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現代っ子、現代に見る夢。 [2010]

21世紀、もはや、現代音楽は、「難解」という安易なイメージでは括れない。
20世紀後半、現代音楽にアンビエントなサウンドを持ち込んだ作曲家たち(ペルト、タヴナー、グレツキ、ヴァスクス、シルヴェストロフ、などなど... )、現代音楽界にとっては異端であったろう彼らが、今や巨匠に... 「前衛」という名のエリート主義が管を巻いて、煮詰まってしまった西洋音楽史に対する反動、現代音楽の枠を越えて一世を風靡したミニマル・ミュージックも、今や「ポスト」ミニマルという段階に...
となると、「難解」ばかりでない現代音楽。ソフトで、ライトなサウンドは、増えているように感じる。というより、そういうソフトで、ライトな現代音楽が、「あり」な21世紀。時代は大きく動いたのだなと、感慨も... 一方で、あまりに「難解」ではない現代音楽には、調子が狂うようなところもあったり。ソフトで、ライトな、聴き易い現代音楽は、大いに歓迎したいところだが、あまりにソフトで、ライトだと、拍子抜けしてしまう?というのは、20世紀を引き摺っている聴き手に問題があるのか?いろいろ、考えるところもあるのだが... どちらにしろ、「難解」でない... は、現代音楽の最新モードとなりつつある気配。そんなモードを担う?2人の作曲家... フランスのギョーム・コネソン(b.1970)による『コスミック・トリロジー』(CHANDOS/CHSA 5076)と、イギリスのグレアム・フィトキン(b.1963)によるサーキット(BIS/BIS-SACD-1517)を聴く。


現代音楽、現代っ子、コネソンのおもちゃ箱。を、覗く...

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まさに、ポスト・ミニマル... ジョン・アダムズを思わせるサウンド(てか、そのもの?)、疾走感で盛り上げた先に、SFテレビ・ドラマ・シリーズのテーマのようなサビ?かと思うと、バルトーク... 一瞬、バーンスタインが過って、ショスタコーヴィチの「革命」、終楽章、コーダへのトレモロ(?)の中に、イゾルデが歌いそうなメロディが浮かぶ。かと思えば、ワーグナーはチャイコフスキーに変身し、そして、またジョン・アダムズ。盛り上がって、またSFテーマ。そこに、メシアンが顔を出し、バルトークが再びチラチラして、中国の不思議な役人がウロウロ歩き...
1曲目、アレフには、面喰う。疾走する音楽の中に、目まぐるしく、聴き覚えのあるフレーズが次々に登場して、あれ?何だっけ?これ... と、頭がグルグルしてくる。それにしても、好きなフレーズをとにかく集めました!という、コネソン少年、自慢のおもちゃ箱を覗かされたような感覚だ。が、実際のおもちゃ箱ならば、すんなりと受け入れることができる。しかし、オーケストラというハイ・エンドな仕様で、大人の作曲家がやってしまっていいことなのだろうか?って、頭が固いリアクション?
西洋音楽史(近現代メイン... )を切り貼りして、現代音楽を生み出す。同様に、過去の音楽を切り張りした多様式主義のシュニトケ(1934-98)の音楽には、多分にアイロニーが含まれて、オリジナリティを形成していたけれど... コネソンの音楽は、あまりにポジティヴに、ある意味、良いとこ取りで繰り広げてしまう。その姿は、あまりに無邪気過ぎるように感じてしまう。が、そこに21世紀的な性格を見出すべきなのか?近頃、日本の現代美術シーンを振り返る時、「ネオテニー」という言葉が用いられて、興味深く感じる(ネオテニー・ジャパン展は、見事でした!)。コネソンの現代音楽にも、「ネオテニー」の感覚を見出すのかもしれない。さて、そのあたりがおもしろいのか、おもしろくないのか... いろいろ、考えるところ。しかし、慣れてしまうと、おもしろい。
『コスミック・トリロジー』は、その名の通り、宇宙を描く音楽。となれば、ホルストの『惑星』を思い出すわけだが、ホルストが聴かせる宇宙は、『スターウォーズ』のような壮大さがある。一方、コネソンが聴かせる宇宙は、メリエス監督の『月世界旅行』から、『スタートレック』まで... 多少、チープさを含みながら、懐かしさと気の置けなさが魅力?また、ドゥネーヴ+ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管が、ことのほか鮮やかにコネソン・ワールドを捉えていて。それがまた、コネソン・ワールドに説得力を持たせてしまって。「ネオテニー」をハイ・エンドで仕上げる妙な感触は、ちょっと癖になりそう。

CONNESSON: COSMIC TRILOGY ETC.

コネソン : 『コスミック・トリロジー』 第1部 アレフ
コネソン : 『コスミック・トリロジー』 第2部 暗黒時代の一条の光
コネソン : 『コスミック・トリロジー』 第3部 スーパーノヴァ
コネソン : 輝く者 〔ピアノと管弦楽のための〕 *

エリック・ル・サージュ(ピアノ) *
ステファン・ドゥネーヴ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

CHANDOS/CHSA 5076




現代音楽、現代っ子、フィトキンが繰り広げる、スタイリッシュなショウ。

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サントリーホールでの、サーキットの日本初演(2004.7.7)が、強い印象として残っている。現代音楽は「難解」で当たり前... けど、世紀は変わり、欧米では必ずしも難解一辺倒ではなくなりつつあって、サーキットの世界初演(2003)のニュースも漏れ伝わっていて、「難解」ではない現代音楽への欲求が高まっていた頃に、日本初演に触れものだから、サーキットのインパクトは大きなものだった。何より、「サーキット」という刺激的なネーミングから想像する通り、スピード感とスリリングさに充ち溢れていて... 現代音楽というカテゴリーに置かれる作品が、現代の空気感の中にあっても十分に通用し得るクールなサウンドを響かせていることに、妙に感動したりして。
そして、世界初録音... 久々に触れるサーキットの感触はどうであったろうか?ストット、小川による2台のピアノが疾走するサーキット、初演の危なっかしさは消え、落ち着きすら漂い、ちょっと調子が狂う。こんなだったっけ?しかし、興奮の去った今だからこそ見えてくるものは多々あって、改めてフィトキンの音楽に興味深いものを感じる。ライヒ流のストイックなミニマルから、ジョン・アダムズ的なポスト・ミニマルへと展開してゆく出だしは、何だかミニマル・ミュージックの歴史を追うようでもあり、改めて触れてみて、そのおもしろさに感じ入ってみたり。そして、フィトキンならではの、現代音楽どころか、クラシックにすら納まり切らないポップさに至り... 日本初演の時とは一味違うクールさを噛み締める。それは、エネルギッシュなサーキットというよりは、スタイリッシュなランウェイ?ミニマルなデザインの服を纏ったモデルたちが、颯爽と次々にランウェイを歩いてゆくような... 多少、無機質ではあるけれど、洗練されたサウンド、スタイリッシュさで魅了してくれる。また、大友+東響のサウンドが、程好くドライで、作品を引き立て、好サポート。彼らの演奏もまた、このアルバムの魅力に。
さて、アルバムの後半は、ソロとデュオによるフィトキンのピアノ作品... そこでは、よりフィトキンらしさが現れ。屈託のない、クラシックを脱したフィトキン・ワールド。アグレッシヴさには、ジャズやロックの匂いが漂い、アンビエントなあたりは完全にニュー・エイジ的なテイストに彩られ、まさにアヴァン・ポップ。ストット、小川のピアノは、クラシックの外へと遊びに出掛けるような感覚があるのか、すっかり楽しんでいるようでもあり。一方で、クラシック・ピアニストという彼女たちの性格が、1曲、1曲をかっちりと捉え、フィトキンのデジタルな感覚を活かす。となれば、やはりスタイリッシュ!

Fitkin ・ Circuit ・ Ogawa/Stott/Tokyo SO/Otomo

フィトキン : サーキット 〔2台のピアノと管弦楽のための〕  ***
フィトキン : T1 〔2台のピアノのための〕 **
フィトキン : やすらぎ 〔ピアノ独奏のための〕 *
フィトキン : 肉体 〔ピアノ独奏のための〕 *
フィトキン : 黄色から黄色へ 〔ピアノ独奏のための〕 *
フィトキン : 白 〔2台のピアノのための〕 **
フィトキン : 家具 〔ピアノ独奏のための〕 *
フィトキン : T2 〔2台のピアノのための〕 **

キャサリン・ストット(ピアノ) *
小川典子(ピアノ) *
大友直人/東京交響楽団 *

BIS/BIS-SACD-1517




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