?頭を抱えてしまう。
一方で、クラシックはどうなのだろう?ある種、スポーツの世界に似た、ストイックな空気感の漂うジャンルだけに、演出なんてものは、まったく必要のない世界だ。けれど、逆に、演出があったなら、また違った音楽が響き出すのではないだろうか?いや、"過剰"ですら、様になるような気がしてしまう。なぜならば、そもそもクラシックとは、たっぷりと思わせぶりで、演出過剰気味な音楽。ベートーヴェンのシンフォニーのコーダとか、マーラーの「千人の交響曲」の規模とか。コテコテのクラシックの魅力は、演出過剰なところにあるのでは?そうしたあたりを巧くクラシックというパッケージに結び付けることができたならば、ジャンルとして盛り上がるような気が... って、またいい加減なことを言っているのだけれど... 例えば、『のだめカンタービレ』の成功は、クラシックにおける仰々しさを、見事、演出過剰に昇華させられたことにあるのでは?
となると、2012年に、ド派手な終末のオラトリオをブチ上げたりするのは、大いにありだと思う。

話しは変わって、先週、ヘンリク・グレツキ(1933-2010.11.12)が亡くなった... 「悲歌のシンフォニー」のブレイクで、一躍、時の人となった異色の現代音楽の作曲家。現代音楽に、大胆に持ち込まれたアンビエントなテイストが、ジャンルを越えて支持されて、90年代、興味深い現象を生み出したわけだが... そんな、アンチ・ゲンダイオンガク的な、現代音楽における新たな潮流の象徴的な人物のひとりが逝ってしまったことに感慨。「新たな潮流」もまた、音楽史の1ページに。それから、今月、初めには、ルドルフ・バルシャイ(1924-2010.11.2)が亡くなった... ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を室内交響曲に仕立て直し、アレンジャーとしても興味深い仕事を聴かせてくれた個性派指揮者。ついこの間まで、日本のオーケストラにも客演していて、元気な印象があるだけに、ちょっとショック... そして、先月、ジョーン・サザーランド(1926-2010.10.10)が亡くなったのもショック... 今、より多くのベルカント・オペラのレパートリーを楽しめるのは、この大御所ソプラノの存在があったからこそ。すでに、現役から退いて、かなり時間は経つものの、ベルカント・オペラが好きな自分としては、多くのベルカント・オペラを復活させてくれたこと、リスペクトせずにはいられない。
それにしても、時は流れている。家の周りの木々も色付き始め、北からの雪の話題が聞かれ始めると、2010年も、着実に押し迫っていることをひしひしと感じさせられる。そして、クラシックを支えた人物たちの訃報は、追い打ちを掛けるようで... 2012年などは、あっという間にやって来るのだろうなぁ。




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